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  MN'sRM > GS別館 > GS1創作 > 天之橋・約束シリーズ1 >

 ティア・ドロップス 

「い、た、たたたたた」

突然聞こえた呟きに、天之橋は慌てて車を止めた。
助手席では、先ほどまで笑って話をしていた少女が、顔を顰めて俯いている。

「み、水結?どうした?」
慌てる彼に、少女は片目を押さえたまま顔を向けた。
「あ、たいしたことないです。大丈夫」
「大丈夫って……目が痛いのかね?病院に行くかい?」
焦って先走る彼を安心させるために、笑ってみせる。
「いえ、本当に大丈夫です……ちょっとホコリが入っただけですから。
 最近、パソコンの使いすぎでドライアイになっちゃってて、目が乾いてるんですよね」
うー、と上を向いて目を瞬かせる彼女に、とりあえず安堵して。
けれどまだ心配そうに、天之橋は言葉を継いだ。

「目薬は持っていないのかね?」

途端に、少女の身体が強張って。
不思議そうな彼に、極小さな声。
「い…いえ……持ってます、けど」
「それなら、はやく差した方がいい」
「いえ……あの、でも……」
「ああ、そんなに擦ってはいけないよ。傷がついたら大変だから」
「でも……」
逡巡して、躊躇って。
けれど、何も言わないでは済ませられなさそうな状況にため息をついて。
白状する。

「……あの。目薬って……怖くないですか?」
「………え?」
一拍置いて返される返事に、知らず頬が赤らんだ。
「だっ、だって、気持ち悪いじゃないですか!目に入れるんですよ?冷たいし染みるしっ」
「……………」
あっけに取られていた彼が、少しだけ自重するような顔をした。
ここで笑ったら。間違いなく、むくれて口をきいてくれなくなるから。
そんな心情を見透かしたように、早くもつむじを曲げそうな表情で、少女はぷいと目を逸らした。
「いいですよ、笑いたかったら笑っても。どーせ子供ですからっ」
「そんなことはないけれど……」
抑えられず弛む口元を手で隠して、言葉を探す。
「でも、普段はどうしているんだい?ドライアイなら、日に何度も目薬を差さないと駄目だろう?」
「……家には、小さいカップで洗う洗浄液があって、それならまだマシで。
 無いときは我慢して尽とか友達に入れてもらうんですけど……それもやっぱり、怖くて」
まだ痛いのだろう、ハンカチを取り出して押さえながら返される返事に、ぴたりと笑いが途切れた。
「……友達……とは?」
少しだけ引き攣ったような問いに、今度は少女が不思議そうに見る。
「え?なつみんとか……タマちゃんとか」
言われた台詞に、納得すると同時に苦笑が浮かんだ。
「そ、そうか。それは大変だね」
取り繕うように相づちを打った、彼に。
「でも、なつみんはテキトーにだばっと出すんで怖くて、タマちゃんは恐る恐るなんで余計怖くて。
 意外と一番上手いのは珪くんなんですよ」
無邪気な彼女の呟きがこだました。
「珪くんって、なんかそういうときは面倒見よくて、さっと終わらせてくれるんです。
 普通、こういうのだったらまどかくんだと思うじゃないですか。でもまどかくんは、自分も苦手だからってあんまりアテにならなくて。和馬くんはタマちゃんと同じですごく恐る恐るだし、色くんは……」
「…………貸してみなさい」
「え?」
話途中で挟まれた台詞に彼を見ると、苦虫を噛み潰したような表情をしていて。
訳が分からなくて戸惑っていると、ため息をつきそうな感じの言葉が掛けられた。
「家までずっと我慢するわけにはいかないだろう?」
「……!」
意図を悟った少女は、思わず遠慮のない声量で叫んだ。
「え、ええええ!?い、いいです、そんなっ」
「いいから。少し、我慢しなさい」
「で、でもそんな、天之橋さんのお手を煩わせるなんて!」
「私では役に立たないかね?」
「は?」
「い、いや。君が痛がっているのに放っておくわけにはいかないから。ほら、見せてごらん」
すっと顎を支えられて、仰向かせられる。

あ。と思った瞬間には、今までになかった距離に彼の顔があって。
少しだけ心配そうに、でも優しく見つめる瞳は、彼の誕生石に白を混ぜたような瀟洒な藤色。
愛と真実と情熱と誠実、そして高貴さを象徴するその宝石の色は、彼にとても似合っているように思えた。
こういうのを、綺麗、っていうんだろうな……。

「……そんなに零れそうに目を見開くと、ますます痛くなってしまうよ?」

囁かれた声に我に返ると、至近距離の瞳が可笑しそうに細められている。
急に恥ずかしくなって、少女はあたふたと狼狽えた。
「あ、あの、大丈夫ですから!もう全然……痛ッ!」
「こら、無理をするんじゃない。いいから目薬を出しなさい」
「いえ、ほんとに、もう……」
きゅっと目をつむっても、痛みは消えないけれど。
これ以上この状態でいたら、のぼせてしまいそうだ。
顔を真っ赤にして固辞する彼女にため息をついて、天之橋は固く閉じられている目の下に指を当てた。

「……全く……仕方のないお嬢さんだ」
「え」

ふと、声が近くなった気がして、反射的に瞳を開くと。
さっきの比ではないくらい間近にある彼の唇がふわりと解けて。
ちゅ、というかすかな音と共に目元が暖かく潤う感触。

「…………ふ、ぁ」

思わず漏れた声にも、気づけずに。
呆然とする彼女に、天之橋はくすりと笑った。

「あまり衛生的ではないけれど、君の遠慮に付き合っていたら日が暮れてしまうからね。
 ……まだ痛いかい?」

呆けたまま、ゆっくりと首を振る。
痛みなど、もう感じている余裕がなかった。

「それはよかった」

丸くなったままの瞳に、もう一度微笑んで。
天之橋は、紅潮している頬に、改めて口づけを落とした。

FIN.

あとがき