あんまり思い出すと幸せがあふれて消えてしまいそうだから、いつも途中で考えるのをやめてしまうんだ。
待ち合わせの時に絡まれたナンパやセールスから守ってくれた大きな背中。
薔薇のトゲを刺してしまった時も仕事放って手当してくれて。
お前の手がヒドイ事になるのはオレが耐えられない、って言ってくれた。
学園祭に来てくれたこと。
はね学の制服を借りて着て、「、ここ掴んでなさい」って腕を持たせて。
いつもは”オイ”とか”おまえ”とか、あんまり名前で呼んでくれなかったのに、その日はずっと呼び捨てで。
花壇の前で聞かせてくれた、王子様を待つお姫様の為にお花を植える庭師の物語。
私には、王子様との恋よりも素敵に思えた。
アンネリーを手伝ってクリスマスパーティに遅れたときも、送ってくれる先輩の車の中、ずっと渋滞してればいいと思ってた。
はばたき山への道が、いくつも雪で通行止めになっていて、迂回する度に、このまま連れて帰ってくれないかなぁって。
デートの時に言われた”お望みなら一晩中道に迷ってやる”を実行されなくて残念だったけど、あんな綺麗な夜景見たことなかった。
それから、いつも家の前まで送ってくれてありがとう。
帰りたくないってダダをこねても、七時になったら絶対に許してくれなかったよね。
それで扉が閉まるまで見ていてくれる。 私はいつも閉めたドアを背にして、先輩の車が遠ざかっていくのを聞いていたんだよ?
その度に泣きそうになってた。
いつもいつも。
「………真咲先輩」
二人並んだ写真は友達が撮ってくれた去年の学祭の、真咲先輩も『はね学』の制服を着た時の写真。
あと一年遅く生まれてりゃおまえと一緒にはね学行けたのにな、って先輩は言ったでしょ?
だから私、先輩と同じ大学に来たんだよ。
そしたら一緒に通えると思って。
先輩は四年生、私は一年生。
お昼は一緒に食べて、時間が合ったら一緒に帰る。
すごくすごく幸せだと思うな。
そんなことを考えながら、写真の前にお花を飾った。
「……まだお若くて将来有望、就職も決まったってのに、残念です…ってコラ!」
「オマケに可愛い彼女まで出来たのに……いたいいたい、足踏んでる〜!だってここしか置くとこないんだもん!!」
「人が苦労してゲットしたレシピのスペシャルカフェ飯作ってやってんのに、その可愛い彼女さんは〜…」
両手にお皿を持った真咲先輩がぐりぐりと私のスリッパを踏みつけてから、テーブルにそれらを並べた。
「わぁ〜いごはんごはん!いただきま」
「マテだ、マテッ!…作ってくれた人に感謝の言葉は!?」
お皿の前に高速移動した私におあずけをして先輩がメッと指を立てた。
その首に腕を回しぶらさがって、重みで少し下りてきた耳にささやく。
「真咲先輩ありがとう〜ダイスキ〜」
ちゅ、とほっぺにキス。
「ぅおっ、と。…おぉ、まぁ……食え」
照れ笑い。
私が一番好きな彼の表情。
今日はあの卒業式の日に約束した、『初めてのお宅訪問〜ランチは先輩特製カフェ飯〜』の日。
ずっと来たかった先輩の部屋は、何度も念を押されたように『狭いし、汚いし、何にもない』ことはなくて。
確かに広くはないけれどちゃんと片づけられていて、ベッド以外大きな家具のないシンプルな感じ。
でもやっぱり少し色が足りない気がするから、昨日バイトの時に貰った咲き終わりの花束を持ってきて良かった。
「うわぁ!おいしい!!」
「……だろ?だろ〜!?」
深めのお皿に入れたご飯の上にチキンソテーや温野菜が彩りよく盛りつけられ、ミックスジュースが添えられて。
サイコロチーズが振りかけてあったり、ご飯の中には暖かいお豆腐が隠れていたり。
何というか、すごく先輩らしくて。
「このソースがすごくイイ!!…甘くておいしい〜!これ、パイナップル?」
