「私に?」
少し面食らった顔でそう問い返した天之橋に、彼はニッと笑って見せた。
「こないだのお礼ですわ」
「この間?」
「ほら、氷室先生から逃げてた時、黙っといてもろたでしょ」
「……ああ」
思い当たって頷き、天之橋は少しだけ厳しい目をする。
「だからといって、君のやったことを誉めはしないよ。
氷室君だって、君たちを苦しめたくて補習をやっているのではないのだからね」
「分かってますーて」
「あの日以外はきちんと出たようだから、ただのエスケープではないのだろうけれど」
「え?」
一瞬呆気にとられて、まどかは彼を見返して。
次の瞬間、苦笑しながら肩をすくめた。
「なんや、チェック済みかいな」
「当然だろう。君を信用しない訳ではないが、もしあんなことが毎回ならば看過できないからね」
「あの日は、バイト先で急に欠員が出て……仕方なかったんですわ」
「そうか。仕事に責任を持つのは良いことだが、できるだけ約束は守りなさい」
その言葉に意外と素直に頷いてから、まどかは手にしていたビニール袋を掲げた。
「てーことで。食べたって下さい」
いつものように笑う彼に、天之橋も笑顔を返して。
がさがさと袋をから取り出されるそれの置き場を作るために、机の上の書類を脇にまとめた。
「じゃじゃーん!姫条特製のたこ焼きや!
冷めてもうまいように作んの、めっちゃ大変やねんで〜」
「ほう。こういったものは、一般家庭でも作れるのかい?」
「あったりまえやんか、関西人にとっては心の港やで。みんな家にたこ焼き器持ってんねん」
「……本当かね?」
「いや、みんなは嘘やけど」
調子よく喋りながら、まどかはたこ焼きの上からソースとマヨネーズをかけて、青のりを振っていく。
その手際の良さに感心しながら、天之橋はおかしそうに口元を弛ませた。
「光栄だね。君の腕前は、女性のためのものなのだろう?」
「せやで〜。男に食い物作ったるやなんて普通はサブイボやねんけど、今回は特別や。
さ、できたで、理事長はん!食べてみたってや!」
「ふむ」
差し出された皿に礼を言ってから、天之橋はそのひとつを口に入れた。
期待に満ちた目で、まどかはそれを眺めている。
「……うまいやろ?」
「うん。美味しいよ、さすがだね」
素直な賛辞に、にまっと笑って。
自分の分を食べてみて、まどかは満足そうに頷いた。
「うーん。うまい!オレって天才かもなぁ……」
「秋の文化祭で出店したら、大人気になるだろうね。やってみるかい?」
「お、取り計ろうてくれます?」
「ああ。今年からクラス参加以外にも有志での参加を認めるそうだから、ちょうど良いだろう」
「そら〜面白そうや。数こなせるよう、知り合いに声かけてみますわ」
他愛もない話を弾ませながら、周到に用意した日本茶を紙コップに注いで、まどかが彼に差し出した時。
コンコン、と小さなノックの音がした。
「あ……」
「?……あぁ」
一瞬、それだけで反応した彼を怪訝そうに見た後。
何かを察したまどかは苦笑して、椅子を立ってドアに近づく。
ドアの向こうには、予想通りの少女。
彼女はドアを開けた人物に目を丸くして、思わず部屋のプレートを見直した。
「ちゃんと理事長室やで〜?」
「……あ、びっくりした。まどかくん、何やってんの?」
「今、理事長はんにオレの腕を自慢しててん」
「……?」
その言葉に不思議そうに首を傾げた彼女は、微笑んで部屋の主に挨拶をした後、机の上のそれを見つけて歓声を上げた。
「あ、まどかくんの手料理!?うそ、私の分は?」
「はー?なんで自分の分があんねんな」
「え〜、私も食べたい!だってまどかくんのゴハン、すごくおいしいもん!
こないだのチャーハンなんてプロ級だったよ!」
「そらーな、ええ男は何やってもキマるからな〜」
軽口を叩きながら、ちらりと天之橋の方を見ると、ほんの少しだけ微妙な表情をしている。
吹き出したくなるのを堪えて、まどかは自分の皿を取り上げた。
「ほな、一個だけ食べさしたろか?」
「え?ほんと?」
「ほら、あーんしてみな」
ひとつだけ残ったたこ焼きを楊枝ですくい上げて差し出すと、少女は何の躊躇いもなく口を開けた。
「!」
後ろの空気が緊張するのを背中で感じて、心の中でほくそ笑んで。
まどかはそれを、さもうっかり手を滑らせたかのように取り落として見せた。
「……あ」
「あーっ!!」
見事に床に落ちたそれに、少女は悲愴な顔をする。
「ううううう……。まどかくん、ひどい……」
「スマンスマン。オレのはもう無うなったから、理事長はんにもらってや」
「え?」
「理事長はん、に分けたってくれへん?」
急に振られて、天之橋は数回目を瞬かせて。
取り繕うように微笑むと、もちろん、と頷いた。
「いいんですか?天之橋さん……」
「ああ、構わないよ。美味しいから食べてごらん」
少しだけ遠慮するような素振りは、嬉しさに消されてしまって。
少女はぱたぱたと彼に近づくと、机の端に両手を揃えてあーん、と口を開けた。
「……!??」
思わず狼狽えてしまう彼の向かいで、まどかがしてやったりと指を弾くのが見えた。
そのままわざとらしく肩をすくめ、落ちたたこ焼きを拾って小さく呟く。
「あー。手が汚れたから、洗いにいかんとなー」
「き、きじょ……」
「ほな、そゆことで」
天之橋の救いを求めるような視線をきれいにかわして、まどかは足早に部屋を出て行く。
後に残ったのは、困惑する彼と、食べさせてもらうのを大人しく待っている彼女。
彼女に気づかれないようにため息をついて、天之橋は楊枝を取り上げた。
これ以上時間をおいたら、彼女が別の意味で遠慮を始めてしまうから。
小鳥のヒナに餌付けをするようなものだからと、殊更に脳内変換を働かせて。
どうにか彼女の口元にそれを運ぶと、本当にヒナのようにぱくんとくわえて笑う可愛らしさに、笑みが漏れた。
「ほんとだ……すごくおいしいです〜」
もぐもぐと頬張りながら、少女は嬉しそうに首を傾げる。それにほっとして。
「もっと欲しかったら、食べて構わないよ」
「ほんとですか?」
「ああ、好きなだけ食べると良い。…!?」
思わずそう、言ってしまってから。
嬉々として再び開けられた口に、表情を凍り付かせて。
天之橋はあえぐように息をついて、ずれてもいない眼鏡を上げる動作をした。
FIN.
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