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 スゥイート・オン・ユー 

  

ふむ」

ソファにもたれたまま一つ頷いて、テーブルのお茶を手に取る。
目は書類に落ちたまま。初々しい新入生の資料は、職務を超えて彼に微笑みを浮かべさせた。
もちろん全てを暗記出来るわけではないが、それをただのデータとしてではなく生徒の情報として把握する目的で、天之橋は毎年目を通すことにしている。

今年は去年よりも生徒数が増えた。経営状態としては結構なことなのだけれども、目が行き届かなくなる可能性が高くなってしまう。
いずれ職員会議にかける必要があるかもしれない、と考えながら、天之橋が書類を避けてお茶をテーブルに置くと。
その動きで、右肩に掛かっていた重みが少しだけ身じろぎをした。

思わずそちらに目を移して。
少しだけ意味の違う、微笑。

そこには、自分の右側面に背中を預けて膝を立て、一心にファッション雑誌を読みふけっている少女の姿。
鼻歌が聞こえてきそうなほどリラックスした態度が、自分に対する親しみや気の置けなさを示しているようで、微笑ましい。

くん」
「んぁ?」

声をかけると、かくんと仰向けに頭を倒して自分の右腕に預ける仕草をする。
彼女の髪に触れて、手にした書類がかさりと音を立てた。

「面白いかね?」

書類がバラバラにならないように避けながら訊く天之橋に、はおかしそうな表情で真下から彼を見上げた。

「そりゃね〜好きで読んでるし。リジチョは仕事、おもしろい?」
「面白いか面白くないかで考えたことはないが……そうだね。今日の仕事は少し、楽しみかな」
「?なんの仕事?」

その言葉に興味を惹かれたような彼女に少し躊躇してから、手にした履歴書を何枚か渡す。
本来それは、機密事項ではあるけれども。
それをここだけの話にするという節度を、彼女には求めるまでもないということが分かっているから。

「へえ、新入生?こんなの、いちいち理事長がチェックしなきゃダメなの?」
「駄目と言うことはないが……」
「あ、すっごい!医者の息子だって!でも見ためがちょっとね〜。
 コイツはまぁまぁカッコイイけど、もう一声かなぁ。リジチョ、コレ、全部見せてくんないかな」
「こんな書類で恋人でも探すのかね?」
「へ?」

視線を遮っていた履歴書をどけて、もう一度見上げて。
笑っている天之橋を一瞬、驚いた顔で見てしまってから、はようやく人の悪い表情を浮かべた。

「そっか。年下っていうのも、ハヤリだよね」
「そうだね」
「カワイイ子がいたら、考えようかな〜。他のも見せてくれる?」
「申し訳ないけれど、これは機密書類だからね。恋人なら実際に見て探しなさい」
「見たって、金持ちとか分からないじゃん?顔がいーのは分かるけどさ」
「裕福さと外見だけで、恋人を決めてしまうのかい?」
「それだけじゃないけど。金持ちで、カッコよくて、性格がよくて、勉強はできなくていいけどバカじゃなくて、趣味も悪くなくて、スポーツが得意でアタシより背が高くてアタシのことを一番好きだったら、それで我慢するよ」
「我慢、ね……」

クックッと可笑しそうに笑う彼は、焦りや苛立ちなどとは無縁で。
は、心の中で舌打ちをした。
少しくらい焦ってみたらいいのに、と思ってしまう自分が、悔しい。

天之橋はことあるごとに、まるで冗談のように気安く、自分のことを好きだと口にする。
けれど自分は、この人のことを特別に好きではないと思っているのに。
これではまるで、自分の方がよっぽど彼を気にしているようだ。

はふてくされた表情になって、預けていた頭を起こそうとした。
刹那。


低い位置にある、無防備な額に。
覆い被さるように降りる唇。


「………あまり欲張るのは、良くないと思うよ。
 そうだね。君より背が高くて、君のことを一番好き、くらいにしておきなさい」
「……………………リジチョって、わりと体、柔らかいよね」

意味が分からないわけではないのに、関係のないことを呟きながら身を起こすのは、照れ臭いから。
それを証明するように真っ赤になっている耳をちらりと見て、天之橋はもう一度くくっと笑った。

「………もう、教室帰る!昼休み終わるし!!」

苛立たしげに言って、テーブルに散らかしたままだった購買の紙袋に、昼食のパンが入っていた袋を放り込む。
それをくしゃりと握りつぶして、は天之橋の方を見ないまま、乱暴にドアに手を掛けた。

「ああ。くん」
「…………何」
「今日は、部活は何時に終わるのかな?」
「何で」

掛けられた声にも振り向かない、つむじを曲げてしまった彼女に。
天之橋は、後ろから彼女が開けかけたドアを手で押さえて、耳元に囁いた。

「よかったら、一緒に帰ろう。バイト先まで送るよ」
「…………」

一瞬だけ。
言葉を考える分だけ、時を置いて。

「…………お茶!理事長の、奢りでね!」

条件付けに見えて、実は言い訳。
それが分かっているから、思い切り頬を弛ませた。

「承知致しました、お嬢様」
「たぶん五時半くらい。終わったら、来るっ」
「お待ちしております」

おそらくまだ、顔を赤くしているのだろう。
は振り返らないままで、恭しく開けられたドアをくぐって、パタパタと廊下を駆けていった。
それを見送って。


「………あまりに無防備なのも、問題だね。
 そんなに可愛らしい反応をしていると、いつか、泣くことになるかもしれないよ?」


独り呟き、天之橋はドアに手を掛けたまま、もう一度笑ってみせた。

FIN.

あとがき