『もしもし?ちゃん、ですか?』
独特のイントネーションにはにかんだような声。
彼からの電話はいつもこうして始まる。
人柄が滲み出ているような緩やかで優しい声に、胸の中がほわほわ暖かくなって。
嬉しくて、つい毎回返事が遅れてしまう。
「………うん、私だよ。元気?」
『オラは、元気。ちゃんも元気?』
「うん。…あのね、今日ねぇ駅で久しぶりにはるひちゃんに会ったの。まだ卒業して二ヶ月しか経ってないのに、大喜びしちゃって。それでね………」
私が話す他愛もない事に、いちいち相づちを打って感心して。
時々少し、笑う。
その笑顔が見たいから、電話ではいつも少し損した気分。
「……今度の日曜、みんなで遊ぼうって話になったんだけど、古森くん都合どうかな?」
『オラは…かまわねけど。……だどもオラが行っても、いいの?』
少し不安そうに声を落とす。
彼はいつも周囲に気を使ってしまうから。
自分と居ることでみんなが、私が、恥をかくんじゃないかとそう思ってしまう人。
「古森くんにも会いたいって言ってたよ?……それにはるひちゃんも密ちゃんも彼と来るんだ。私ひとりじゃ寂しいよ。……ダメ?」
『ダメでねぇよ。そんならオラが行かねば。ちゃんさ一人にするもんか!……あ、オラで良ければ、だども…』
「ホントに?嬉しいな。……早く日曜来ないかな〜?古森くんに会えるのすっごく嬉しい」
『つい先週会ったばかりでねが。甘えっこだな。……んでも、やっぱ早く日曜来ねーかな』
照れた声でそう言って、待ち合わせの時間を確認して。
口数は少ないけれど、最後に必ず。
ちょっと言うのに勇気がいるように間が空いて。
『………ちゃん、おやすみ。……愛してる』
そう言って電話が切れる。
胸の中のほわほわはベッドに入っても、ずっとそこにあって。
やわらかく眠りに落ちていける。
彼の声が大好き。
日曜の朝。
いつもより早く起きてお風呂に入り。
前の日にさんざん迷って決めた服を、もう一度迷って。
でもやっぱり、その服に落ち着く。
少しだけお化粧して何度も姿見でチェック。
嬉しいな、もうすぐ逢える。
昨日の声を思い返したほわほわにドキドキが混じる。
彼からのプレゼントのテディベアを、意味もなく日当たりのいい窓辺から抱き上げてぎゅっとして。
陽の光で暖かくてやわらかくて、彼の笑顔みたいで幸せ。
する事がなくなると、もうどうしようもなく会いたくて、待ち合わせにはだいぶあるのに家を出た。
待ち合わせ場所にはまだ誰も来ない。
まだ三十分も前なんだから当然のこと。
けれど、彼女はそのまた三十分前からそこに立って。
時々辺りをきょろきょろ見回していた。
突然ぽんぽんと後ろから肩を叩かれて、驚いて振り返った。
やっと彼に会えると浮かんだ笑顔が、困惑に変わる。
「カーノージョ♪何してるの〜?」
馴れ馴れしい口調で話しかけてきた、髪を染めて派手な格好をした男。
耳にはピアスがずらりと付いていて。
ニヤニヤ笑いながら前を塞ぐように立っている男から、慌てて目を逸らして告げた。
「……待ち合わせしてるんです」
「そっか〜さっきから見てたけどカレシ来ないね〜?そんなヤツ放っといて俺と遊ぼうよ〜」
「少し早く着いちゃっただけです。もうすぐ来ます」
「ウッソだぁ〜。警戒してんの?大丈夫、俺すごくイイヤツだから♪さっ、行こ行こ!」
「やっ…離してください!本当に待ち合わせしてるんですっっ……」
男が手首を掴んで引っぱるのを必死に踏みとどまる。
近くにいる人はチラとこっちを見て、余計に足早になって通り過ぎて行く。
怖い……怖い!!
恐怖で大きな声も出せず、引きずられそうになって。
涙で視界がゆがんだ。
「っっ…離せ。……その手」
聞き覚えのあるイントネーションの声が響く。
声の方を見た男が不快そうに眉間に皺を寄せた。
「なんだテメェ?文句あんのかぁ?」
「いいがら!その手離せって言ってんだ!オラの女さ、手ぇ出すな!!」
「は?」
男は一瞬呆けたような顔になって、次の瞬間大声で笑い出した。
「ぶわっはっは!何だ田舎モンか。彼女のカレシってもしかしてこれ?絶対俺の方がいいって!何でこんな田舎モン相手にしてんの〜?」
「古森くん!……離してよ!!」
私の手を掴んでいる男の手首に、彼がすっと手を伸ばした。
小馬鹿にしたような笑いを浮かべたままの男が私の手を離して、彼に向き直る。
男の手首を持って20センチはありそうな身長差を下から睨み上げ、彼が静かに口を開いた。
「オラは間違いなく田舎モンだだども、田舎モン舐めるんでねーぞ?」
「うっ………離せ!イタタタタ痛い痛い痛い!!!」
掴んだ手首を動かしてもいないのに、男が悲鳴を上げてその手を外そうともがく。
腕にすがった彼女を後ろに庇いながら。
「見かけ倒しか?なんの事もねーな、もちっと鍛えねばダメだ。相手になんね」
「………っっっ…くそっ…」
手を離すと転げるように逃げていく男を見送ってから、彼がすまなそうに彼女を見た。
「ごめんな、一人にして…それに、こんなとこであんな事……恥ずかしかったんでねか?どこも痛くしながった?」
「ううん、大丈夫……私が待ちきれなくて早く来ちゃったの。…まだ待ち合わせの時間じゃないのに、どうして?」
「……オラも、ちゃんに会うの、待ちきれねくて。んでも、早く来て良がった」
「古森くん…ありがとう、助けてくれて」
「……いっや〜マジですげえなオマエ!ちっちゃいのに!」
急に入ってきた声に振り返ると、針谷がガッと彼の肩を抱いた。
”ちっちゃいのはアンタもやんか”と言うはるひの声に”ウルセー”とふてくされたように返しながら。
「何か達人みたいやったわ〜。ジュードーとかケンポーとかやってたのん?」
「ごめんね、ガラス越しに見えて慌てて走ってきたんだけど…加勢する前に撃退しちゃったわね」
密とクリスもビックリしたように彼を取り囲んで。
みんなの視線が集中する中、彼が恥ずかしそうに呟いた。
「………雪かき…ちっこい頃からやってたがら、腕の力だけは強くなって。それに、寒いとこ生まれはあんまり大きくなんねんだ。……でかいとそんだけ風や雪浴びっから……」
「いい!お前、実はロックなヤツだったんだな!」
「筆と書類より重いモンは持ったことないボクには憧れやわ〜」
それぞれ違ったイントネーションの言葉を次々に受けながら。
彼が本当に嬉しそうに私を見て、手を差し出してくれる。
その手を握ると、はにかんだ笑顔。
「あっついなぁ〜まだ五月やで〜?」
「オイ、いちゃついてる時間ねーんだよ!遊びに行くぞ早く来い!!」
見つめ合って少し遅れた私たちに冷やかしが飛んでくる。
二人で笑いながら友達の輪に走った。
優しい声と暖かい手は前から。
少し日焼けした顔とお日様の匂いは最近。
大きな声で、私を自分のものだと言ってくれたのは初めて。
これからもきっと、彼は変わっていくのだろう。
でも、ずっと大好き。
おわり |