|  ガッガッガッ、という擬音がしっくりくるほど見る見るうちに、昔話盛りしたご飯の量が減っていく。それに目を丸くしていたら、あが、と口を開けた先輩がお鍋の湯気の向こうからこちらを見た。
 
 「どした?」
 「いえあの…なんだかすごい勢いですね」
 「スゲエ美味いもん。昼ちょっとしか食ってねーし、早く食べないと食っちゃうぞ?」
 「私あんまりお腹空いてないから、慌てないで好きなだけ食べていいですよ?」
 「任せろ。…しっかし大根おろしを鍋に入れるのは盲点だったなー。ポン酢とかには入れるけど」
 「私、辛い大根下ろし苦手で、熱を入れれば辛みが消えるから。消化にも良さそうだと思ったら、お料理の本にも載ってました。みぞれ鍋っていうんだって」
 「確かになー…おぉ!?人参がお花だ。……いいよなぁ、こーゆーの」
 
 そんなことを話しているうちに先輩はお鍋を一人でほぼ完食し、私が洗い物をしている間にお風呂にお湯を張って。
 戻ってくると、流しの前の私にまたうだうだとまとわりつく。
 
 「…ちょっと、待って…あーもう!」
 「んー?」
 「お風呂沸いたんなら入っちゃってくださいー」
 「……優月…一緒に入んねぇ?」
 「そっっ…それはまた今度で!」
 
 危なくお茶碗を取り落としそうになるのを堪えると、先輩が名残惜しげに髪を撫でた。
 
 「じゃあオレ先に入ってくっけど、誰か来てもドア開けんなよ?応対もしなくていいから。宅急便も受け取らなくてヨシ。書留もこんな時間は来ない。お隣さんは空き部屋だ。」
 「子供じゃないんですから!」
 「いーやおまえが子ヤギなら一番に食われると思うね。いいか、オレとお父さん以外は狼だと思え」
 「先輩は違うんですか?」
 「うっ……それを言われるとヒッジョーに困りますがァー…」
 「でも狼が先輩なら食べられてもいいです♪」
 「うぉーい、ちょっと、ストップ!………いつもに増して破壊力が…」
 「はい?」
 「……風呂行ってくる。続きは後でな」
 
 大きな手のひらで頭をぽんぽん撫でられて、またお茶碗を落としそうになる。
 後でどんな風に続くんだろうと。
 
 
 
 10分ほどでお風呂から出てきた先輩を見て心臓が跳ね上がった気がした。
 いつもツンツンに立てている髪が、濡れて、下りて。
 黒いパジャマのズボンとTシャツ、首にバスタオルを掛けたまま冷蔵庫を漁っている。
 缶ビールを取り出して、こちらに向き直ってニヤリと笑った。
 
 「……今から先輩は飲酒しまーす。あ、異議はキコエマセンー」
 
 そう言って一気に煽って。
 
 「……うっし!…これで今夜は本当に帰さねーから」
 
 照れた顔でそんな風に言うから。
 まともに顔が見れない。
 
 「……てかおまえ、大きい荷物ないけど着るもんとかは?」
 「………えっ…あ、ええと……いつもお泊まりするちよちゃんとこにはパジャマとか置いてあるから…変に思われないように持ってこなかったんです。あの……下着なんかはあるので…Tシャツか何か貸してくれます?」
 「そっか。オレので良かったらパジャマの上貸すけど…ってかそう思ってバスタオルと一緒に洗面所に置いてあるから。予備の歯ブラシ出す?シャンプーオレのでいいの?」
 「……あ〜…だ、いじょうぶ、です。……旅行用の洗面セットある、から……」
 「……優月?気分でも悪いのか?」
 
 先輩が俯いた私の髪をかきあげて顔をのぞき込んでくる。
 帰らなくていいのが嬉しいのと、帰さないと言われたのが嬉しいのと、初めて見た先輩の姿にどんな顔をすればいいのか分からないのと、一抹の不安と。
 色んな感情がいっぺんに押し寄せて、何だか涙が出てしまったから下を向いてたのに。
 
