「冬休みにイギリスに行かないか？」
「…………は？」

予想した通りの反応に苦笑しながら、天之橋は言葉を継いだ。

「もし君の予定が空いているならの話なんだが…勿論、お母さんの了解も得なければいけないし。でもね、とても良い所なんだ。君の大好きな紅茶も、日本では手に入らないものがたくさんあるしね。」
「あのっ、でもっ…」
「あぁ、花椿も仕事で同行するし、二人きりではないよ。……もし君やお母さんの了解が得られて、君と旅行が出来ることになったらいつでも行けなくなって構わない、と伝えてあるけどね。」
「いえ、あのっ…天之橋さん？」
「私の友人の家に泊まるんだ。庭が広くて、とても手入れの行き届いた薔薇園があってね、実は私が薔薇を育てるようになったのも彼の影響で……」
「天之橋さんっ！」

言葉を挟みあぐねていた少女が、困ったように少しだけ大きな声を出した。

「…………何かな？」
「…え、と…どうして、わたしなんかに？」
「君と一緒に行きたいからだが？」
「………で、もっ…その、わたし英語の成績あんまり良くないし、お友達の方に失礼だし……」
「あいつは日本語で大丈夫だよ。日本に長くいたからね。」
「でもっ、関係ないわたしまで一週間もお世話になっては……」
「一人紹介したい女性がいるから、彼女の了承が得られたら連れて行くと話してある。大歓迎だそうだよ。」
「………………。」
「他に質問はないかな？」
「………ありません。」

重ねられる明確な意志表示に、顔を赤らめて俯いて。
ついに遠慮がちな少女が降参した。

「よかった。行きたくないって言われたらどうしようかと思って、君の言葉が怖かったんだ。…おっと、喜ぶのは早いね。お母さんにも許して貰わないとね。」

本当に嬉しそうな彼の表情を見て、少女が小さな溜息をついた。

「あの母は面白がるだけで行くな、なんて言いません…天之橋さんだって知ってるでしょう？」
「そうだね、よく知っているよ。でも一応早めに話しておきなさい、いいね？」


はばたき高校を卒業して九ヶ月。
一般教育課程の出席を埋めながら、休日は彼と映画を見に行ったりお芝居に行ったり。
やっと彼の、恋人としての行動や言動に少しは慣れてきた、と思う。

でも、勿論泊まりで旅行なんて初めてだし。
しかも海外で、いつか行きたいと思っていたイギリスで、一週間、彼のお友達の家に泊まるなんて。
行きたくない訳ではないけれど、本当に、降って湧いたような話。
遠出するといつも喧嘩になる、とぼやいていた親友の言葉がいきなり現実味を帯びて蘇る。

「…………わたし…大丈夫かな……」

帰ってきた服装のままソファに沈んで、少女がぽっつり呟いた。

◇　　　　　◇　　　　　◇

金属音を轟かせてジェット機が集うロンドン空港は、抜けるような晴天だった。
こんなに晴れることは珍しいんだよ、と彼が嬉しそうに言う。

「イチ！！Hey、イチ！」

到着ゲートを出たところで大きな声がフロアに響いた。

「ジム、君はいつも元気そうだな。」

彼がしっかり握手した相手は、イギリス紳士のイメージとは少し遠い感じ。
天之橋より身長も横幅も大きくて、赤いチェックのシャツを腕まくりして、乗馬靴を履いていて。
モジャモジャのあごひげを撫でながら大声で笑い、彼の背中をバンバン叩いた。

「ジム、彼女が三優。MIYOU・OZAWA。…三優、こいつがジェイムス・バーキンだよ。」
『初めまして、三優です。お世話になります。』

少女が、少しぎこちなくそう言って丁寧に礼をすると、彼の友達はビックリしたようにカウボーイハットを取って。
それから、さすがと思えるような様になった礼を返した。

「こんにちは、ジェイムスです、日本語で大丈夫。ジムと呼んで下さい。」
「では、わたしのことも三優と呼んでくださいね。」
「O・K三優。…しかし惜しいね。僕がイチより早く君に出会えていたら、絶対に僕のパートナーとして社交界に華々しくデビューさせていたのに。」

少女を見つめるジムの視線を遮るように立って、天之橋が笑った。

「私が君なら、今、この場で手袋を投げつけるよ。彼女は私にとって世界一魅力的だからね。」
「イチがこのレディに夢中なのは分かるとしても…レディ三優？貴女も？」
「え…あの………きゃっ！」

真剣な眼差しで見つめられ顔を赤らめた少女が、後ろから伸びてきた手に抱きすくめられる。

「まだ品定め中なのよね〜三優？一鶴にするか、アタシにす・る・か？」
「は、花椿せんせいっ！？」
「Wow！ゴロー！」
「なんだ、花椿来たのか…仕事で遅れると言っていたじゃないか。」
「ハァイ、ジム。元気そうネ。この娘はね、アタシの専属モデルなの〜。……ところで一鶴サン？確かにアタシは遅れるか・も・知れないと言いましたけど…頼んでおいたアタシのチケット予約はどうしたのかしら？不思議なことにネェ、アタシは一人寂しくエコノミークラスで、せせこみみっちいシートで、しかもバレないように毛布にくるまりながら、仕事でツメてて空きっ腹なのにサンドイッチなんか押し込んでいたりしていたの……サァ、納得いくように説明シテくれるかしらァ〜？？？」
「……記憶にないな。」
「三優〜っ、聞いた、今の？非道いと思わないっ？アタシ一人のけ者にしてぇ〜！」

花椿に泣きつかれ、その背中をあやすように撫でながら、少女がメッ、と人差し指を立てた。

「天之橋さんっ、ダメですよ意地悪しちゃ！」
「…来れるか来れないか分からないなら、予約なんかしないでキャンセル待ちで乗ればいいじゃないか…」

すねたように小さな声で反論した天之橋を、少女がまっすぐ見つめる。

「……分かった、悪かったよ。」
「仲良くしてくださいね？」
「……ああ。」

母親に叱られた子供のようなその返事を聞いたジムが、堪えきれなくなったように笑い出した。

「ハッハッハッ！レディ三優は素晴らしい貴婦人だよ。イチのそんな顔は久しぶりだ…そうだ、あの乗馬大会以来じゃないか？」

意味ありげな目配せに花椿が吹き出し、少女がきょとんと天之橋を見上げる。
しばらく沈黙した後、渋々彼がジムと少女に説明するべく口を開いた。

「…三優は、あの時一着になった三月さんの娘さんなんだよ、ジム…」
「きゃーっはっはっ！」
「HAHAHAHA！！Realy！？」
「え？……え？」

そういえばそんな話を前に母親から聞いたような、と少女が少し考え込み思案している間も二人の大笑いは止まらず、しばらくして遂に少女がキレた。

「……そんなに笑わなくたっていいじゃないですか！もう、ジムもせんせいもキライです！…行きましょう天之橋さん。」

少女が天之橋の腕を取り、プイと出口に向かった。

「あ…み、三優？ゴメンってば、置いてかないでヨ…ほ、ほらお土産あるし。三優の好きなバナナミルキー！ねっ？」
「OH〜…レディ三優、ゴメンナサイ！怒っちゃヤデスゥ〜……」

スーツケースを引っ掴んで情けなく少女の後ろを追いかける花椿に、小走りのジムが、そっと耳打ちした。

「ゴロー……レディ三優に“キライ”って言われるととてもショックなのは、何故？……」
「……それはネ、彼女がマリア様だからヨ…男は逆らえないようにインプットされてんのよ……」