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 恋をするだけ無駄なんて 

その日、自分の中で何かが壊れた。
待っても待っても来ない。
電話しても繋がらない。
卒業してすぐ暮らし始めた1R。フローリングは冷たくて、広くて、一人きり。

「約束、したのに……」

思えば最初から、あたしとあいつの想いの大きさはだいぶ違っていて。ものすごく悩んでものすごく泣いて、星占いにも頼って、告白したのに。
ええよ。なんて軽く受け答えられたのが、三年前。

そして、誕生日にも、あいつは来ない。

この二ヶ月ろくに逢ってないし、電話を掛けても繋がらない。
たまりかねた一ヶ月目、彼が主任を務めるガソリンスタンドで仕事が終わるのを待ち伏せたら、困ったような顔で、
「ちょっと……連れと約束あるんや」
何週間ぶりにやっと、電話が繋がった深夜には、
「眠いんや、勘弁してくれ」

それから怖くなって逢ってないし、電話もしてない。自分を拒む言葉と態度は『他の誰か』を想像するのがたやすすぎて。
もう、いい。どうせあたしの事なんてどうだって……いいんだから。

手の中でチキチキと乾いた音をさせて鈍い光を放つ刃。
鋭い痛みと鮮烈な紅に、バラバラになりそうな心が何故かとても落ち着いた。

 

◇     ◇     ◇

 

「なっちんっ!お待たせ〜っ!……あれ、ちょっと痩せたね。風邪でもひいた?」

一年前結婚して何かと忙しく、久しぶりに会う親友はとてもキレイになっていた。

「うん、ちょっと、夏バテでさ。……唯愛はすごくキレイになったよ。髪伸びたせいかな?大人っぽくなった。」
「えへへ、ありがとう そうだ!こないだ姫条くん見たよ!……花なんか買っちゃって、この〜
「え?」
「えっ……て、もらったでしょ?大っきなカスミ草の花束。」
「……あ、うん。」
「変ななっちん。幸せボケ?先生……じゃなかった零一さんもね、この間……」

彼の事を話す彼女は嬉しそうで、楽しそうで、幸せそうで。
ずっと応援してたあたしにとって、それはとても嬉しいはずなのに。
自分とのあまりの差に、笑顔を作るのも危うい。
相談すれば少しは楽になるかもしれないのに、私はそれが出来ない。

針の上に座らされている様な時間の後、夕方から降り出した雨はひどくなり、どんどん彼との距離を隔てていく様な気がして。長袖に隠された包帯の下の癒えかけた傷に、また刃を当ててしまう。
その紅を見ると、引き裂かれそうに痛む心とのバランスが取れる様で、安心してしまって。 

限界がきたあたしは、賭けた。
携帯のメモリーの一番最初を押して。もし彼の声が聞ければ、そんな事を言わなくて済んだのに。

「サヨナラ……」
それだけ告げて電源を切った。


自分で出した答えなのに、とおかしくなるほど涙が止まらない。
始めから一方的で、ちゃんと好きだと言われた事もなかった。
強がる癖のついているあたしは、そんな事考えてもいないフリで。
偽らず泣いて、可愛らしく甘えて。……彼女みたいな女の子なら、彼も……

ドン!ドンドン!!

玄関で響く大きな音に、慌てて袖を下ろした。時刻は午前二時。

『奈津実!』
「っっ…!!」
ドアの外から呼ぶ声に必死で息を詰める。
『奈津実!奈津実?!』
「いないヨっっ!!!」
明らかに泣き声。いつものあたしからは想像も出来ない、と自分でも思う。
その時、ガチャリ、と鍵の開く音がした。
「っ!?」
一人暮らしを始めた時「いらんわ」と言う彼のキィホルダーに、無理やりつけたスペアキー。今まで使われる事もなく、自分でもすっかり忘れていた。
乱暴に踏み込んで来る足音に、どうしようもなくクッションに顔を伏せた。

