| ばたばた、と廊下にあわただしい足音が響きました。
 この世の終わりでもきたかのように全速力で走る彼に、作業をしていたウンパルンパたちは目をまるくします。
 お菓子のアイデアを思いついてスキップで跳ねてゆく彼には慣れていますが、そんなふうに走る姿は見たことがなかったからです。
 いったいなにごとか、と付いていきかけた者も何人かいましたが、やがてその先にだれの部屋があるかわかると、肩をすくめて仕事にもどりました。
 
 彼のたどりついた先は、みんなの想像どおり、彼女の部屋の前でした。
 ぜいぜいとはずむ息をととのえながら、ウィリー・ウォンカは懐中時計をとりだして時間を確認しました。
 
  もう、彼女の目覚める時間はすぎてしまっています。 
 「……シャーリー?」
 
 ドアの隙間から中をうかがった彼は、きょとんとしてドアをおおきく開きました。
 てっきりシャーリーはもう起きていて、『朝食の時間は守らないとだめよ?』と言われてしまうと思ったのに、部屋は静まりかえったままだったからです。
 ウィリーは首をひねりながら、後ろ手でドアを閉めました。
 
 部屋の中ほどまですすむと、ベッドのほうで人の気配がしました。どうやら、彼女はまだねむっているようです。
 シャーリーがねぼうするなんて、そうそうあることではありません。ものめずらしさでわくわくしながら、ウィリーはそっとベッドに近寄りました。
 窓からさしこむ光が、あたりを明るくてらしています。彼女がすこしまぶしそうに眉間にしわをよせたので、ウィリーはあわてて手のひらで影をつくりました。
 シャーリーはブランケットの端をひきあげると、またすうすうと安らかな寝息をたてはじめました。
 
 さて、これからどうしたらいいのでしょうか。
 このまましあわせそうな寝顔を眺めていてもいいのですが、たしか先日、彼女は彼にこう言ったはずです。
 
 『もしわたしが起きなかったら、ウィリーが起こしてくれればいいわ』
 
 今がきっと、その機会なのでしょう。
 彼はちいさく咳払いをすると、手をかざしたまま、ねむるシャーリーをのぞきこみました。
 
 栗色の髪が朝日にきらめいて、白いシーツにふわふわと広がっています。
 彼がえらんだ薄いオールドローズのナイトウェアを着て、夢でも見ているのか微笑みながらねむる姿は、まるで天使のようにみえました。
 両親とおじいちゃんとおばあちゃんの愛情を一心にうけて育ってきた彼女は、そこにいるだけで彼の心をあたたかくしてくれます。こんな愛すべき子は、世界中のどこを探したって存在しないと、彼はこっそりほくそえみました。
 けれどそれは、半分くらいは彼の大いなる主観とひいき目によるものでした。
 
 だって、シャーリーをはじめて見たとき、ウィリー・ウォンカは『なんてみすぼらしい子だ』と思ったのです。
 目鼻立ちは悪くないけれど、着ているものはすりきれた粗末な服で、髪は手入れされていないくせっ毛。血色もあまりよくありません。
 『貧しいとは言っても、もう少し愛情をかけてあげればいいのに。もしこの子が選ばれるなら、その理由はただ“言動が不愉快でない”というだけだろうな』と眉をひそめたことなど、彼はすっかり忘れています。
 
 だから、彼女が最後にひとり残ったとき、彼はシャーリーにかつてなかったほど上等な生活をさせてあげようと思いました。
 最高級の食事、ぜいたくなドレス。髪も手も美しく整えさせ、ウンパルンパたちにかしずかれる、お姫さまのような生活。
 一度も味わったことがないはずのそれを与えれば、彼女は今までの貧しい生活を捨てて自分だけの後継者になってくれる、そう信じて疑わなかったのです。
 
 けれどそれをあっさりと断られて、二度目に家族としての彼女を得たとき、彼の頭からそんな考えはすっかりなくなっていました。
 いごこちのいい部屋やベッドは最優先で用意しましたし、彼女が必要だと言ったものはすべて揃えましたが、彼女を無意味に飾りたてたりすることは思いつきもしませんでした。
 
 「?……なぜだろう?」
 
 ふいにわいた疑問に、彼は思わず呟きました。
 いくら考えてみても、ウィリー・ウォンカにはわかりません。シャーリーを心から愛しているのであれば、彼女をおめかしさせてきれいな服を着せるのは、ごくあたりまえのことです。
 この髪も、こんなくせっ毛ではなくきれいなウェーブにしてあげれば、彼女はよろこんでくれるでしょうに。
 
 でも、頭ではわからなくても、彼はちゃんと理解していました。
 
 お金をかけた最高級の食事よりも、彼がつくった最高のチョコレートを。
 ぜいたくなドレスよりも、彼とおそろいのあたたかいコートを。
 きれいなパーマをかけるよりも、まいにち寝る前に髪をとかしてくれることを。
 
  それこそを、彼女はよろこんでくれるのだと。 
 意図しなくても自然にそうしてきた彼は、しばらく考え込んだあと、頭をふって考えるのをやめました。
 どちらにせよ、シャーリーがよろこんでくれていることには自信がありますし(ときには過信になってしまったりもしますが)、今までやっていなかったのなら今日からやればいいだけです。
 今日は仕事はぜんぶやめにして、外からの仕入れを担当しているウンパルンパの所へシャーリーを連れて行こう、と決めてから、ウィリーはおそるおそる手を伸ばしました。
 
 ブランケットから出ている指にふれると、彼女がちいさくみじろぎます。
 そのまま片手で手をとって、もう片方で栗色の髪をなでると、碧の瞳がうっすらと開かれました。
 今日はじめてそれに映るのが、ほかでもない自分であることにどきどきしながら、ウィリー・ウォンカはベッドの脇にひざまづいて彼女の頬にふれました。
 
 「おはよう、シャーリー。その……すごく……いい朝だね?」
 
 とまどったように口ごもる彼に、シャーリーはゆっくりと瞳をまたたかせると、ふわっと綿菓子のような微笑みをうかべました。
 
 「おはよう、ウィリー……あなたにこんな風に起こしてもらえるなんて、わたし、すごくしあわせだわ……」
 
 そのことばに含まれる微妙な意味に気づくことなく、ウィリー・ウォンカはもう一度、シャーリーの頬におはようのキスをしたのでした。
   END. |