カチコチと規則正しい音が部屋に響いている。 
恐ろしい争いは、あれから火に水を打った様に急速に静まり。 
昼は明るい陽の光と、賑やかな再建の音。 
夜は星を包む闇と、穏やかな時を刻む音。 
 
ソフィーは足元で丸くなっているヒンを起こさないようにそっと寝返りを打った。 
暗い室内が時折、微かなはぜる音と共に暖かい色で満たされるのはカルシファーの寝息だろうか。 
薄く目を開けては、ちいさなため息をついて閉じる事を繰り返し繰り返し。 
 
 もう…寝ちゃうからねっ。 
 
何度目かの台詞を、またも心の中で呟いて、毛布を頭の上まで引っ張り上げた時だった。 
 
カチ…カチリ。 
 
ドアのカラーロックが外れる音に、ソフィーの心臓が一瞬飛び上がって指先にピリっと電気が走った。 
慌てて毛布から顔を出し、呼吸を整える。 
なるべく安らかな寝息に聞こえるように。 
 
キィー……パタン……コツ、コツ、コツ……。 
 
カルシファーが起きたらしく、まぶたの裏が少し明るく揺れる。 
靴音はまっすぐ階段を上がって、すぐそばで止まった。 
顔に掛かった彼女の伸びかけの髪が持ち上げられて、指からサラサラとシーツに落ちる。 
 
「………ただいま、ソフィー。」 
 
微かに一言呟くと、飽きることなく何度も髪を梳いては落とす。 
くすぐったくて、照れくさくて、首をすくめたくなるのを何とか堪えていると、やがてすっと立ち上がる気配がして。 
 
コツ、コツ、コツ……コツ、コツ……。 
 
部屋の中を歩いては、こちらをうかがい、また歩いたり。 
窓に引かれたカーテンを、少しだけ開けて元に戻したり。 
そしてしばらくの沈黙。 
 
コツ、コツ、コツ、ドサッ。 
 
足音が少し遠ざかったのを機に、彼女はそっと目を開けた。 
先程より大きな物音を立ててかまどの前の椅子に腰を下ろした彼は、眠りに戻っていたカルシファーが燃え上がるのも構わず、大きなため息をつく。 
 
「……あ〜ぁ…」 
 
ギシッと椅子を軋ませて背もたれに寄りかかる。 
 
「…つっかれたなぁ〜…」 
 
キィ、キィと椅子を揺らして独り言。 
 
「…あったかいお茶…飲みたいなぁ…ねぇカルシファー、起きてよ…風呂にお湯送って。…ねえってば。」 
 
明るくなっていた部屋がすぅっと暗くなり、ハウルの不満げな声。 
どうやらカルシファーは寝ると決めて、薪の陰に隠れたらしい。 
 
「…ちぇっ、なんだよ…もういいよっ。」 
 
ガタン、と椅子を蹴って、また足音が近づいてくる。 
堪えようとすればするほど笑いは増して、寝顔には戻せそうもないから。 
表情を悟られない内に、ソフィーはむくっと起き上がった。 
 
「………あら、ハウル…お帰りなさい。」 
「あ!ただいまソフィー!起こしちゃった?ゴメン…今、今帰って来たんだよ。起こさないように、なるべく静かにしてたんだけど。」 
 
満面の笑みで足早にベッドに歩み寄って、額に口づけるともう一度さっきの位置に跪く。 
 
「今日はね、サリマン先生が見つけた新しい魔法の実験台にされてさ、大変だったんだ。……ソフィー、眠い?」 
「いいえ、結構早くベッドに入ったから。…でもハウルは疲れてるでしょ?大変だったんだから。」 
「…あ、うん…そうなんだけど……」 
「じゃあ、部屋に帰ってベッドに入らないとね。眠らないと疲れが取れないわ。」 
 
少し意地悪をしてそう言うと、彼はじれったそうに上目遣いで見上げた。 
 
「うん、でもね、面白かったんだよ。……どんなだったか、ソフィー、聞きたくない?」 
「そりゃあ聞きたいわ、すごく。」 
「じゃあ、僕の部屋へ行こう!眠くなるまでだったら話してあげる、ねっ?」 
 
勢い込んで立ち上がろうとする彼の手を取って、ソフィーは驚いたように言ってみる。 
 
「ハウル、外は風が冷たかったでしょう?お風呂はいいの?お茶は?」 
「いい、何もいらない。ソフィーと寝るとすごく暖かいから。」 
 
ひらりと毛布ごと彼女を抱き上げて。 
立ち上がった彼が不思議そうに聞いた。 
 
「そういえば…ソフィーの部屋作ったのに、どうしていつもここで寝てるのさ?」 
「だってここだと、ハウルにいちばんに『お帰りなさい』って言えるでしょ?…カルシファーには負けるけど。」 
「そんな事ないよ、カルシファーは僕が帰ってきても眠ってるし。僕に『お帰り』を言ってくれるのは、いつもソフィーがいちばんだ。」 
 
すたすたと階段を昇りながら、ハウルが忌々しそうに言う。 
途端に、さっき寝たふりをしていた時の、彼のすねた顔が頭に浮かぶ。 
 
 アレを見るために、でもあるんだけどね。 
 
くすくす笑うソフィーの顔を覗き込んで、ハウルが首を傾げた。 
 
「何でもないわ…大好きよ、ハウル。」 
 
足でドアを開ける彼の耳元でそう囁いてから、頬にキスをする。 
顔色ひとつ変えずに『僕もソフィーが大好きさ。』と返す彼の髪を揺らす微かな風。 
 
 彼のことを知らない人はこの国にはいないだろうけど。 
彼が照れた時、必ず正面から風が吹いてくるのを知っているのは、多分私だけね。  
FIN.  |