「おぉ当たり。それとオレンジもちょびっとな。イイコだ!食え、どんどん食え!」
「…おかわりある?」
「当たり前だ、おまえ気に入ったら男並みに食うからな」
「やった♪……じゃあ晩御飯は作ってあげます。何がいいですか〜?」
先割れスプーンの速度を上げながら、今ならサラッと流れるかも知れないと思って爆弾発言をかます。
先輩はさほど気にも留めない様子でスプーンを口に運んでいる。
「春とはいえ夜はまだ冷えますからなあ、鍋なんかどうすか〜?なんてな〜」
「じゃ、後で買い出しに行きましょう」
そこでやっと先輩のスプーンと表情がぴたっと固まった。
「………おっまえそれジョークにならねぇぞ?ハハハ、ハ…?」
「今日は友達のうちに泊まってくることになっております」
「は!?友達のうち……っって?」
笑顔でフローリングの床を指さした。
口元まで行っていたスプーンが、お皿に振り下ろされてガチャン、と派手な音を立てる。
「ええええぇ!??聞いてねーぞ!?」
「言ってないもん」
「おまっ…自分が何を口走ってんのか、分かってる!?」
「うん。先輩何回も言ったよね、”そーゆーことしてっと帰さねーぞ”って。だから今日は帰されないよ?」
「………あ〜…言った、けどっっ!それはあくまで仮定の話だ!妄想で、幻想だっ!」
「……嫌ならいいもん。どっか他のとこ行く」
そんな気はないけど、そう言ってぷくと頬を膨らませると、先輩はいつもの余裕もどこかへ吹っ飛んだ声で噛み付くように聞いてきた。
「どっかってどこ!?」
「分かんないけど。…先輩にそんなに嫌がられるとは思わなかったから……」
「嫌だなんて言ってないでしょ!?おまえはホンットに……あのな、冗談でしたおやすみなさ〜い☆じゃ済まねえんだぞ?多分、いや絶対に。オレは手ぇ出さない自信が全く無い!」
スプーンを持ったまま先輩は頭を抱えてしまった。
いつまでも子供扱いされてからかわれて、自分だけドキドキしてるなんて嫌だ。
ツンツンに立てた髪を崩さないようにそっと頭を撫でる。
「私、真咲先輩が好きだから」
「……………マジ…でか?」
「うん」
そう言うと先輩は顔を上げ、本当に真剣な目で私を見た。
「、考え直すんなら今だぞ?後からの苦情は一切受け付けたくないぞ?」
「うん。お泊まりする」
「…………そ、か…分かった。…うん、分かった。……………ところで物は相談だが」
「はい?」
「…い、今からとかは……」
「そそそれはちょっと!…うん、無理!」
「だーよなー!いや、ゴメン!ハハ、ハ…あ〜オレダメだ、ちょっと頭冷やしたい」
真咲先輩はそう言ってのろのろと立ち上がると、台所の水道で勢い良く顔を洗い出す。
水音に紛れて”落ち着け落ち着け”という呪文のような声が小さく聞こえてきた。
その隙に自分も大きく深呼吸を何度もして、火照った顔と上がった心拍数を元に戻すように最大限の努力。
たっぷり五分は経ったころ水音は止まって、真咲先輩が戻ってきて目の前にどっかりと座った。
まだちょっと顔は赤いけど。
「うっし、飯食ったら買い出し行くぞ」
「……うん」
せっかくの先輩の力作ランチも後半味が分からなくて、さすがに私も先輩もおかわりは出来なかった。
◇ ◇ ◇
ドライブして、ビデオ屋さんで先輩のおすすめホラーDVDを嫌々借りて、本屋さんに少し寄るともう夕方。
今日はあまり広くない車の中、少し肘が触れただけでもそこがピリピリして困ってしまう。
「…買い出しって何買うんだっけ?何処に行きたいですかァ?」
「晩ご飯の材料と、お菓子も買いたいからスーパー行きたいです」
「スーパーね、了解〜」
意識して喋らないと口が凍り付いたようになってしまうから、なるべくいつもどおりの口調を真似る。
多分先輩も同じなのだろう、少しぎこちなくてやっぱりまだ頬が赤い。
