「天之橋さん!すっごいきれいですよ〜!」
「そうだね。風が強いから、あまり走ってはいけないよ」
クリスマスイブを明日に控えた休日。天之橋と少女は、ドライブのあと臨海公園に立ち寄った。
ここ数日ですっかり冬らしくなった気温をものともせず、展望台への煉瓦道を軽やかな足取りで歩いていく少女。ご機嫌な表情は、次の日の予定が楽しみだから。
イブの夜のディナータイムを、学園のパーティという職務に費やさなければならない彼に、少女は無理を言ったりはしなかった。
イブは駄目でも、クリスマスに一緒にいてくれればいいと。そうはにかんで言った彼女は、やはり少しだけ寂しそうな顔をしていて。
初めて二人で過ごすクリスマスに気を遣わせたくなかった天之橋は、前々から考えていたことを提案した。
「学園のパーティが終わるまで、私の部屋で待っていてくれないかな」
パーティはそれなりに遅い時間まで予定されていて、主催である彼は来客の見送りをするまで抜ける訳にはいかない。終わってからどこかに出掛けようにも、時間的に無理がある。
だからイブは仕方ないと諦めていた少女は、思いがけない誘いに目を丸くして彼を見た。
「あまり長い時間一緒にはいられないけれど、せっかくのクリスマスだからね」
「え……、でも……いいんですか?お仕事なのに」
「勿論。ケーキを買って、二人で改めてパーティをしよう」
言いながら彼女の髪をそっと撫でた天之橋に、少女は一瞬躊躇ってから、嬉しそうに頷いた。
「じゃ、じゃあ私、ケーキ焼いていきます!あんまり上手ではないけど……がんばりますから!」
「それは楽しみだな。……パーティが終わるのが8時だから、おそらく9時頃には戻れると思う。
あまり待たせてもいけないから、時間を見計らっておいで」
「はい!」
そうして、それは彼女にとって指折り数えるほど待ち焦がれていた予定になったのだけれど。
「……………え?」
展望台に着いて、冷たい北風を受けながら彼を振り向いた少女は、何気なく渡されたそれにふと視線を落とした。
説明のない贈り物に、首を傾げて。
しかし、それが何であるのか思いついた途端、正面の彼を凝視する。
慌てて、焦って、少女は首を振りながらそれを押し戻した。
「だ、ダメです!こんなもの、受け取れませんっっ」
「どうして?」
その反応を見透かしていたように答え、天之橋はくすりと笑った。
彼女の戸惑いを敢えて無視して、その手中にあるものの説明を始める。
「これが外門の鍵。キーを通すと自動的に門が開くようになっているから、気をつけて。
それから、屋敷のそばの通用門をこのカードキーで開けて。中に警備員がいるから、IDカードを見せる。
君の顔はもう見知っていると思うけれど、一応、ね」
「天之橋さん!」
「それからこれが、屋敷の鍵。普通、警備員から連絡が入るから君が開ける必要はないが、夜や休日は使用人が少ないから」
「天之橋さんってば!」
顔を紅潮させて叫ぶ彼女に説明を終えてから、天之橋はその掌を握らせて微笑んだ。
「明日は私の家を訪ねてくれるのだろう?通常なら執事がいるけれど、あいにくパーティの準備に忙しいからね。
そうでなくても、深夜や休日は私も自分で開けるようにしているから、それがないと入れないよ」
「だ、だからって……!」
少女は口ごもり、この上なく困った表情をした。
友達の家の鍵を預かったりするのとは訳が違う。あの大きな屋敷に入る手段を預かるということがどういうことなのか、考えることさえ気後れする。
もし失くしてしまったらどうなるんだろう、と怯えながら、彼女はキーケースに収まったひと揃いを見て途方に暮れた。
「……パーティの準備があるのでしたら、私、昼間のうちに行って待ってますから……」
「そんなに長い時間、待たせる訳にはいかないよ」
「でも……だって……」
「………迷惑なのかな?」
少しだけ気遣わしげな視線に、少女は意味も分からずふるふると首を振ると、泣きそうな瞳で彼を見上げた。
「でも……でも、天之橋さん。こんな大事なものをお預かりして、もしも失くして誰かに悪用されたら」
「うん?」
「大事に保管しますけど、でも、万が一の時にどうなるかと思うと……」
とてもお預かりできないです、と呟いて、両手でキーケースを差し出す。
その必死の表情を、天之橋は驚いたように見て。
次の瞬間、安堵の混じった苦笑を浮かべた。
「……。その鍵は、君にしか使えないよ」
「え?」
「IDを登録してあるからね。外門は開けられても、通用門を通ることはできない。それに……」
天之橋はふと言葉を切ると、微妙に視線を彷徨わせた。
「……それにその、私はそれを、明日のために君に預けたいのではなくて、だね。
その……それはきっかけというか、口実というか……」
「?」
「いやその、明日ももちろん楽しみなのだけれど、本来……その、鍵を渡すというのは……だ、ね」
「???」
きょとんとした彼女の様子に、平静を保とうと思っていた頬が赤らんでいくのを感じながら、天之橋はようやく告げるべき言葉を囁いた。
「……君に……持っていてほしいと思って」
「え?」
まだ理解できていない少女が、真っ正面から見つめ返してくるから。
逃げ出したくなる気持ちをどうにか抑えて、ポケットに入れていたもう一つの鍵を取り出し、キーケースの上に小さな音を立てて置く。
「私の部屋まで……ひとりで来れるかい?」
「!!」
急にその意味を理解したように、少女の瞳が見開いて。
かっと一気に頬を染めると、慌てて目を逸らして俯いた。
家人の案内もなく部屋を辿るのは、と、心配していた気持ちがひっくり返って。
鍵を渡されたということは、それを全て許されたんだということに気付く。
もちろん、黙って鍵を使ったりすることはないだろうけれど。
それは彼が、プライベートの時間と空間全てに、彼女の存在を許したしるし。
どんなときも、どこにいても、いつも傍にいてほしいという気持ちのあかし。
黙って俯いたまま、差し出されていた彼女の両腕がゆるゆると降りていく。
その手がゆっくりとキーケースを握りしめたのを確認して、天之橋は照れながら、しかし満足そうに笑った。
それから、ふるりと体を震わせて目元を拭う彼女を、困ったように見て。
哀しい涙ではないことは知っているけれど、目にすればどうしても狼狽えてしまうから、コートの合わせ目を開いて腕の中に閉じこめた。
「……では、明日を楽しみにしているよ。家の者にもちゃんと伝えておくから、心配しないように」
「は……い……」
彼女の髪に顔を埋めていてやっと聞こえるくらいの涙声が、北風の音に乗って聞こえてくる。
小さな頷きとともに。
FIN.
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