続いて、新郎の所属するモデル事務所の社長様より御祝辞を戴きます。
心地良いざわめきに満たされた式場内に、そんなアナウンスが響いた。
堅苦しくない雰囲気の中で、かしこまって目を向ける客はそう多くなくて。
けれど、しばらく経ってもスピーチが始まらないことに、ぽつぽつと客が気づき始めた。
雛壇の真ん前のスピーチエリア。
そこで、おそらくモデル事務所の社長なのだろう、中年の男性が少し困ってあたりを見渡している。
彼の邪魔をするように、スタンドマイクを握っているのは今まで席を空けていた、彼。
降り注ぐ好奇の視線の中で、彼はまっすぐに見ていた。
真っ白なウエディングドレス。霞がかかったようなヴェール。散りばめられる宝石の煌めき。
それらが彩る、十三年間、姉と呼んでいた人を。
◇ ◇ ◇
俺の記憶の始まりは、笑っても泣いても、殴られていた。
ある日、母親が妙に優しく、おやつにリンゴをむいてくれて。
それきり彼女は、帰ってこなかった。
ランドセルを背負った女の子が庭に入ってきて、俺を見つけてくれたのは二日後。
通学路で俺の泣き声を二日間聞いて、我慢できなくなったと後で聞いた。
彼女は泣きすぎて声の枯れた俺を、小さな体でしっかり抱いて。
「もう、だいじょうぶ。なかないの。」
そう言って頬にキスをくれた。
それから彼女と俺は、家族。
どんなに愛していても、それを口に出せない絆。
どうせ叶わないのなら彼女の笑顔だけを見ていようと心に決めた。
…なのに。
最高の笑顔をしているはずの今日、大勢の視線にさらされて、彼女はうつむき人形のように壇上に座っている。
分からない。そんな顔をしている理由と、昨日言われた言葉の意味が。
深夜、俺の部屋に来た彼女は、口唇を噛んで。
「わたし、結婚するの、明日。」
そう言って俺の言葉を待った。
「なんだよ、知ってるよ。……あ、あれか?行き遅れなかったぞって言いに来たのか?
わっかんねーぞぉ、いつアイソつかされるか……」
気持ちを悟られないようにする癖は、考える前にちゃんと弟らしい言葉を喋ってくれる。
それを聞いた彼女が、ゆっくりとうつむいて。
出ていくときに呟いた。
「……いままで、ありがと……ね。」
それで、俺達の細い絆は切れた。
もう、遅すぎるのかも知れない……彼女は神に誓ってしまって。
隣にいるアイツのモノになった。
大きくなるざわめきの中で、涙が幾筋も頬を伝う。
でも、彼女は、あんな顔して。
まだ手の届くところにいる。だから……ちゃんと、見て。
偽らずに泣くから。
何にも隠さないから。
貴女が悲しむこと、俺には出来ない。
だから、ただ、泣くから。
ダメなら瞳でそう言って。俺にはわかるから……
そう、思った時。
痺れの切れた式場のスタッフに、後ろから強くひっぱられて。
彼は、ついに呼んだことのないその名を叫んだ。
「紗雪……!!!」
その途端、雛壇の椅子が音を立てて倒れ、ドレスがふわり、と風を含む。
駆け寄る姿はスローモーションで見えて。
動けない俺を、あの日のように抱き締めて、彼女はその薬指よりも煌めく宝石を瞳に浮かべた。
俺は、弾かれるようにその身体を抱き上げて、式場を飛び出した。
「もーうっ、尽のばかっ!なんてことするのよ!」
「だって、しょうがねえだろ!」
「しょうがなくないわよ!だから昨日、部屋に行ったでしょ!?あんたは昔からワンテンポずれてるのよ!」
「昨日も今日も同じだろっ!それにもっとわかりやすく言えよな!?」
「そうゆうのは男が言うもんでしょ!なによポロポロ泣いちゃって、放っとけなかったじゃない!」
「俺のせいかよ!?」
「あんたのせいよ!間違いないでしょ!?もぉ、最っっ悪!!」
ドレスを持ち上げて走りながら憎まれ口をきく彼女が、今まででサイコーに可愛くて。
それが俺のもんだと思うと、なんだかメチャクチャ笑えてきて、持たされていたヴェールを頭に乗っけた。
「バーカ、最高、だろ?」
あの日以来、やっと許されたキスは、俺が世界一幸福だという証。
数時間の後、意を決し、手を繋いで家に帰る。
ドアの前で父さんが礼服のまま、仁王立ちになっていた。
「尽っっ……」
「……父さん、あの……」
「もう、親でもなければ子でもない」
言われた言葉は、予想していたとはいえやっぱりつらくて。
彼女の手をきつく握りしめる。
神に逆らっても、運命に背いても、こいつだけは離さないと。
「今役所に行って、養子縁組も撤回してきた。お前達も行って届けを出してきなさい!」
「……………へ?」
「婚姻届に決まっているだろう!?向こうの親がなんか言って来る前に、早く早く!!」
「婚姻届って……父さん……?」
「これでよそに嫁にやらなくてすむぞ!バンザーイ、バンザーイ!!」
「お父さんのばかっ、まだ珪くんに謝りにも行ってないのに!」
「バカはお前だっ。ゴネられたらどうするんだ!謝りに行くのは届けを出してからにしなさい!」
「まぁまぁみんな、入ってお茶でも飲みながら決めればいいじゃない、ねっ?」
「お母さんまで!もうっっ、やっぱり最悪だよー!!」
脱力しながら、俺は思った。
もしかして、俺はアイツを助けてやったんじゃないだろうか……?
FIN. |