スーパーの駐車場に車を止めて。
二人でお買い物カートを押して。
お鍋のメインはお肉にする?お魚?って聞くと、先輩は間髪入れずに”肉”と即答。
買った物を袋詰めにするのも手慣れた様子で、そっちに入れろと渡されるのはお菓子やパンの軽い物ばっかり。
二人とも片手に買い物袋を下げて、内側の手をつないで。
やっぱり、どうしても、この人が好きだ。
「エプロン姿はバイトで見慣れてると思ったんだけどなー…」
部屋に帰って買い物を冷蔵庫にしまうと、すぐに夕食の準備に取り掛かった。
お鍋の材料の野菜を切っていると、先輩が物珍しそうに覗き込む。
「……オレの部屋のキッチンにいるってのは……いいなぁ…」
「わ、危ないですよ先輩っ……」
「邪魔しないから。…このままじっとしてる」
後ろから腰に巻かれた腕にびっくりして抗議すると、髪に口づけして先輩が囁いた。
「だ、ダメです!…ドキドキして手許が」
「そっか、そりゃダメだ。手ぇ切るなよ?代わってやろーか?」
「先輩がなにもして来なきゃ大丈夫です!もう、座っててください〜」
「おまえ〜それ自分のことスゲェ棚に上がってっぞ?」
言われてみればそうだ。
今は全く動じないが、最初から触ってもつついてもビクともせず運転していた訳ではない。
高校生の時”まぁ危ねーわな、車もオレも…変なところに意識が飛びそうになったりしたし”と言われた意味が良く分かる。
でも今日は特別だからしょうがない、とも思う。
「……運転中触らなかったでしょ?…」
「…そうだな、さすがのオレも今日されたらヤバかったな確かに。…心臓が尋常じゃないもんな」
「……ですね。あの、やることないなら」
「おう。何でも言ってくれ」
「……お…お風呂のお掃除、お願いします…」
「…了解っす」
目線を上げられず包丁を見つめたまま何とかそう言うと、明らかに照れた声の彼が小声で返しバスルームに消えていった。
ムリヤリ鼻歌なんか歌いながら。
ぴんぽーん。
不意にインターフォンが鳴ると同時にドアノブがガチャっと音を立てて回った。
「真咲ーっこの前貸した卒論の資料返してくれねーと………」
いきなり入ってきた男の人がそう言いながら玄関で靴を脱ぎ掛ける。
玄関入ってすぐキッチンの造りでは、対応を考えるヒマもなくバッチリ目が合って。
「え…あ、あのっ……真咲先輩は今」
「……………ちゃん?」
「あ、はいっ!……こんばんは」
「俺、櫻井といいます。覚えてる?」
『サクライさん』は高校生の時、先輩の携帯を代わって話したことがある。
私のことで毎日あーでもないこーでもないって大変なんだよ、って言われて。
その後急に先輩が”テメー余計なこと言うんじゃねーっ!!”って大声出したからビックリしたっけ。
「はい、覚えてます。一度電話でお話ししま」
「櫻井ーーーっっテメエ何やってんだよ!!」
ダダダダダッッとすごい勢いで真咲先輩が飛び出してきた。
ジーンズの裾を膝まで上げて、腕まくりもしたまま。
「何にもしてねーよ、親友に貸して差し上げた資料を返してもらいに来たら、すげえ可愛い子がご飯作ってたからナンパして」
「してんじゃねーか!!見るな!!!」
「ひゃあ!」
先輩がガバッと私を後ろに庇って櫻井さんから隠してしまった。
何が何だか状況がうまく飲み込めないけれど、先輩がものすごく焦っているのは分かる。
「いいじゃん。俺ずっと紹介しろって言ってたのにさぁ、真咲が会わせてくれねーんだよ?」
「誰が会わせるか!減る!!」
「ヒデエな〜、ねーちゃん?」
「あ、はいっ?」
ひょこっと先輩の背中から顔を出すと櫻井さんはニコニコしてこちらに手を振った。
「俺も同じ大学だから、また会おうねー。今日はコイツに殺されそうだからやめとくけど、今度は俺にもご飯食べさせてね?君に片思いしてた時のコイツの情けない話をいっぱい聞かせてあげるから〜」
