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 ドロップレイン 

その日は朝から雨だった。

この時期にしては暖かい雨が、しとしとと耳に心地良く響く。
こんな日は、家でゆっくりお茶を飲みながら読書でもするのが相応しい過ごし方だと思うのだけれど、それと今の我が身を比較してため息が漏れた。
やる気の起きない書類整理はまだ終わらない。

雨の休日。明日も休みとあって、登校する生徒は少ない。
運動部の生徒が何人か部活のために出ていたようだったが、運動部とはいってもそれほど練習を重ね続ける必要のないチアリーディング部などは、おそらく練習は休みに違いない。
そう考えて、天之橋は独り頬を弛ませた。

彼の少女はきっと、今頃雨に悪態をつきながら、それでも遊びに出ているのだろう。
もしかしたら、泊まりがけで友達と出かけているのかもしれない。
自分の知らないところで、彼女が他の男(かもしれない友人)と一夜を過ごしていると思うと、少しだけもったいない気がするけれど。
それでも、次の日必ず自分の所に来てそれを報告し、焦りはしないか、ヤキモチを妬かないかと見え見えの態度で期待する彼女が楽しみだった。
きっと、いつものように楽しかったなら良かったと感想を言うと、彼女は不機嫌になって。
悔しげに眉を顰めて、少しは焦ってみたらどうだと可愛らしい文句を言うのだろう。

好きという言葉を絶対に口にしない彼女。けれどその態度が、気持ちを憚らない自分よりも想いを暴露してしまっているということに気づいていない。
どこまでも無防備な彼女を容赦なく追求したら、もしかして泣いたりしてしまうのかもしれないと思うと、笑いが漏れた。


そのとき。
バタン、と大きな音を響かせて乱暴に開いたドアから、雨の匂いと水気を纏わせた少女が飛び込んできた。

「あぁもう〜!なんでこんなに部室から遠いのよ!」
「藤井くん?」

考えに耽っていたせいで驚いて目を見張ると、向けられるのは責めるような瞳。

「学校が広いのはいいけど、校舎と部室棟が離れてたら濡れるじゃない!」
「……そういう問題でもないと思うが……。どうしたんだね?休日に学校に来るとは珍しい」

苦笑しながらエアコンのスイッチを入れ、物入れからタオルを何枚か取り出す。
奈津実は仔犬のようにぶんぶんと首を振って水を跳ね飛ばした。
その頭にタオルを被せながら、問う。

「こんなに濡れるまで何をしていたんだね?」
「だぁって、来週試合なんだもん。今日のうちに足りない道具を発注しないと間に合わないんだから、仕方ないでショ!」
むくれたように抗弁する顔の水滴を、子供にするように拭うと、奈津実は少しだけ眉を寄せた。
「むー。いい、自分でやるからッ」
「こら、じっとしていなさい」
「うー……服がびしゃびしゃでキモチワル……」

頭を拭われながら、重くなったスカートを持ち上げて絞る。
理事長室の厚い絨毯に、派手に雫が落ちていく。それには言及せず、天之橋は奈津実のバレッタと髪ゴムを外した。
意外と細くて癖のない髪が、濡れていてもさらりとほどける。

「早く乾かさないと、風邪をひいてしまうよ」

少し心配そうな彼に、ふと何かを考える彼女。
しばらく思案した後、奈津実は小さく笑うと、スカーフ留めのホックをぷちんと外した。

「そうねー。風邪ひいちゃうから、着替えさせてもらう」
「え?」

驚いた様子の彼に気をよくして、満面の笑み。

「リジチョ、なんか着替え貸してよ。Yシャツでも何でもいいからさー」
「それは構わないが……」
「よっと」

恥も衒いもなくセーラーの前ボタンを外し、スカートのファスナーを下げて脱ぎ去るのに、深いため息をついて。
天之橋はさりげなく目を逸らしながら、肩を竦めた。

「君という子は本当に……もう少し、慎みというものはないのかね?」
「はーあ?慎みィ?」

ここぞとばかりにわざとらしく驚いて、奈津実はスカートをばさりと投げ出す。

「そんなもん、何の足しにもなんないでしょー。それともなんですか?リジチョは、アタシが風邪ひいたほうがいいって言うんですかあー?」
「そういう意味ではなくて……」
「なら、うだうだ言わないでさっさと着替え用意して。“体を拭いてあげようか?”くらい言ってほしいですよねえ」

エアコンの温風がうまく当たる場所を探り、奈津実はソファに座り込んで楽しそうに呟く。
外しかけているスカーフに目をやっていた彼女は一瞬、すっと細められた瞳に、気づかなかった。

