苦笑しか浮かばない。
第一印象は、それだけ。
「長ったらしいだけで、ぜんっぜん面白くないよね!!」
入学式が終わった後、初々しい新入生が笑顔で走り回るのを微笑ましく眺めながら散策していたら、そんな声が飛び込んできた。
思わず、曲がりかけていた角の手前で止まる。
どうやら、自分の入学式での挨拶について憤慨しているその女子生徒も新入生らしく、同級生に自己紹介をしているところだった。
「アタシ、!」
とりあえず、その名前を聞いてしまって。
予鈴が鳴った所為で同級生と別れ、パタパタと近づいてくる足音に一瞬、回れ右しようかとも思ったけれど。
そのまま、彼女がぶつかる寸前で立ち止まるまで、待ってみた。
一体
どんな反応を示すのかと思って。
「やあ、お嬢さん。ご機嫌はいかがかな?」
微笑んで首を傾げる天之橋に、彼女は一瞬驚いた顔をして。
すぐに、彼を上回る笑顔になって、頷いた。
「最高です、理事長」
◇ ◇ ◇
ふと目を上げて、天之橋は没頭していた書類から意識を外した。
時計を見ると、既に14時。今日は半日以上をこの書類に費やしてしまったが、集中しただけのことはあって順調に完了していっている。この分なら、あと30分もあれば終わるだろう。
さて、その後はどうするか。以前から気になっていた、たまっている会議資料を整理するか、来週の予定を確認するか。
とりあえず一息つこうとインターホンでお茶を頼みかけてその手が、ぴたりと止まった。
「……こら。まだ授業は終わっていないだろう?」
かちゃ、と少しだけ開いたドアに向かって、ため息をつく。
その声音を確認して開いたドアから、制服姿の少女がひょいと顔を覗かせた。
「今は休み時間デスヨ〜?理事長?」
「では、休み時間が終わったら教室に戻るのだね?」
笑いそうになるのを堪えて厳しい顔をしてみせるけれども、そんなものを意に介す彼女でないことは分かっている。
は伺いもせず部屋に入ると、入り口近くのソファにぽすんと腰掛けた。
「もっちろんそのつもりですよ〜。でも私、身体が弱いから……一度座ったらなかなか立てなくなるかも」
「……………全く」
「あ!リジチョ、アタシも!」
いきなり楽しそうな声を上げられて気づくと、インターホンの受話器を取り上げたまま。
察しの良い彼女に、無言で。
事務室に回線を繋ぐ。
「すまないが、紅茶をふたつ頼む」
「あ〜、アタシはレモンティーで」
「………レモンティーを」
受話器を置き、天之橋は椅子に座ったまま彼女に向き直った。
お茶くらいは、いつでもご馳走するけれども。
授業をサボるのは、いいことではない。
「くん。お茶を飲んだら、遅れてもいいから授業に出なさい。次は確か数学だろう?君の大好きな氷室君の授業じゃないか」
はソファに深く沈むと、横目で天之橋を見て笑った。
「アタシが好きなのは、嫌がらせができるときだけです。さすがに授業中はまずいっしょ?
ヒムロッチは良いけど、守村とかね〜マジメに勉強してるヤツにメーワクだし?」
「ほう。だが、だからといって君が授業に出ない理由にはならないが……」
「大丈夫大丈夫。今日は小テストで単位に関係ないし、受けたってどーせわっかんないし。
それより、昨日のバイトきつくて……ちょっとだけ休憩させてくださいよ」
厳しい顔のままの天之橋に対して、あくびをしながらごろごろする。
どう考えても、言うことを聞きそうにはなかった。
「君は、少し授業する側の立場に立った方がいいと思うよ。試験問題を考えるのも色々と気苦労をしているようだし、そもそも授業をさぼられるのは教師にとって非常に憂鬱なのだからね」
「えー?でも、ヒムロッチは試験問題を考えるの、趣味じゃないですか」
「………」
「サボっても、落ち込んだりしないし」
「……………」
「アタシだってねえ、時と場合と人は選んでますよ〜。国語の内田ちゃんとかだったら、きっと泣き出しますよねえ」
「…………………全く」
半ば説教のつもりで告げた言葉を。
は、やっぱり笑いながら論破する。
「君は、不真面目なのか律儀なのか分からないね。規律を守るのも、学生生活に大切なことだよ?」
「たまに破るために、いつも守ってるんです。あ、ここにいるのがマズいなら他、行きますけど?」
わざとらしく腰を浮かしかけるに、天之橋はまた、ため息をついた。
そんなことを言われるとは毛頭思っていない彼女に、他に行きなさいと言ってみてもいいのだけれど。
むくれた彼女が、帰ってしまったら困るから。
多分、次が最後の授業なのにが帰らずにいるのは、自分がこれから言う言葉を見透かしているのだろう。
「………では、一時間休んだら清掃とSHRには出なさい。今日は部活もバイトも休みの日だろう?
きちんと義務を果たしたら、帰りに君の行きたがっていた店に連れて行くから」
「やった!」
が歓声を上げて立ち上がった、その時。
コンコン、とノックの音。
天之橋が答える前に、は親指を立ててみせると、無言のまま隣接する書斎にするりと滑り込んだ。
それは、自分の居場所がばれるのを恐れているのではなくて、ひとり足りないクラスで授業をしなければならない彼女のライバルに、天之橋が責められるのを防ぐため。
「失礼します」
お茶を運んできた秘書が、一人だけの彼に少し不思議そうな顔をする。
それに応えず、テーブルに置くよう手で合図しながら、肩をすくめる。
頭の回転が遅いわけではないし、進んで人を気遣うこともできないわけではない。気が強く物怖じもせず、場の雰囲気を読むのも上手い。
その気になれば素晴らしいレディになるのに、と、ついつい考えてしまってから。
天之橋は苦笑した。
「うっわ、ミルクレープじゃん!ラッキー!!」
秘書が気を利かせて運んできた、お茶請けに小躍りしている姿。
上に飾られた生クリームを、指で掬って舐めてみる仕草も、窘める気にはならない。
彼女のレディとしての素養を確かめてしまうくせに、それを強いることができない自分に。
やはり、苦笑しか浮かばなかった。
FIN.
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