「………ぅ」
ほんの小さく呟いて、少女は口元に手を当てた。
その動作は、何気ない風を装ってはいたけれども、ベッドの脇で彼女を注視している彼が気づかないわけはなくて。
「だ、大丈夫かい!?」
本人よりもよほど焦った声がかけられ、手が所在なげに彼女の髪をかき上げた。
少女は急いで笑顔を作る。
「大丈夫、です。ちょっとだけ……」
「食べられそうにない?」
誤魔化そうとするのを見透かされ、言葉に詰まる。
天之橋は小さく息をついて、食事のトレイを少しだけ彼女から遠ざけた。
具合の悪い彼女を、べたべたに甘やかしたいのは山々だったけれど。
それでも、懸命に心を鬼にする。
「しかし……少しは食べないと良くならないからね。焦らず、少しずつでも口に運びなさい」
少女は、昨日から水分以外全く口にしていない。けれど熱の所為でぼうっとしているらしく、それを重大事だと思っていないようだった。
「だいじょうぶですってば……食べなくても……」
「大丈夫な訳はないだろう?」
「だって……食べたくないし……無理に食べて気持ち悪くなるよりは、食べない方が……」
「食欲がないのは分かるけれど、少し無理をしてでも食べないと体力が戻らないよ?」
「でも……吐いたりするよりはましでしょう?」
「……全く」
いつもと違って、ぐずぐずと言い訳する彼女を持てあます。
コックが腕によりをかけたあらゆる食べ物を、手を変え品を変え出してみたけれども効果はなくて。
唯一口にしてくれるのは、アルカリ飲料と紅茶だけ。それだけではたいした滋養にはならない。
溜息をつきたくなるのを堪えて、天之橋は熱っぽいその頬に指を滑らせた。
「君は私に、心配ばかりかけるね……少しは私の身にもなってくれないかな。
無理をしろとは言わないけれども、食べずにいたらどんどん胃が食べ物を受け付けなくなるだろう?
少しで良いから、頑張って。でなければ、私まで具合が悪くなってしまいそうだ」
我ながら、こんな手は卑怯だと思うけれど。
今はもう、他の手が思いつかない。
自分のことを甘やかしている彼女に、せめて食べる努力をする気持ちを持たせる方法が。
思惑通り、少女は目を見開くと、眉を顰めてトレイに目をやった。
そこに並ぶ流動食や果物、氷菓子などを、困り果てた顔で凝視する。
天之橋の哀願するような視線を横から受けながら、どうにか彼女が選んだのは、フルーツの乗ったヨーグルトだった。
「…………。」
泣きそうな瞳がこちらを向くのに、甘やかす台詞が口を突きかけるけれど。
きゅっと唇を咬んで、我慢する。
「一口でも良いから。ね?」
そう、殊更に念を押すと、少女は頷いてスプーンを手に取った。
しかし、カチャカチャと手を動かしてフルーツを細切れにはするが、一向にそれを口に運ぼうとはしない。
ついに。
天之橋の口から溜息が漏れ、手がそれを取り上げた。
一瞬、怒られるかと目をつむって身をすくめた彼女に。
ほんの少しヨーグルトをすくって銜え、そのまま口づけを落とす。
冷たくて甘酸っぱいものが、喉を滑り降りる感触。
あんなに口に入れるのが億劫だったのに、飲み込んでみるとそうでもなくて。
でもそれよりも、された行為の方に驚いて、少女はぽかんと呆気にとられた。
「……気持ち悪くなったかい?」
あまりにまじまじと直視されることに、少しだけ照れた声音。
それに引きずられるように頬を染めて、少女は俯いてぷるぷると首を振った。
「そうか。では、もう少しだけ食べられないかな?」
「だ、だめです!」
「……どうして?」
「だって……感染っちゃいますから……」
ぽそぽそと呟かれる言葉に、苦笑。
「感染せば、治るよ」
使い古された台詞を吐きながら、天之橋はもう一度彼女にキスをした。
FIN.
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