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 superstition−迷信− 

天之橋は、ふと、何かに気づいたように口を閉ざした。

「………?」

天之橋邸での、いつものお茶会。
少女の話題はいつも通りぽんぽんと変わって。
楽しそうな笑顔はいつもと同じく、彼を全く飽きさせない。
しかし、その中で一つだけ、いつもと違う箇所があった。

天之橋は話し続ける少女に一瞬だけ躊躇した後、すっと手を伸ばして、頬に落ちた伸びかけの髪を耳に掛けた。
「え?」
脈絡のない彼の行動に、少女は話を止め、首をかしげた。
「……これは?」
言われる台詞にもう一度首をかしげ、次いで気づいたように耳に手をやる。
「あ、あ。これは……」
少し顔を赤くして、少女は上目遣いに彼を見上げた。
「………似合いませんか?やっぱり」
心配そうな少女に、天之橋は穏やかな微笑みを向けた。
「いや。よく似合っているよ」
それは、心にない言葉ではなかった。

プラチナ台にアメジストをあしらった小さなピアス。
けして大仰なものではないけれど、その色から、質のいい石であることが知れた。
デザインもシンプルそのもので、それが天之橋の持つ彼女のイメージにぴったりで。
思わず、笑みがこぼれてしまう。

少女はほっとした顔をして、胸に手を当てた。
「よかった。似合ってなかったらどうしようって、心配だったんです」
「けれど、どうしたんだい?急に。……それに」
もう一つのことに気づいた天之橋が言い淀むと、少女はあっと声を上げて、何もないもう片方の耳に触った。
「えっと。別に、特に意味はなくて……ただ、このピアスをもらったから、なんとなく思いたって。
 でも、自分であけたら上手くできなくて、片方だけ」
「もらった?……それを?」
つい、その言葉に反応してしまう。
小さいとはいえ、これほど質のいいものならば、ただの友人からのプレゼントなどではないはずだ。
いったいどこの誰にプレゼントされたのだろうか?

気を揉む彼に気づかず、少女は嬉しそうに頷いた。
「ええ。昔、買ったときは高かったんですって。でも今、うちの母はホールふさいでますから、使わないともったいないって」
「!……そうか」
話途中で安堵し、その感情に苦笑しながら、天之橋はお茶のお代わりを注ぐ。
少女は無意識に耳を撫でながら続けた。
「今はピアサーがあるけど、昔は縫い針とかであけてて、すごく痛かったらしいですよ。
 ……でも。ピアサーでも十分痛いと思うんですよね」
あけたときの痛みを思い出したのだろう、表情を曇らせる少女。
その仕草が可愛らしくて、天之橋は思わずからかいを含んで返した。
「それで?片方をあけたら痛かったから、もう片方は止めてしまったのかい?」
途端に、少女はむっと唇をとがらせて彼を見た。
その言葉に、悪気のない揶揄を感じたからだ。
「……子供っぽいって思ってますね?天之橋さん」
少女の拗ねた表情に、大袈裟に驚いた顔をしてみせる。
「まさか。そんなことは思っていないよ、ただ……」
「ただ?」
もう一度、微笑を浮かべて、天之橋はお茶を手に取りながら平然と呟いた。
「可愛いなと思っただけで」
「……………」
同じことです、と怒ってもよかったけれども。
あんまりとろけそうな笑顔で言われたので、少女は思わず赤面した。
取り繕うように取ったカップが、かちゃんと音を立てる。

彼女のほほえましい態度を、天之橋は目を細めて見ていて。
その余裕の表情が悔しくて、少女はふと思いつきを口にする。
「そうだ!……天之橋さん、お願いがあります」
「?なんだね?」
「こっちの耳、天之橋さんがあけてくれませんか?」
彼の表情が変わったのを見て、少女はしてやったりとほくそえんだ。
「実は今、ピアサー持ってるんですよ。これって一瞬であくから、自分でやるとずれちゃうんです。
 だ・か・ら、片方だけでやめちゃったんですけどね」
痛くて止めたんじゃないです、と言外にアピールして。
少女はごそごそとバッグを探った。
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
打って変わって焦りの色を浮かべ、天之橋はカップをテーブルに置く。
「それは、その……私よりもっと向いている人がいるのではないかね?
 例えば、そう。水月さんとか」
そう、抗弁した彼に。
少女はすまして言った。
「ダメです。母なんかに頼んだら、軟骨とか変な所にあけかねません」
「軟骨?」
「耳たぶじゃなくて、ココの上の方。初めてあけるピアスだからやっぱり、普通のとこがいいんですけど、うちの母って面白がる人だから」
「……それは分かるけれど」
その理由は、認めざるを得なくて。けれど、自分が彼女の耳に傷をつけるなんて、考えただけで寒気がする。
絶句する天之橋を見て、少女は少しだけ可哀想だったかなと思った。

彼がそんなことをできないのを承知で、とりあえず言ってみたのは、揶揄の仕返しだけが原因ではない。
高校時代、彼女たち女子高生の間にはいくつもの伝説があって。
それは教会の伝説に始まり、学園の七不思議や氷室先生ロボ疑惑まで、様々だったけれども。
その中でも、圧倒的に支持を受けていた噂があった。

『片耳のピアスを自分であけて、もう片方を好きな人にあけてもらうと、ずっと一緒にいられる』

それは、他愛ないおまじないのたぐいではあったけれど。
自分の努力とは別次元で、神秘の力を試してみるのが大好きな彼女たちは、そういった伝説に熱心だった。
少女も例外ではなく、親友たちと色々なおまじないを試してみたりはしたが。
でも、このおまじないだけは、自分の場合は無理だろうなと思っていた。

だから。

「やっぱり、いいです。片方だけっていうのもカッコイイと思うし」

悲愴な顔をしている彼に笑って、そう告げたとき。
何かを考えている風な天之橋が一瞬だけ眉をひそめ、決心したかのようにため息をつくなんて、思ってもみなかった。

「……ちょっとだけ、待っていなさい」
「?」
少女が不思議そうに彼を見上げると、居たたまれなさそうな表情をしながらも、彼はかたんと席を立った。
「氷を持ってくるから」
「!!」
まさか、本気でやるとは思っていなかった少女は、驚いて目を見張った。
「え、えぇ!?い、いいです、そんな!」
「嫌かね?」
「い、嫌じゃないですけど、私は……でも、天之橋さんは
嫌なんじゃないんですか?と聞く間もなく、彼は部屋を出て行ってしまった。

「…………うっそぉ…………」

信じられない出来事に、呆然として見送った彼女は。
もう一つの伝説の存在を、知らない。

天之橋が若い頃の女の子たちも、やっぱり今と変わらずおまじないが大好きで。
きゃあきゃあと嬉しそうにはしゃいでいた彼女たちの会話を、小耳に挟んだことがある。
そして、今までまったく忘れていたそれが、先ほど天之橋の頭に蘇ってしまったのだった。
そのとき。少女たちの間で囁かれていた、噂。


『片方だけのピアスは、恋人を探している印』

FIN.

あとがき