「私と君は、その、年も離れているし、君はまだ、あまり…これ以上…その、必要としていないかもしれないが」
声がうわずるのを自覚しながら、男は目を泳がせた。
「……きみはそうして……私の腕の中で安心している……ああ、それは本当に嬉しいことなんだが。
だが……私は、だね。……快楽が欲しいのではなくて、その、君自身が…………」
言いよどむ言葉。以前、一度聞いたことのある台詞。
あの時は意味が分からなかったが、今はわかる。気持ちを確かめ合った今ならわかる。
少女の気持ちも、同じだったから。
「天之橋さん……」
少女は恥ずかしそうに呼び、表現の仕方に迷った末、勇気を振り絞って自ら口づけた。
「」
驚く彼に、俯きながらうなずいてみせる。
男はしばらく逡巡した後、彼女の肩を抱いて囁いた。
「……今夜は帰さなくても……大丈夫かい?」
少女の答えは沈黙だった。
◇ ◇ ◇
窓から、宝石のような夜景が見える。
同じ館内のスカイラウンジから、何度も見たことのある夜景。しかし今夜は、その光が揺れているように見えた。
少女はそれを眺めながら、小さく息をついた。
「家に連絡はしたかい?」
バスローブに身を包んだ男が、しずくを拭いながら声を掛けた。
彼の風貌に、超一流ホテルのローブはとても似合っていて、一瞬目を奪われる。
それを隠すように、少女は目をそらして答えた。
「はい。いる場所さえ知らせておけば寛大な親ですから。……こんな高級ホテルに泊まってるっていうのは、さすがに驚いたようですけれど」
「………」
気遣わしげな視線に、少女は無理をしていない笑顔を向けた。
「大丈夫ですよ。後ろめたいことがないのは声で分かってくれましたし、それに、大人のひとと付き合っていることは知っているみたいですから」
「えっ?……それは、その……私だということを?」
少し狼狽えた言葉に、くすりと笑う。
「いえ。天之橋さんの立場に迷惑がかかるといけないですから……。ほんとは、笑って喜んでくれると思うんですけど」
いや、喜ぶというよりもおもしろがると言った方が正しいか?
少女は両親の性格を思い出して、真顔になった。
「そ、そうか。いや、私のことなどどうでもいいのだよ。誰に聞かれても私は、胸を張って君のことが好きだと言えるんだから。
君は、自分のことだけを考えるんだよ」
「はい」
その言葉に従う気はなかったが、少女は素直にうなずいた。
「それでいい。……では、シャワーを浴びておいで?」
満足げな彼にもう一度うなずいて、彼女はバスルームへ向かった。
少女がバスルームから出てくると、男はベッドに横になりファイルのようなものを見ているところだった。
お仕事でも持ってきたのかな、と少女は思い、少しだけ気持ちの温度が低くなる気がした。
「やあ、早かったね。こっちへきて見てごらん」
しかし男は彼女の姿を見ると、笑顔で手招きした。
「なんですか?」
見ると、ルームサービスのメニュー。ホテル内のレストランから、あらゆるものをデリバリーできるらしい。
「なんでも好きなものを頼むといい。ほら、これなんかいいんじゃないのかい?」
指し示されたのは、フランス風のデザート。普段なら目を輝かせそうな生クリームやチョコレートに、しかし、彼女は首を振った。
「いいえ、私はいいです。なにか飲み物をもらえますか?」
「そうか…。では、ワインにしよう。本当はいけないんだがね」
少女の様子に言及せず、唇に指を当ててウインクする。
「今日は、特別だ。内緒だよ」
いつもより明るいその態度で、少女は理解した。
彼が、自分を気遣ってわざとそうしてくれているのだと。
ホテルを予約するときも、彼はわざわざプライバシーの守れるインペリアルスイートを選んでくれた。
そんな高い部屋でなくて普通でいいです、と少女は言ったが、彼は笑って答えなかった。
元来、日本有数のホテルのスイートは、支払い能力だけでは予約できない。スイートルームにふさわしい客でないと、予約がいっぱいということで断られることが多いと聞く。
何度か行ったスカイラウンジでの対応を見ても、男がそのホテルにとって上位におけるような客であることは分かったが、当日の予約で最高級の部屋が取れる、ということがどのくらいすごいことかは、少女にはわからない。
しかし、その部屋に泊まる者は、最大級の歓待を受けることができた。
エントランスからして一般とは別で、車のキーを預け、名前を言うだけでチェックインの手続きもない。
小さな荷物も専任のドアマンに持たれてしまい、直行のエレベータで最上階まで運ばれる。
ドアマンの丁寧な、しかし慇懃無礼ではない心配りに恐縮しながら、少女には彼が少女のためにそこを選んだことが分かったのだ。
一般の客や質の悪いドアマンの好奇の視線に、彼女が晒されないように。
自分のような年の離れた者と一緒の部屋に泊まる、そのことで彼女が妙な誤解を受けないように。
少女は、バスルームにいる時からどきどきと張りつめている胸の内を、少しだけ撫で下ろすことができた。
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