|  
「おまえな…いい加減にしろ」「だ……だって……心の準備が」
 
 ”じっとしててください”と言われても、ピンセットで摘まれた邪悪な色の脱脂綿が近づいてくる度につい足を引く彼女。
 業を煮やし、彼が床に跪いて彼女のサンダルを脱がして素足を掴んだ。
 
 「えぇっ…!?あの、ちょっと待って…!」
 「待たない」
 「やっ……痛いいたたた!!」
 「我慢して」
 「うぅ〜……イッ…痛いっ……!」
 
 脱脂綿が擦りむけた膝をこれでもかとこする上、独特の匂いの消毒液がとてつもなく傷に滲みる。
 悲鳴を上げる彼女の足首をがっちり固定した彼が、茶色い消毒液を塗りたくられた膝に息を吹きかけた。
 
 「!!!?」
 
 真剣な顔で自分の膝をふーふー吹いている彼を、恥ずかしくて見ていられなくなった彼女が真っ赤な顔を逸らす。
 心の中で”いやぁぁぁ!それは反則だぁぁ!!”等々叫び声を上げている間に。
 患部にガーゼが当てられ包帯が巻かれ、我に返った彼女が手当をしてくれた救護所のスタッフにお礼を言ってそそくさと席を立ちかける。
 
 「…待った」
 「……え?」
 
 逃げようとする彼女を後ろからがしっと抱きかかえて丸椅子に座り、くるりと医務員の方に向き直って。
 
 「手のひらもやってるんで、お願いします」
 
 膝の上に座ってしまった事に焦って隙ができた彼女を押さえ込み、彼が無情に言い放った。
 怪我をしていない片手は手首を掴まれて押さえられ、怪我をしている方の手は容赦なくピンセットの前に突き出されてビクともしない。
 
 「や、あ…あのっ!こっちは大丈夫なんで!大した事な……イイッ……たいッ!!」
 「はい我慢」
 「せんぱ、イーっっ!タイ痛イ痛イ!無理!!」
 「無理じゃない」
 
 やがて治療の痛みやら恥ずかしいやらでぐったりと疲れ果てた彼女とその腰を支えた彼が、深々とお辞儀してそこを後にした。
 
 
 
 「………真咲…先輩?」
 「何ですか?」
 「……えぇっと…怒って……ます?」
 
 当然のように何も言わず出口の方に向かう彼。
 腕に縋り、憮然とした表情を怖々見上げる彼女に、はっとしたように彼が手で口の辺りを覆った。
 
 「……いいや。どうしようか、考えてた」
 「どうしようって……素直に手当受けなかったから怒ってるんですか…?」
 
 ひょこひょこと足を引きずりながら不安げに見上げる瞳。
 貸した腕にきゅう、と力を込めて。
 
 「あっ!せっかく誘ってもらったのに私のせいで楽しめなかったから?こ、今度はジーンズで来ますからっっ…」
 
 慌てて言い募る彼女の頭を撫でて、真咲が自嘲するように笑う。
 
 「怒ってるんじゃなくて……一人大反省会だ。自分が楽しいからって大事な妹分のおまえが怖がってんのに気づかなくて、その上怪我までさせちまうなんて。……おまえが怪我してんの見た瞬間が、一番血の気が引いたわ…」
 「いえあの、私が一人で転んだだけですから!」
 「うん…でもなぁ……もうおまえとこういうトコ来んのはやめにするわ。だから安心して…」
 「……イヤですっ!」
 
 縋っていた彼の腕を放して彼女が立ち止まった。
 言葉の強さそのままに彼を見据えて、くるりと踵を返す。
 膝を曲げられない足を引きずって元来た道を戻ろうとする彼女を、真咲が慌てて追いかけた。
 
 「オイ、どこ行くんだ!危ないだろ!?」
 「お化け屋敷、もう一回行ってきます!」
 「な!?」
 「もう平気です!さっきはちょっとビックリしただけです!!」
 「んな訳ないだろ、何だよ急に…ちょっと、待てって!」
 「だって………っっ…先輩が行きたい所じゃなきゃ意味ないじゃないですか!!」
 
 腕を掴まれて身動きが取れなくなった彼女が、唇を噛んで振り返った。
 
 「………え?」
 「こうやって一緒に出掛けてるのって、一緒に楽しむためじゃないですかっっ……それなのに真咲先輩の行きたい所に行かなくなっちゃったら……」
 
 潤んだ瞳を隠すように俯いてしまった彼女の頭に、彼の手がふわりと乗る。
 
 「………けどな?オレだけ楽しんでも、それはそれで意味ないだろ?」
 「……………っっ…」
 「一緒に楽しむんならおまえに我慢させてちゃダメだろ?」
 
 少し屈んで、俯いた彼女の顔を覗き込む。
 優しく諭すような口調に、彼女が言葉を探すように沈黙した後、口を開いた。
 
 「………我慢なんかしてません。先輩が…」
 「ん?」
 「入る前にっ……ちょっとだけ苦手だから手をつないでって言おうとしたのに、先輩がさっさと入っちゃったから……!つないでくれてたら怖くなかったんですっ!本当です!!だからもう一回…っっ」
 
 悔しそうに、腕を両手で引っぱる彼女。
 赤い顔で。
 ぷく、と頬をふくらませて。
 必死なその姿を見て、だんだんこみ上げてきた笑いを堪えきれずに、真咲が吹き出した。
 
 「なに笑ってるんですか!!」
 「いっ…いや……おまえって本ッッ当に負けず嫌いだなーぁ?」
 「べっ…別にそういう訳じゃ!…転んだだけで遠慮されるようなことじゃないって分かってもらうために!!」
 「泣いてましたけどー?」
 「か、花粉症です!」
 「震えて歩けませんでしたけどー?」
 「それは足が痛かったから!!」
 「オレが言うまで気付かなかったって言ってましたけどー?その上すっ転んで擦りむいた傷消毒するだけでビビったウサギみたいにプルプルしちゃって」
 「………もーーー!!先輩なんかだいっっキライ!!ひとりで行く!怖くなんかないんだからーー!!」
 
 勢いで彼の腕を振り切って今にも走り出しそうな彼女の両肩を、大慌てで真咲が抑える。
 
 「うぉ!?ま、待て待て待て!分かったからっ…ちょっとビックリした拍子に転んだ傷が治ったらもう一回連れてきてやる!だから今日は帰ろう、いったん帰って体勢を立て直して後日リベンジだ」
 「……えぇ〜〜…!」
 
 ふくれ面のままの彼女がこれ以上異論を唱える前に、彼が伝家の宝刀を抜いた。
 
 「……そういやさ〜すっげー美味い店見つけたんだよ。ポテトマカロニグラタンがもう絶品!」
 「……………グラタン?」
 「………あ。この前行った時クーポン貰ったんだった。七月末までにお食事の方にフローズンパフェ無料だっけか…」
 「パフェ!?ホントに!?」
 「オレ腹減ったから、これから行かねぇ?」
 「お付き合いしますっ!」
 
 るんたるんた♪と軽やかなケンケンで出口に向かう彼女に”足痛くないのか”と言いかけて、彼が慌てて口をつぐんだ。
 必殺技の威力を改めて痛感、苦笑した後、腕を貸すべく追いかけながらまた一つ心のメモ帳に書き留める。
 
 
 『彼女とホラー系の所に出かける時は事前に通達、心の準備をさせた上で必ず手を握るべし!!』
   おわり  |