 「優月!?……ごめん、嫌だったか?」
 
 泣き声が出ないように唇を噛んで首を振る。
 
 「…オレが怖い?なら何にもしねーから」
 
 『
  違う。 手を振って別れなくていいのが幸せで。
 遠ざかっていく車の音を聞かなくていいのが幸せで。
 二年も想われていたこと、想っていたこと。
 辛抱強く待っていてくれたこと。
 それでもこんなに大切にされているのが、幸せで。
 幸せで、嬉しくて、涙が出る』
 
 何度もつっかえながらもそう告げると、途中から回されていた腕に苦しいほど抱き締められた。
 
 「あたりめーだ、そんなこと。優月はオレのお姫様なんだから」
 「……真咲、せんぱ……」
 「さーぁ、お風呂に入っておいでお姫サマー♪楽しいホラー映画鑑賞会が始まるよー」
 「……う…やっぱり見るんですか………」
 「見るの。面白いよー?駐車場の監視カメラに半透明の足だけがすーっと……」
 「やめてください!髪洗えなくなるから!!」
 「真夜中で電車も来ないのに踏切が……」
 「いい行って来ます!!」
 
 耳をふさいで、鞄を掴んで、大急ぎでバスルームに飛び込んだ。
   ◇     ◇     ◇   「…………………………」「……あの…先輩……?」
 「……あー…こりゃ確かに、男のロマンだわ…」
 「……先輩…あんまり見ないでくれます…?」
 
 先輩の服の好みで普段の方が露出は多いはずなのに、好きなひとのパジャマ上だけを素肌に羽織って、本人に凝視されるのは何倍も恥ずかしい。
 無言の手招きに応じてそばに行くと、両袖を三回折り返された。
 
 「ハハハ、優月がもう一人入るな」
 「あ!また子供扱いした!」
 「してないよー?お菓子食べる?」
 
 思わず手が出てしまってから気が付いて。
 慌てて引っ込めたものの、それでまた笑われて。
 どうしようもないので先輩のベッドの枕を抱いてふてくされる事にする。
 先輩は、むくれる私になんだかんだと声を掛けながら、電気を消して映画を見始めてしまった。
 
 
  どうしよう。怖い、ものすごく。 
 見ないようにしているのに、暗闇に効果音が響く度に視線が画面に行ってしまう。
 デートで映画や怪談ライブに行ったときもそうだけど、先輩はホラーを見始めたら周囲の声が聞こえないほど集中してしまう。
 少しずつ近づいて腕に触れても画面から目を離さないので、安心して側にくっついた。
 
 「ハイ、掴まえた♪」
 「イヤァァ!?」
 
 ちょうど映画の中で亡霊が迫ってくるシーンで先輩が私を抱き締めたので、びっくりして思わずしがみつく。
 数秒後に気づいて逃げようとしたけど、ガッチリ抱え込まれて動けなかった。
 
 「ずるい!なんで意識あるの!?」
 「なんでって言われてもなー……好きな子がこんなカッコで側にいるのに集中できる訳ないだろ?」
 「………う…」
 「子供扱いしてないよ、ホントに。……ずっとドキドキしてんだからな」
 「………う、ん」
 「…ごめん、映画終わるまで待てねーわ…早く終わればいいなんて思ったの初めてだ」
 
 先輩はそう言って片手で持ってたリモコンでテレビを消した。
 
 
 
 「……暗いの怖い?」
 「平気、です」
 
 ダメだ、声が震える。
 暗いのが怖いわけじゃなくて、きっと痛いんだろうけどそれが怖いわけでもなくて。
 何だか全てが正反対に変わってしまいそうな不安。
 だけど、ちゃんと先輩のものになりたい。
 いつまでも甘やかされて大切に飾られて
  我慢させているのは嫌だ。 
 「……優月、どうしても嫌だったら”やめて”って言うんだぞ?イヤとかダメじゃやめないけど、それだけは自己暗示掛けてっからな」
 「はい」
 
 ベッドにそっと倒されながら、うるさい動悸の隙間で先輩の声を聞いて。
 パジャマのボタンを外される間中、なんとか指先が震えるのを止めようと強く指を握り込むと、それに気付いた先輩がその手をゆっくり開かせて自分の首に回した。
 
