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 恋は盲目 

ずるい。

一瞬浮かんだのは、そんな思いだった。

羨望?うらやみ?そうではない。そんな、甘い感情ではなく。
これは、そう。明らかな嫉妬。

 

◇     ◇     ◇

 

期末テスト中のある日、私は、教会近くの薔薇園を通りかかった。
帰宅するにはそんなところを通る必要はないのに、無意識に期待していたのかもしれない。
私が今、一番気になっているあのひとは。
その薔薇園を、ことのほか大切にしていたから。

「……………」

期待通り、その人は、薔薇たちの中にいた。
変わりがないか確認するかのように、ひとつひとつ、花を眺めている。
ふと。
体の向きを変えて、彼の表情が見えた、その時。
私は、胸の奥からわき上がる感情を感じた。

なぜ、そんな風に思ってしまったかは分からない。
でも、その時の私は、彼の愛でる薔薇とその薔薇に愛されている彼に、どうしようもない嫉妬を感じた。


『アンタ、とんでもなくしたたかなコだよね』
顔もよく覚えてない、他のクラスの女子。
いきなりそう声をかけられた放課後、私は、きょとんとして彼女を見た。
『え?』
『おとなしそうな顔してさー。私、可愛いんですってアピールして。あちこちの男とデートしまくってるらしいじゃない?』
『……!』
絶句する私に、彼女は嘲るように笑った。
『葉月に、鈴鹿に、三原でしょ。まぁあの三人は気に入ったらあばたもえくぼだろうけど、守村や姫条までとはねぇ。1年の日比谷、果ては氷室先生にまで、媚ふりまいて。ご苦労さんだね』
私は咄嗟に、言い返すことが出来なかった。
たしかに。皆と出かけたことがあるのは、本当だったから。
『あと〜。ここんとこの話も、聞いたよ?』
彼女の瞳が、黒い悦びに細くなる。私はぞっとした。
『よっっくやるよねぇ。エンコーのつもり?それとも、冗談?
 まぁ、金ヅルって面では使えそうだけど、利用するつもりで利用されちゃってたりしてね〜。
 アンタも、高いもん買ってもらうまではカラダ許しちゃ駄目だよ〜!』
あははは、と甲高い笑い声をあげて、彼女は踵を返して去っていった。
私はついに、何も言い返すことが出来なかった。


なつみんに言わせれば、学園の人気者である彼らにあこがれる子はたくさんいて。
その全員と友達である私なんかは、格好のターゲットだということだった。
ショックに耐えきれず相談したとき、なつみんは意地でも犯人を捜し出して一言言ってやる、と息巻いてくれたけれど。
私はもう、二度と会いたくはなかった。

したたか、と言われたことはいい。
私にとって皆は友達だけれど、彼らを好きな人から見れば、そう見えるかもしれない。
でも名前は出さなかったけれど、明らかに彼のことを言われたそのセリフは。
最初にこの上ないショックをもたらし、そのあと、怒りではなくため息を生んだ。

私と彼が一緒にいて、そう邪推されることが。
仕方ない、と思う自分がいるから。
今は、この想いを秘めているから、この程度のからかいで済むけれど。
私がいま、一番気になるのが彼のことだと分かったら……ううん、私が本気で、彼のことを好きになってしまったと分かったら。
なんて、言われるんだろう。
そう思うと、泣きたい気持ちになってしまう。
きっと、なつみんでさえ、驚いて私を止めるに違いない。
彼のことが好きなら、他を気にする必要はないなんて。
そんなことを思えるほど、私は自分に自信がない。

もしかしたら、冗談で、誘われているのかもしれない。
他の子と、一緒に下校している姿も見たし。
他の子を、レディと呼ぶところも見た。
でも彼がデートに誘うのは、私以外にはいないみたいだったから。
それだけが、私のささやかな自信の礎だった。

だけど、それももう、駄目かもしれない。
そのことがあった後すぐ、デートに誘われて。
私は思わず、手厳しく断ってしまったから。
普通だったら、もう私なんかを誘ったりしないだろう。

そんなことが、脳裏を通り過ぎて。
気がつくと、私は唇を噛み締めてしまっていた。
  

彼は、風で折れてしまったのだろう、地面に落ちた薔薇のつぼみを拾って。
その芳香に目を伏せながら、ゆっくりと振り返る。


意外とまつげが長いことも。
薔薇を持つときは、その手が優しくなることも。
眼鏡に隠された瞳が、綺麗な藤色であることも。


そんなことは全部。ずっと前から、知っている。


彼はお金持ちだし。たぶん、仕事も出来る人。
天之橋家といえば、はばたき市でも一番の名家で。
物腰も洗練されていて、包容力だってハンパじゃない。
女の子の喜ぶ言葉を、いつでもくれるロマンチスト。
優しくて、趣味が良くて、何にでも造詣が深くて。
スポーツが得意で頭も良くて、背も高い。

それなのに。
  
  
「おや、くん。今帰りかな?」
立ちつくした私にかけられた、言葉に。
「………はい。これから、家に帰って勉強を……」
私は、当たり障りのない言葉で答えた。


それなのに、赤い薔薇なんかが似合ってしまう容姿まで持っているなんて。
ただの子供である私は、じゃあ、どうすればいいの?
あなたが持つ、その薔薇みたいに。綺麗でもあでやかでもない、私は?


考えるうちに、苛立ちが外に出てしまった私の小さな変化を読み取って。
彼は少し、気遣うような微笑みを見せた。
「おっと……勉強だったね?がんばって。はい、これは励ましの一輪。」
手にした、綺麗な薔薇を渡される。
「ありがとう、ございます……じゃあ。」
憎憎しい自分の考えがイヤで、踵を翻した、私の耳に。

「あっ……!くん!」
焦ったような、子供のような、声が聞こえた。
「………え?」
思わず、素で振り返ると。
彼は私の腕を掴みそうに出した手を、あわてて引っ込めるところだった。
「………どうしたんですか?天之橋さん」
意外なその態度を見て、私が不思議そうに聞くと。
彼は、目を泳がせながら決意したように言った。

「その……もしよければ、なんだが。
 今度の日曜日、ドライブに行かないか?」

私は、きょとんと彼を見返した。
言われた意味が分からなかった。

私、誘われた?
昨日、あんなにきっぱりと断ったのに?
なんで?どうして?

その答えが出せないうちに。
気がつくと、私は微笑んでしまっていた。
「はい。……嬉しいです」
思わず心が弾んでしまう、そんな表情を隠さないまま、手を後ろで組んで。
私は嫉妬の対象の半分である薔薇を、くしゃりと握った手の中に封じ込めた。


やっぱり。
わたし、したたか…かもしれない。

FIN.

あとがき