「さあ、もうお休み。ちゃんと夜眠らないと、昼に遊べないよ。
明日はお父様にお茶を淹れてくれる約束だし、それに、花椿が持ってくるドレスを着て見せてくれるのだろう?」
「あ、そうだ!せんせいとあそぶの!」
「では、たくさん遊ぶためにももう休まないとね。それに、明日ちゃんとお母様に謝るんだよ。
お母様は結梨のことを心配しているんだからね」
「んー……」
少しだけ気難しげに顰めた眉が、優しく笑う天之橋を見てぱっと輝いた。
「じゃあ、またおうたうたって?」
「え?」
その言葉に、狼狽える。
「ねえ、そしたらちゃんとねるから。おねがいー」
「……参ったな」
打って変わった甘え声でねだられて、天之橋はため息をついた。
一度だけ、と軽い気持ちでいつか歌った子守歌。それが気に入られてしまったのが運の尽きか、もう数回同じような『お願い』を聞かされている。
しかし、娘から『お願い』をされてそれを断ったことがないという事実は、彼の妻は知っていても彼自身は気付いていないことだった。
「……仕方ないな……お母様には内緒だよ?」
「うん!」
やけに元気のいい返事に苦笑して、天之橋は彼女をベッドに寝かせ、その瞼を片手で覆った。
彼女がおとなしくなったのを確認してからもう一度ため息をついて、静かに歌い出す。
You are my sunshine, my only sunshine
You make me happy, when skies are gray
You never know dear, how much I love you....
気付くと、まだ数分も経っていないのに聞こえるのは安らかな寝息。
天之橋は微笑んで彼女の布団をかけ直し、前髪をさらりと掻き上げた。
そのとき。
「……………ずるい」
「!?」
いきなり後ろから聞こえた呟きに、叫びそうになって危うく留まる。
慌てて振り向くと、彼の妻が不機嫌そうなむくれ顔で立っていた。
「私がいくらあやしても寝ないのに……天之橋さんはちょっと歌っただけでゆうを寝かしつけちゃうんですね」
「み、水結、き、聞いて……」
「やっぱり、天之橋さんの歌がいちばん効くみたい。私だっていつも歌ってあげてるのにー」
「や、やっぱりって……知っていたのかね?」
「?」
あたふたと焦る彼に、彼女はきょとんとした表情で首を傾げた。
「知って、って……私、ゆうに聞かせてもらいましたよ?一度だけ」
「え!?」
目を剥く天之橋にもう一度首を傾げながら、彼女はすっかり寝入ってしまった娘のペンダントを注意深く外した。
「ぜったい、内緒ですよ。勝手に触ったって知られたら、数日は口きいてくれないですからね」
「………??」
娘の様子を窺いながら、そうっとペンダントトップを開く。
流れてくる彼の子守歌。
かなり音質は悪いけれど、それでも彼の声だということはすぐ分かる。
「これ、30秒間だけ録音ができるおもちゃなんですよ。ずっとゆうのお気に入りだったんですけど、これを録音してからはもう触らせてもくれなくなって。
天之橋さんが録音してあげたんだと思ってたんですけど……違ったんですか?」
「……………………」
絶句して、呆然として。
それから、どうにも可笑しくなって破顔する。
こんなに見事に騙されてしまうとは、自分の娘は意外と演技派なのか。
いや少女にしてみれば、これを母親に聞かせたとしても喋りさえしなければ、約束を違えている気などないのかもしれない。
そんなことを考えながら、天之橋はペンダントを戻し終わった妻を後ろから抱きすくめた。
「え?」
「そういえば……結梨に嘘つきと言われたそうだが」
はっとこちらを見上げる彼女に、悪戯っぽい表情を浮かべて。
「どうして嘘ではないと説明しなかったのだね?理屈さえ通れば、結梨は物わかりが悪い方ではないと思うよ」
「え、あの……それは……」
腕の中に閉じこめて、髪にキスをして。
ただそれだけのことに未だ頬を染める彼女が、娘の問いに抗弁することなどできないのを知っていて、すまして言う。
「だって……赤ちゃんみたいなんて言われたら恥ずかしいし……きゃ!」
「ほう?君が恥ずかしいなどと言っていたら、結梨にも教育は出来ないね。
こうしているところを結梨が見たら、あんな事は言わなくなるだろうに」
抱き上げながら囁くと、彼女は顔を赤くしてふるふると首を振った。
「まあ、君がそうして赤くなるところを見るのは、私ひとりでいいのだけれど……ね?」
くすくすと笑いながら、天之橋は小さく縮こまる彼女に口づけを落とした。
FIN. |