 「思いっきり掴んでもいいから」
 「…は、い」
 「なるべくゆっくりするから」
 「………は…っい…」
 
 先輩の唇が、おでこからほっぺた、耳元にキスを落として。
 そこで囁かれた一言で、何故か一瞬にして不安も震えも平気になってふわりと力が抜けた。
 
 
  ……ゴメンな優月、オレの為に痛い思いしてくれな。 
 
 
 その後の記憶はあまり定かでない。
 覚えているのは高熱に浮かされたような浮遊感。
 それと、甘いしびれるような痛みが夢の中からずっとあるような感じ。
 それから、先輩の腕と重さと案外柔らかい髪が、ずっと体に触れていたこと。
 
 眠って起きた感覚は無くて、すっきりしないまま目を開けると、すぐそこに先輩の顎があった。
 ボーっとしたまま見上げると閉じたまぶたに髪が掛かっている。
 それが見えてしばらくして部屋が明るいことに気が付いた。
 
 だんだん冴えてくる意識の中、鈍い痛みがそこにあることを自覚して。
 一番始めに良かった、と安堵した。
 
 でも、次に来たのは焦り。
 覚えてないけど恥ずかしすぎる。
 先輩が起きる前に何か身につけたい。
 できれば髪だけでも梳かしたい。
 シーツは汚さなかっただろうか?
 
 抱え込まれた腕の中、足先でショーツを探す。
 
 
  テテテテッテテテッテーテー♪ 
 いきなり先輩のメール着信音の火サスのテーマが部屋に鳴り響いた。
 悲鳴を上げそうになるのを何とか堪え、起きあがられても見えないように素早く毛布で先輩の身体と自分を区切る。
 あとはどうしようもないので寝たフリ。
 
 「……っ…ん〜……………ぅわっ!っと……ウルセーって…」
 
 起きて、私にビックリして、起こさないように慌てて携帯を止めている様子。
 危機的状況なのになんだか笑いそうになって困る。
 多分、メールを読んで、それからそぉ〜っとベッドを出て。
 ごそごそと服を着て。
 足音を忍ばせて部屋からキッチンへ。
 先輩が扉を閉めて二秒後にショーツを確保、そのままパジャマを確保。
 急いでパジャマを着てショーツを穿いて、ベッドシーツを確認する。
 
 「………っっ!?」
 
 シーツは無事なのに。
 起きあがった途端、身に覚えのある不快な感覚が動きを止めさせた。
 背筋が寒くなる。
 
 
  どうしよう。 コンビニ連れてってもらうしかない?
 なんて言って!?
 
 途方に暮れたその時、扉が開いて戻ってきた先輩と目が合った。
 
 「あー…あっと……その、大丈夫か?」
 「…はい。おはようございます……」
 「ごめんな、起こして。……櫻井からメールでさ、緊急っていうから何かと思ったら、新聞受けに入ってる物を優月に渡せって。……コレ」
 「………私に?」
 
 ちょっと憮然とした表情の先輩が、紙袋を渡してくれた。
 そっと中を確認する。
 
 「………………!!」
 「………何だ?絶対開封するなって、あいつ変なモン渡したんじゃねぇだろーな」
 「………い…」
 「…い?」
 「痛み止め、です……」
 「あぁ、そっか……そうだよな、ごめん気が付かなくて」
 「…ううん、私も気が付かなかったし…ちょっとトイレ借ります」
 
 なるべくそっと歩いてトイレに入り、紙袋の中のコンビニショーツ(しましま)とナプキンで人心地がつく。
 思ったほど出血しているわけではなく、トイレットペーパーに薄く色が付いたくらいなのでほっと胸を撫で下ろした。
 
 
  それにしても櫻井さんっていったい何者…? 
 ナプキンが最薄型のおりもの専用、バラで二個という周到さだ。
 痛み止めは箱ごと、見られてもそれと分かるように入れたのだろうか?
 今度会ったら奢らせてもらおう、と心に決めて部屋に戻った。
 
 ちょっと落ち込んでる先輩を慰めて、それから、今日は思う存分甘やかされたい
    おわり  |