| 豪華な天蓋付きベッドに、揺れるレースのカーテン。ふかふかの絨毯にアンティークの調度品。
 ガラスのテーブルに置かれたオルゴール付きの小箱には、最高級のチョコレートボンボン。
 
 生まれて初めてのその光景は、眠りから覚めた途端に目を疑う夢の世界。
 このチョコレート工場の後継者としてここに住むことになった少女シャーリーは、お伽話の中に迷い込んだ様な錯覚を覚え溜息を吐く。
 ベッドに起き上がったまま見惚れていると、下からシーツがツンツンと引かれた。
 
 揃えられたスリッパの横に、スリッパと同じピンクの服を着たウンパルンパが三人。
 二人は朝食のトレイを捧げ持ち、シーツを引いていた一人がペコリとお辞儀をした。
 
 「おはよう。…待っててくれたの?」
 
 床に膝をついてトレイを受け取ると、手の空いた二人も同じように頭を下げる。
 
 「ありがとう。」
 
 にっこりと微笑むと、ウンパルンパ達が照れた様に顔を見合わせて笑いあった。
 
 「人間の女の子を近くで見るのは初めてだからね。」
 
 ドアの方から掛けられた声に目を上げると、シルクハットをくるくると弄びながら立つ、このメルヘンの世界の主。
 コツコツと靴音を高く響かせて歩み寄ってくる。
 
 「おはよう、まどろみの子猫ちゃん!……………」
 
 朝の挨拶をしに来たはいいが、話す事が思い浮かばないらしい。
 困った様子で言い淀む彼にクスクス笑いながら、少女が答えた。
 
 「おはよう、Mr.ウォンカ。とてもよく眠れたわ。」
 「そう。それは良かった!……その、僕の事はウィリーと呼んで。」
 「ええ、分かったわウィリー。」
 
 少女がそう言うと彼は嬉しそうに笑って、シルクハットを花束に替えて差し出した。
 
 「ありがとう。わぁ、可愛い!」
 
 花束に顔を埋める少女。
 その隙に彼がウンパルンパ達をシッシッと追い払った。
 しぶしぶ、といった感じで彼等が部屋を出ていくと、ベッドに座っている少女の隣にぎこちなく腰掛ける。
 
 「朝御飯を食べるといいよ。」
 「ええ。……あなたは?」
 「僕?僕はもう…………食べてないよ、全然、一欠片も。」
 「じゃあ、一緒に食べましょう?一人で食べるのは慣れてないの。大勢の方が楽しいわ!ウンパルンパ達は朝ご飯、食べないのかしら。」
 「彼等は早起きだからみんな済ませちゃってる……と思うよ。」
 
 ちりんと鈴を鳴らすと、彼は高らかに言い放った。
 
 
  『今日初めての、僕の朝御飯を持ってきて!』  
 
 
 朝食を済ませ、ドラゴンボートに乗り込んでチョコレート・セーヌ・リバーを下っていく途中、シャーリーが少し考え込んで彼に告げた。
 
 「ねぇ、ウィリー。ホイップクリームの事なんだけど、どうしても牛をムチで打って作らなきゃダメ?」
 「うん。とっても美味しいんだよ!舐めてみたい?」
 「そうじゃなくて…ホイップは泡立てれば出来るわ。そうしない?」
 「どうして?だってホイップクリームを作るには昔からそうするって決まってるんだよ?」
 
 きょとんとする彼に、少女が微笑みながら慎重に言葉を選ぶ。
 
 「だってここは…“世界一”の、近代的なチョコレート工場でしょう?ここにいるのは羊とリスと牛とウンパルンパと私と、それからこの“世界一”の工場を作った“天才”ショコラティエのあなただけ。だから家族みたいなものよね?」
 「家族か、そうかもね!」
 「牛はミルクを出してくれているんだからホイップまでさせたら可哀想じゃない?」
 「…そうかな?」
 「そうなの。私、あなたの作る夢と不思議のいっぱい入ったチョコレートが大好きよ。だから誰も痛い思いをしなくていいホイップクリームを使いましょ?あんなに…その…スピーディなエレベーターが作れるんだから、“超おいしいホイップクリーム・マシン”なんて、きっとすぐに出来るわ、ねっ
  」 「そうだね……うん、良い考えかも知れない!フレーバーを入れたり色も付けられるしね。」
 「わぁ、素敵!私にピンクのストロベリーホイップクリームの味見をさせてね?約束よ、楽しみにしてるから!」
 
 内心安堵した少女が手を叩いて喜ぶのを見て、彼ははにかんだ様に俯き、大分落とした声量で呟いた。
 
 「分かった、じゃあすぐに設計図を書くよ。だから出来れば君は…僕にお茶を煎れてくれる?」
 「ええ勿論。お茶を煎れて、それから、邪魔にならないように後ろでずうっとあなたを見ているわ。いい?」
 「別に……見ていたければ見ていていいよ。」
 