「奈津実?!……何や、おるやないか」
「…………。」
「唯愛から、おまえがなんやおかしいって電話あったと思たら……何やねん、アレ。……新しいギャグか?笑えんで。」
「…………。」
「……ちょい待ち。」
「きゃ……!」
顔を伏せたままクッションを抱く手が凄い力で引き上げられた。
びっくりして顔を上げると、白いシャツの袖が血に染まっていて。
それを捲くって、彼の顔色が変わった。
「……何やコレ……」
「は、離して!」
必死で振りほどこうとしたけどビクともしない。

見られた……もう、ダメ。

彼の眼が、恐い。

「あたしの勝手でしょ?!離し……」
「じゃかぁしぃ!!!」

その衝撃にベッドまで吹っ飛んだあたしに、雷のように落ちてきた言葉。

「勝手なんぞあるかい!!おまえの体は髪の毛一本まで俺のもんや!!!誰の許可もろて俺の体をこんなにしとんねん!ドアホが!!!」

頬がじんじんと熱い。
いつでもカルく、優しい彼は、今まで女の子に声を荒げた事さえなく。束縛が大嫌いな彼は他人にも決してそれをしない、はず……
初めてしてくれた明確な意思表示に、死んでもいいくらい嬉しい、のに。あたしの口は勝手に反抗してしまう。

「な…なによ。なんなの!あたしがまどかのもの?誕生日もすっぽかして?電話にも出ないで?誰かに花束?バカにしないで!」
「な…んやそれ…そんな事で自分をこんなにして…」
「そんな事って何よ!逢えなくて、声も聞けなくて!誕生日だけはって思って…」
瞬間、強い力が体の自由を奪って。びしょびしょに濡れた服で、土砂降りの中バイクで来てくれた事に気付く。
その抱き締める力の強さに、涙が出る。
「奈津……っ……俺が悪かっ……」
「う…ぇ…まど…かぁ……」
聞いた事もない彼の涙声に触発されて、やっと素直に泣く事が出来た。

「俺……一人でも平気なたちやから……おまえの事、考えてなかったんや。謝るから、何でもするから…せやから頼む、こんな事二度とせんと……約束、してくれ……」
苦しむ彼の声と濡れた髪に、逢えなかった時より胸が痛くて。
彼の背中を掴んだまま何回もうなずくと、そっと彼がキスをくれた。

そのまま、ちいさな箱が手に握らされる。

「…コレ…?」

ちいさなハート型の箱。ずっと前に親友に見せてもらったエンゲージリングと、同じもの。
「ここんとこ、夜はコンビニでバイトしててん。……おまえに似合いそうなやつ、見つけたから……誕生日に間に合えへんで、ゴメンな。……俺な、もう次はないと思うねん。」
「……?」
「おまえの次に好きになる女なんか、いてへんと思うから。せやから、おまえ……姫条 奈津実にならへんか?」

彼が真っすぐあたしを見て、そう言った。
その意味を理解するのに少し時間がかかって。
言葉が出ないあたしに、彼が少し慌てる。
「俺アホやし、おまえが何かしんどい事あっても気がつかんかも知れんけど、黙っとかんと言うてや。絶対なんとかしてやるから!あと、ヤンキーに絡まれても俺が守ったる!あと……あとは……」
頭を抱える彼に、やっと笑えて。
一番言いたかった、ずっと言いたかった事が、言えた。

「まどか、が、スキ。一番スキ。」
「そ、そうか?ほんなら…!」
「条件あるけど」

予想しなかったあたしの言葉に彼の顔が曇る。

「いつも傍にいて、隣で笑っててね?」
「……っよっしゃあ!!任せとき!」
「あと、生活費は半分こ。でもあんたのお小遣いは月三万。残りは貯金するから。家事も分担。洗濯ゴミ出し掃除係と買物料理後片付け係、一ヶ月交代で。もし仕事なんかで出来なかった場合ペナルティ500円ね。それから他の女とデートした時点で即リコン。それと、今度もう一回殴ってもリコン。あ、それから…」
「まだあるんかい?!」
ツッコミを入れる彼の耳元に口を寄せて、あたしは囁く。

『子供は3人、ね

FIN.

あとがき