「…………」

応えず、天之橋は床に散らかされた重いスカートをテーブルの上に置いて、物入れから替えのシャツを取り出した。
ソファの背にそれを掛け、まだ濡れていないタオルを取って。
そのまま。
タオルを持った手が、首筋を撫でる。

「ひゃあっ!?」

素っ頓狂な声を上げて、奈津実はびくりと体を震わせた。
なに、どうして、と口の中で呟くけれど、言葉にならない。
縮こまるように身を竦めた彼女の膝を割るようにして、天之橋は片膝をソファにつくと、首筋から鎖骨の辺りを拭いながらクスリと笑った。

「拭いて欲しかったのだろう?どうかしたかね?」
「………っ!」

耳元で囁かれる余裕の声に、悔しげに唇を噛み締めて。
奈津実は意識を奮い立たせると、首を振った。

「……別に……っなん、でも…ない……!」

彼の手が動くたびに叫び声を上げそうになる衝動を、スカーフを握りしめて何とか堪える。
口を噤んでしまった彼女の体を拭き続けながら、天之橋は澄ました表情で言った。

「そのままでは、風邪をひいてしまうよ?全部脱ぎなさい」
「ぜ、全部!?」
「濡れた服を着ていても役には立たないだろう?」
「で、でもホラ……リジチョのシャツだけじゃ、帰れない、し?」
「乾かしておけば良いよ。なんなら、その辺の店で一揃い用意しよう」
「……でもっ……」

抗弁しかけてもう言い訳がないことに気づき、セーラーの胸をぎゅっと握りしめる奈津実に、とどめを刺すように。
するりと彼女の足をすくい上げながら、囁く。

「脱ぎなさい奈津実」
「………!!」

ぞくり、と奈津実の背筋に痺れが走った。
自分の耳の傍にある所為で見えない瞳。なのに、それに射竦められるような感覚。

「……命令…しな、い、でっ……」

勝手に名前を呼ばないで、とか。
なんで足を触るの、とか。
他に言いたいことはたくさんあったのだけれど。
今の彼にそんなことを言ってしまったら、取り返しのつかないことになるような気がして、何も言えなかった。
彼の雰囲気の違いに、困惑している自分。それを隠すように虚勢を張る。

「脱ぐ、わよ!脱げばいーんでしょ!」

セーラーを乱暴に開くと、奈津実は手にしていたスカーフと共にそれを脱ぎ捨てた。
その間に、天之橋は掌底でふくらはぎを支えながら、水が滴る靴下の縁に指先を差し入れて。
そのまま、めくり上げるように脱がしていく。

「……っ、……ぅ…っ」

出そうになる声を必死で押さえながら、奈津実はできるだけ何でもないように背中に手を回し、ブラのホックを外した。
瞬間、少し弛んだ下着が脇からぐいと押し込まれたもので浮き、肌が露わになる感触。

「ひっ…!」

思わず声を漏らし、ぎゅっと瞳を瞑った彼女の耳にくすくすと聞き慣れた笑い声。

「………え?」

目を開けると、いつもと同じ甘い笑顔が至近にあって。
先程の雰囲気を微塵も感じさせない、優しいキスが頬に落ちた。

悪戯が過ぎるとどうなるか、分かったかい?
 これに懲りたら、あまり男を甘く見るものではないよ。痛い目に遭ってからでは遅いのだからね」
「………!」

見下ろすと、触られたと思った胸と下着の間には、タオルが差し込まれていて。
嵌められたと分かった途端、頬に血が上った。

「あ、あ、悪趣味ッッ!」
「何のことか分からないね」

可笑しそうに答えて、天之橋は取り上げたシャツを彼女の体に被せた。

「取り敢えず、これを着なさい。もう少し体が温まったら服を揃えに出よう」

むすーっとむくれてそっぽを向き、奈津実はソファの背に肘をついた。

「……こんな格好で店に行くなんて、慎みのあるワタクシにはできませーん」

感情の昂りでかたかたと震えてしまっている足を、気づかれないように引き寄せながら。
負け惜しみとは分かっていても、悪態が口をつく。

「それに、こんな格好の女を目の前にしてそれだけヨユー見てるっていうのは、男として失格だと思いまーす」
「……何のことか、分からないが……」

天之橋は少しだけ、苦々しい顔になって。
そういう所が無防備なのだと、ため息。

「もし君が望むのであれば、家に来ても構わないよ。花椿に服を持ってこさせるから家で着替えると良い。
 幸い明日も休みだし、時間はたっぷりあるだろう」

ただし身の安全は保証できないがと、言外に脅したつもりだったけれど。

「あっ!それいい!花椿センセーにいっぱい持って来てって言って〜!」

懲りない彼女は顔を輝かせてそう言い、また彼を苦笑させた。

FIN.

あとがき