 少しだけ頬を染めた彼が目線を外して、ウンパルンパ達によく通る声を張り上げた。
 
 
  『発明室に全速前進!』  
 
 
 彼女の煎れるお茶とウンパルンパが持ってきたマーマレードサンドイッチを少し食べた以外、ほとんど手を休めず設計図を書き続けた彼は、出来たそれをウンパルンパに渡して大きく伸びをした。
 
 「出来たよ、シャーリー!今日は、こんなに仕事をした事はないってくらい頑張ったよ。…それで、その…夕食も一緒にどうかな?“ディナー・スロット・マシン”のメニューに君の好きな献立も入れなくちゃならないし。」
 「家族ですもの、別々に食べたりしないわ。何も言わなくても、朝ご飯もディナーも一緒よ?おしゃべりしながらたくさん食べるの。」
 「……そうなの?僕が子供の頃は、父は診察の合間に食べていたし、僕は一口につき五十回噛まなくちゃいけなくてずっと数えながら食べていたから………」
 
 だんだん声が小さくなるウィリーに、少女が明るく笑う。
 
 「これからは一緒に食べましょうね。私、マカロニグラタンとチーズオムレツは絶対にメニューに入れて欲しいな。給食で食べたけど、あんなにおいしい物ないって思うわ。」
 「それはもう入ってるよ、気が合うね!デザートには何が良い?アイスクリームを乗せたガトーショコラは好きかい?」
 「わぁ、おいしそう!食べたことはないけど、ウィリーが好きならきっと好きよ。」
 
 ドラゴンボートに乗り込む彼女の小さな手を取り、隣に座らせて。
 動き出した途端、彼は急に訳の分からない不安に押しつぶされそうになった。
 この小さな手を、失いたくない。
 
 「シャーリー…………」
 
 楽しく弾んでいた会話が急に途切れたので、少女が不思議そうに彼を見つめた。
 はちみつ色のつややかな髪、マシュマロの頬。
 透き通った瞳は、ペパーミント・ドロップス。
 彼が今まで作ったどのお菓子よりも綺麗で甘い、その存在。
 
 本当に、いつまでもここに在るのだろうか?
 
 「シャーリー、僕は君に……何かしてあげたい。そうだ、誕生日だったんだよね!欲しいものは何?何でもいい、それを君にあげるよ!」
 「欲しいもの?……何かあるかしら…だって今すごく幸せで、これ以上欲しいものなんて…」
 「何か欲しがってよ、何でもいいんだよ!?」
 「…そうねぇ………あ!欲しいもの、あるわ!!」
 「何!?」
 
 少女の言葉を聞き漏らすまいと彼が身を乗り出した。
 
 「あなたが作ったチョコレート!」
 「………ああ…シャーリー…そんなのじゃない、もっと素晴らしい物だよ!大きなオレンジゼリーはどう?家くらいの!それとも綿菓子の野原でスキーをするとか……僕のチョコレートはものすごくおいしいけど誰でも買える。そんなのじゃ僕から君への贈り物にはならないよ。」
 
 落胆する彼に、彼女はくすくす笑って首を振った。
 
 「いいえ、きっと今まで誰も貰ったことのない素敵な物よ。私が欲しいのは、『あなたが作ったチョコレート』なんだもの!」
 「まさか……それって、僕が?一人で?」
 「ええ!ウンパルンパちゃん、手伝っちゃダメよ。いい?」
 
 ボートを漕いでいるウンパルンパ達が笑いながら何度も頷く。
 
 「シャーリー、僕の仕事は新しいお菓子のアイデアとレシピを作ることなんだよ?……魔法も機械も使わずに何かを作った事なんて……あ。」
 「そうね、魔法も機械も反則だわ。頑張ってね
  」 「………本当にそれが欲しいの?だってきっと上手くいかないに決まってるよ……」
 「大丈夫、難しいのじゃなくてただのチョコレートでいいの。あなたが私のために作ってくれる事が贈り物なのよ。そうしたら、あなたのお誕生日には心を込めてケーキを焼くわ!……そういうの、イヤ?」
 「まさか!嫌だなんて!………素晴らしいよ。」
 
 その夜、キッチンから騒々しい物音と叫び声が幾度となく廊下に響いた。
 
 
  『コゲてるっ!あち!うわぁぁ!ばんそうこうを持ってきて!!』    ◇     ◇     ◇   真っ白な朝の光と小鳥のさえずりが彼女の目を覚まさせた。何か騒がしい夢を見た気がするけれど、と思いながら身を起こすと、テーブルに黒い物が突っ伏している。
 
 「?」
 
 訝しく思って近づいてみると、大金持ちで魔法使いで世界一のショコラティエである彼がペンを持ったまま前後不覚で眠っていた。
 開けっ放しのオルゴール箱のなかには、包丁で何とか形にしようと悪戦苦闘した様子が伺える、たくさんのいびつなハートのストロベリーチョコレート。
 手の下の書きかけのカードをのぞき見て、少女はにっこり微笑み彼の頬に付いたチョコにキスをした。
 
 
  『お誕生日おめでとう。ずっと僕とここに居て……』    END. |