「わぁ、それ聞きたいです!」
「櫻井!!!」
「あーハイハイ、資料は今度の講義でいいや。じゃあねちゃん、オヤスミ♪」
「はい、おやすみ……なさい?」
「あっはっは!素直だなー」
櫻井さんは笑いながらも手荒く外に押し出され、真咲先輩が鍵とチェーンを掛け、ガチャガチャと厳重にチェックした。
シンとした部屋にバイクの排気音が遠ざかっていく。
「………先輩、怒ってる?」
「怒ってる!ちゃんとドアに鍵掛けな…かったのはオレか、ごめん。んでも!怪しいヤツ入ってきたら逃げろよ!」
「だ、だって”真咲ー”って入ってきたから…」
「………………」
「……先輩?あの…」
「……………あいつ見て、どう?」
先輩が急に真剣に声でそう聞いた。
質問の意味が分からないけど、取りあえず第一印象で答える。
「どう?…んーと、面白そうな人だなあって」
「………他には?」
「ちょっとしか話してないから分かんないですけど…どうして?」
「……ほら、イイ男だな〜とか…カッコイイ〜とか……思わなかったか?」
「そういえばそうですかね?なんでそんなこと聞くんですか?」
「…………あいつはすっげえモテるんだよ。顔はいいしスポーツはできるし家も金持ちだし…まぁ性格もいいしな」
「はい」
「だから…会わせたくなかったんだよ」
「……はい?」
「もしがあいつの方がいいって思っちまったら、オレなんか相手になんねーの」
「怒りますよ?」
腕まくりを直しながら拗ねたように先輩が言い。
その言葉に我慢できなくなって低い声でそれを遮る。
「それって私が格好良い人なら誰でもいいって思ってるってことですか?」
「いや、違くて!オレはなんてーか…微妙だし?あいつの方がと釣り合うのが悔しいなぁって」
「誰が釣り合うとか釣り合わないとか決めたんですか?誰が先輩を微妙だって言いました?」
「いや…いつもあいつといると比べられてさ、真咲クンは微妙だよね〜って…ちょっとヘコむんだな…」
「その誰かにそう思われることが先輩にとって重要なことですか?私がどう思っているかより?」
「…そうじゃねーけど」
「じゃあ先輩は有沢さんの方が綺麗で仕事もできて大人だから、私より有沢さんの方がいいんでしょ?って言われたらどうします?有沢さんと付き合っちゃうんですか?」
「有沢!?まさか!!オレは…おまえが世界で一番可愛いとしか思えないから」
「………だから私にとっても…先輩が一番格好良くて大好き、です」
「………」
急に恥ずかしくなって俯くと先輩が優しい声で名前を呼んだ。
続いて大きな体が私を抱き締めてすっぽりと隠してしまう。
「………」
「はい?」
「………ゴメン」
「…今度言ったら承知しませんからね?」
胸の中で呟くと、微かに首が縦に動く。
なんとか動いて頬に口付ようとすると、その前に先輩の唇が私に重ねられた。
「………ん、ん!……ぅんー!」
「………ん?…どした?」
「…先輩!…あの、手が……」
腰からさわさわと迫り上がってきていた手を止めると、先輩が慌てて両手を離した。
「うわっ、と…ゴメン!」
「い、いいんですけど……」
「……………いいの?」
「いえ、でも…とりあえずご飯にしましょうね、ね?」
「う………ハイ…」
小鉢やお箸を持って逃れるようにその場を離れると、キッチンから何度か聞いたことのある”落ち着けー元春ー”という呪文が小声で聞こえた。
テーブルを拭いてお箸を並べて。
お茶碗にご飯を盛っている私の後ろを”アチチチチ”と言いながらお鍋を運ぶ先輩。
ああもう、なんだかすごく幸せだ!!
そんなことを思いながら先輩のお茶碗に自分の三倍量を盛り上げた。
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