「…………本当に入るんですか?」
彼女は入り口でチケットを切る女性を見て、既に泣きそうな顔で彼を見上げた。
しかし建物に目を奪われた彼はニコニコで、足が前に出ない彼女を手招きで急かす。
「すっげー楽しみにしてたんだよな〜…ほら、早く来いって。大丈夫だから!」
黒髪を長く垂らし白い着物を着ているその人に、おそるおそる手首に付けたフリーパスのバンドを見せると、真っ赤な目で気味悪く笑う。
赤いコンタクトを入れているのか、その異様な目に彼女の顔がますます引きつった。
「…………先輩…あの、私…全然得意じゃないんで……というかものすごく苦手なんですけど」
”恋心云々ではなく。
手をつないでくれないと無理!”
暗い建物の中に入る前に、隣の彼をもう一度見上げた。
「さっ!行くぞぉ〜〜!」
「え!?待って、先輩!置いていかないでください!!」
聞こえてないのか、おどろおどろしい音楽が流れる中、真咲は嬉しそうにさくさく進んで行く。
何のためらいもなく赤黒い血飛沫が描かれたドアを押す彼の背中を、慌てふためいて彼女が追った。
「うわ、本格的!いいな……うん、スゲーいい!!」
寒いほど空調の効いた内部には、どこからともなく聞こえるクスクス笑う女性の声や、壁に釘で打ち付けられ血を流すリアルな死体。
彼は出てくる物全てに感動したような明るい声で、モチーフになっている映画と照らし合わせた説明をしてくれているらしい。
けれど暗闇から何が出てくるか分からない状況で正気を保つのに必死な彼女には、言葉の意味は脳まで伝わって来なかった。
床の誘導灯だけに努めて視線を集中する。
中程まで進んだ頃、下を向いて物も言えず彼のスニーカーだけを追っていた彼女の目に、それは映った。
青白い誘導灯に照らされた順路の脇に置かれた、黒い丸い物。
嫌な予感がして目を逸らすより一瞬早く、それがくるりと半回転した。
「………ひぃっっっ…!!!」
心臓が口から飛び出すかと思う勢いで打ったかと思うと、ぞわっと背中から髪の毛まで逆立つ感覚がして。
一拍遅れて冷たくなった血流がびりびりと痺れながら指先に到達。
体が凍り付いたように動かなくなって、目を逸らすことも先に進むことも出来なくなり。
その生首と向かい合ったまま停止。
一瞬後にそれが動物の鳴き声のような奇妙な声と大音量で、笑った。
『クキャキャキャキャキャ!!!』
「きゃああああぁ!!いやぁあああ!!!」
「うぉっっ!!?なっ…!?大丈夫か!!」
がくんと足から崩れてその場にへたりこみ、少しでも遠ざかろうと反対方向に動く。
横座りしたままの足は動いてくれず、それでも手で這うようにして順路の脇の砂利の中に逃げ込んだ。
ぼろぼろとあふれた涙で視界がぼやけなかったら。
歪む景色の中、何事か言いながらこちらに手を差し伸べてくる彼の声が聞こえなかったら。
多分、確実に意識は飛んでいただろう。
差し出された手を必死で掴むと、起こされる反動でそのまま胸に飛び込んだ。
「……いやぁああ〜…もうっっ…やあぁぁ〜〜っっ!!」
「?………あぁ!さっきの、コレか!落ち着け、床に穴が空いててそこから首出してるだけだ。……すげぇなこりゃビビるわ〜」
「せん…っ……も…やぁぁっ……」
何も見ないように彼の胸に顔を埋めて視界を遮っても、足がガクガクして力が入らない。
渾身の力で彼のシャツを握り込んで立っているのがやっと。
「よしよし、大丈夫だから。……ゴメン、泣くほど怖かった?歩けるか?」
耳元で聞こえる声に首を振る。
彼から離れて、あとどれだけあるか分からない仕掛けの中を目を開けて歩くのは、本当に無理。
「あ〜…ダメか……んじゃ、しっかり掴まって目閉じとけ。それでも怖かったらオレの心臓の音聞いてろな?……すぐ出してやるから」
彼の言葉にこくんと一つ頷くと、泣き声しか出ない言葉の代わりに、震える手でシャツを握り直した。
ふわりと体が浮き上がり、エコーのかかる効果音や他の人の悲鳴を聞かないように耳を胸に密着させると、ドキドキと規則正しく打つ鼓動と彼の体温で少しだけ安心できた。
それでも、何も見てなくても大きな音が鳴ると体がビクリと震えて。
その度に”大丈夫、怖くない”と囁かれる言葉に、頷き返すだけしかできない。
何度かそれを繰り返し、軋むような音がした後、やっと瞼の裏が明るくなって薄く目を開いた。
「うわ!おまえ怪我してる!!」
「……え?…あ……ホントだ…」
「ホントだ…って、気づかなかったのか?痛いだろ!?」
横抱きにされた足が、膝からすねにかけて擦りむけている。
砂利に突っ込んだ時だろうかとぼんやり考えながら、流血というほどではないが血が滲んだ傷を見た途端、急にぴりぴりと痛みだした。
「……それどころじゃなくて全然気づきませんでした……けど、今痛くなってきました…」
「すいません救護所どこですか!?」
出口で手を振っていた遊園地の制服を着た女性に、彼が慌てた声で聞いた。
先に立って道案内をしてくれる女性の後に彼女を抱いたまま彼が続く。
「……あの先輩!?もももう歩けますからっ……」
「ダメ」
「…ダメって……えっと、だってみんな見てるし」
「別にいい」
「そんな大した事ないし、救護所なんて行かなくてもっっ……………あぁっ!!」
「何どした!?」
握ったままの彼のシャツからふと手を離した彼女が大声を上げた。
ミリタリーブランドの白いシャツの胸にぽつぽつと赤い染みが付いている。
彼女が慌てて手のひらを見ると、そこにも血の滲んだ傷。
「ご、ごめんなさい!!どうしよう…っっ…」
他に汚れてないかおろおろと視線を泳がせ降りようとする彼女に、真咲が声を荒げた。
「そんなのいいから!掴まってろ、ちゃんと!」
「ハイっ…!」
ビックリしてもう一度襟にしがみついた彼女を抱き直し、女性スタッフが小走りになるほどの急ぎ足で救護所に向かった。
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