「おはようございまぁす!」
元気な声が、スタッフルーム内に響く。
中にいたチーフやスタッフたちは、笑顔で同じように挨拶を返した。
「アラ?、今日は早いのね」
いつものバイト時間より30分以上早い彼女の出勤を、フィッティングルームから顔を出したオーナーが迎える。
「えぇ。ホントは天之橋さんとお茶する予定だったんですけど、断って来ちゃいました」
彼を見て、てへっと照れ笑いする彼女に。
「アラアラ。どういう風の吹き回し?アナタが一鶴を袖にするなんて」
からかうような言葉を浮かべた花椿は、次の言葉に口を閉ざした。
「花椿せんせいにご相談があるんです。あの、少しだけお時間を取れませんか?」
「……………それは、構わないけど」
一鶴ではなくて、アタシに?と瞳で問うと、頬を染めて頷く。
わずかに何かを考えてしまいそうな自分に気づかないふりで、花椿は振り返って声を掛けた。
「じゃ、後は任せたワ。オーナーズルームにいるから、何かあったら内線してチョウダイ」
「はい先生」
チーフの返事を聞いてから、少女の背中を押して上階へ促す。
ぱたぱたと軽快に階段を上る彼女の後に、花椿も続いた。
「で?相談っていうのは何かしら?」
布片やデザイン画が散らかるオーナーズルームで、お茶を淹れながら尋ねる。
「えっと……」
少女は言い淀みながらその辺を片づけている。チーフがそれを見たら青ざめて止めるだろう、と思いながら、花椿は微笑みを浮かべた。
拘りが煩い趣味人の自分が、置いてあるものを少し動かしただけでスタッフを怒鳴りつけたことがあるのを、チーフは知っているから。
もちろん、彼女にもそれは言ってあるのだけれど。
『いくらなんでも、もうちょっと片づけなければダメです』という、幼くも可愛らしい意志の力を感じて、花椿はそれを咎める気にならなかった。
拘りが深いからこそ、気に入ったものにはとことん甘くなってしまうのが、趣味人というものである。
「さあ、それくらいで良いでしょ?お話しする時間がなくなるワよ」
お茶を目の前に置いてそう言うと、少女は頷いて手を止め、礼を言った。
「……えっと……実は、この服なんですけど」
ごそごそとバッグを探り、一着の服を差し出す。
「……これは?」
「花椿せんせい、どう思います?」
抽象的な問いをかけられ、しばらく服を眺める。
「うん、デザインとしてはなかなか悪くないわ。生地もいいの使ってる。
でも。こういっちゃなんだけど、アナタの趣味とは……」
「そうなんです」
ふう、と小さく息をつく。
それは、ため息という程ではなかったけれど、少し困っている色を含んでいて。
花椿には、事情が読めてしまう。
「そうねぇ。一鶴は一流を見極める目はあっても、趣味のどうこうはまるでダメだから。
それにしても、もうちょっと考えればいいのにネ」
そう言うと、少女の顔がぱっと赤らんだ。
嘘をついたりとぼけたりできない彼女を、一瞬からかおうかと思ったが、可哀想なので止めておく。
「で?これをどうしようって?」
さりげなく話を続けると、少女はふるっと頭を振ってなんとか平常を取り戻した。
「えっと……そうなんです。天之橋さんにプレゼントされたんですけど……ちょっと、着こなす自信が無くて。
花椿せんせいに何かアドバイスを頂けないかなって」
「アドバイスねぇ」
思わず、笑いが漏れた。
少女は、元々の趣味もあるのだけれど恋人の好みもあって、どちらかというと大人っぽい服を好んでいる。
まさにこのジェスで売っているような、シンプルでエレガント系の服。
高校の時は少し辿々しい感もあったが、大学生になって一層磨かれた彼女にはそれがよく似合っていた。
しかし。
目の前の服は、どちらかというとレースやフリルを使った可愛い系の服で。
もちろん安っぽくはなく、上品で落ち着いてもいるのだけれど、シンプルな服を着慣れている彼女が戸惑うのも理解できた。
「まぁ、一鶴の世代では、18やそこらの女の子に似合う服っていったらこうなるのかしらね」
自分も同じ世代のくせして、ぬけぬけと言う。
一応フォローのつもりだったが、おかしそうに笑いながらではその効き目は薄い。
少女はくすりと笑って、大袈裟にため息をついてみせた。
「気を遣ってくださらなくてもいいのに」
その言葉に、花椿は内心で驚いた。
もし、在学中の彼女であれば。
この服をプレゼントされて初めに出てくる言葉は、『私ってそんなに子供っぽく見えるのかな』という悩みの言葉であったろうから。
彼が、自分の好みを年若い恋人に押しつけてしまっているのではないか、と考えてこの服を選んだであろう事が、つきあいが長い花椿には分かる。
しかし、それを自分と同じように見抜いて、同じように余裕の表情で笑っていられる姿。
強くなったワね……このコ。
彼らの絆と少女の意志の強さに感嘆を贈ってから、花椿はうーんと考え込んだ。
「これをらしく着こなすとなったら……どうしようかしらネ」
しばらく悩んで、ハサミや裁縫道具を持ち出す。
少女はびっくりした顔で、慌てて立ち上がった。
「は、花椿せんせい!?」
「何?まさか、切ったりしちゃイヤって言うんじゃないでショね?」
「そ、そんなことはないですけど……そんな本格的にやり始めたら、時間が……」
「ああ、今日はいいワ。チーフに連絡しといて、思いついてアレンジに入ったからアンタはその手伝いだって」
「そ、そんな……」
思いがけず大事になった事態に尻込みする少女に構わず、花椿はすでに製作に入っている。
彼女は仕方なく、階下の店へ連絡するべく受話器を取り上げた。
◇ ◇ ◇
「………おや?」
店内に入ったところで、天之橋はふと首をかしげた。
そんなに広くもない店内には、目当ての少女の姿は見えない。
今日はバイトの日だったと思ったので、用事の帰りと偽って迎えになど来てみたのだが……もしかして間違いだったろうか?
誰かに尋ねようかと迷う前に、店員の一人から声を掛けられた。
「ああ!先生なら上にいらっしゃいます。御案内しましょうか?」
見ると、何度か顔を合わせた事があるチーフがにこにこ笑いながら立っている。
天之橋は微笑し、上がって構わないのかな、と言うように上を見て首をかしげた。
「ええ、先生からいつも言われてますから」
どうぞ、と示されるスタッフルームへの扉を開けて、上階への階段を教えられた天之橋は、礼を言ってそこを上っていった。 |