コンコン。
軽くノックされた音に顔を上げて、天之橋は時計に目をやった。
ひとつ頷くと、つと立ち上がってドアに近づく。
「天之橋さん。お邪魔してもいいですか?」
「どうぞ、お嬢さん」
来客が予想通りだったことに微笑み、彼女をソファへ促す。
いつものお茶会と同じ動作。けれど、今日はひとつ違っていることがある。
窓の外には、白く眩しい朝の光。
「準備は終わったのかい?」
「はい。まだ出発時間まで間がありますから、それまでは教室で待機しているようにって」
「おや。もしかして、抜け出してきたのかな?」
少しだけ言い含める口調で問う彼に、少女はぷるぷると首を振った。
「ち、違います。ちゃんとせんせぇに言ってきましたっ」
「氷室君に?……なんて?」
「え?なんてって……理事長のところにご挨拶に行ってきます、って」
「…………」
「今日は、夕方来れないし……明日も。……だから」
気遣うような表情になった少女に、思わず苦笑が漏れた。
今日と明日、彼女は氷室と二泊の旅行に出掛ける。
もちろん二人きりではなく、彼女を含めて二年生の生徒が数十人。
この時期、はばたき学園では毎年、自由参加で合宿旅行を行っていた。一応は、最高学年になる前に復習を兼ねた集中学習を行うという名目だけれども、それは凡庸な日々の授業と掛け離れた小旅行で。
学園から少し離れた高原の小さなホテルを借り切って、食事は自炊。風呂は天然温泉。勉強時間にはスキーの実習も含まれている。
朝夕4時間ずつの勉強時間を差っ引いても、参加者は少なくなかった。
少女も多分に洩れず軽い気持ちで参加を申し込んでいたのだが、直前になって変更された日程を聞いて驚いた。
二泊三日のちょうど中日が彼の誕生日と重なっていたから。
昨年から色々とお祝いを考えていたのに、こんな自由参加の旅行で駄目にしたくはない。
けれど、彼女から聞くよりも先に日程の変更を了承していた天之橋は、微笑んで彼女を諭した。
「私の誕生日を祝おうとしてくれるのは嬉しいけれど、そんな理由で断ってはいけないよ」
「どうしてですか?」
少し憮然として、少女は言葉を返した。
「天之橋さんにとっては“そんな理由”なのかもしれないけど、私は楽しみにしていたんです!
……そ、そりゃ、私が楽しみにしてても……意味ないですけど」
もぐもぐと口ごもった彼女に目を細め、優しく言い聞かせる。
「そういう意味ではなくて。お祝いをしてくれるなら、別にその日でなくても良いだろう?
帰ってきたらすぐ週末だから、もし君が良ければどこかに出掛けようか」
「でも………」
「それに、君は生徒側の連絡係なのではないかね?今から他の誰かに申し送りを任せるのは不安があるし」
「……………」
「大丈夫だよ」
黙り込んだ彼女の髪を、天之橋はさらりと梳いた。
「例え傍にいなくても、君の気持ちは……」
「え?」
驚いた顔の彼女に気付き、途中で言葉を止めて。
それからわざとらしく咳払いをすると、小さく肩をすくめる。
「いや。君が祝ってくれる気持ちは、十分に分かっているから。
君が私の立場だったら、私を責めたりはしないだろう?」
「それは……そうですけど」
「なら、そんな顔をしていないで。金曜に帰ってきたときに、君が真っ先に私の所に来てくれれば十分だよ」
からかうようにそう言って、天之橋は片目をつぶってみせたのだった。
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