軽快なインターフォンの音を聞いて、彼女が足元に気をつけながら玄関に向かった。
初詣に誘う電話をもらう前から着付けていた振り袖の帯の形を、下駄箱の横に据え付けられた姿見でもう一度確認。
それから一呼吸してドアを開けた。
「よっ。……元気か?」
少し照れたような彼の顔が覗く。
在学中から毎年の恒例行事になっている初詣デート。
高校を卒業して大学生になった今年も、いつもと同じように始まると思っていた。
「………ど、どうしちゃったんですか!?」
いつもと同じ格好でそこに立っているものとしか思っていなかった彼女が、彼の出で立ちにビックリして声を上げた。
ツンツン頭はキレイに後ろに撫でつけられ、グレーのスーツにネクタイ着用。
耳にピアスは無く、紙袋を持って少し恥ずかしそうな、バツが悪そうな表情で。
「あ〜〜…んと、似合わないか?」
「そんなことないです、けど…今日何かありましたっけ?」
「イヤ…その……オレも今年から社会人だし?」
「………はい」
彼にしては珍しく歯切れが悪い口調で言い難そうに、視線は自分の靴と彼女を何度も往復して。
それからすーはーと大きく深呼吸を一つして、ようやくそれを口にした。
「……………親父さん、いるか?」
「…………え?」
「挨拶…しときたいなって。おまえの親御さんに」
「えええ!?」
いきなりの展開に彼女が仰天して一歩後ずさる。
自分の言った言葉に照れたのかこれから始まる試練への緊張か、彼はしきりに耳のピアス穴のあたりを気にして。
彼の格好の意味を理解してビックリし終わった彼女の顔にも、朱が上った。
「え……ええっと、います…けど」
「……おう。会ってくれないか、聞いてくれ」
「ちょ、ちょっと待ってくださいね!?」
もう足元を気にする余裕もなく、彼女がぱたぱたと小走りで家の奥に引っ込んでいった。
内容までは分からないけれど、奥から何度か話し声が聞こえて。
彼はバクバク言い出した心臓を深呼吸で抑えながら、玄関先で待つ。
やがて顔を赤らめたままの彼女が家の奥から姿を現し、緊張した小さな声で、どうぞとスリッパを並べた。
廊下を少し進んだ先の引き戸をそっと開けて、気遣わしげに振り返る彼女に続いて。
意識して背筋を伸ばして胸を張って、その和室に足を踏み入れる。
中央の大きな座卓に、床の間を背にして座っている和服の男性の襟元を努めて見ながら、失礼しますと声を掛けた。
「真咲くん、いらっしゃい〜」
何度か面識のある、彼女に似た雰囲気のお母さんが、開け放した障子の向こうのダイニングキッチンから明るく声を掛けてくれて。
彼が少しだけ安堵し、そちらに向かって軽く会釈してから男性の正面に立った。
彼女が彼を見上げて、恥ずかしそうに紹介を始める。
「お父さん、あの…バイト先と大学の先輩で真咲元春さん、です。先輩、これが父です」
「初めまして真咲です。よろしくお願いします」
お辞儀の角度は四十五度。
不自然でない程度に指先まで伸ばし、早すぎないように頭を倒して、ゆっくり三秒数えてから頭を上げる。
「どうぞ、そこへ座りなさい」
置かれた座布団を辞しようか一瞬迷う。
作法はどうか分からないけれども、そこまで遠慮するのは他人行儀にしすぎのような気がしたので、隣の座布団に座った彼女に習って正座した。
「…明けましておめでとう。優月が世話になっているようだね」
言われてはじめて正月だった事を思い出した。
正月気分なんて吹っ飛んでいたから。
「……明けましておめでとうございます。お世話なんてとんでもない、です」
「はいはい、お茶でもどうぞ〜」
「あっ…っと、これつまらないものですが」
絶妙のタイミングで横からお茶が置かれ、それに乗じて持ってきた菓子折の紙袋をそちらに差し出した。
ひとつミッションが終了した事に、心の中でグッと拳を握る。
「ま、そんなに気を遣わなくても良いのに。緊張しちゃって、今日はどうしたの?優月を下さいって言いに来た?」
「い゛っ!……イイエ、そうじゃないですが!」
「お、お母さんっっ!!もう黙っててよ!」
真咲が慌てて首を振るのを楽しそうに笑った母親を、彼女が声を荒げてたしなめる。
すると正面の父親がふっと、肩から力を抜いた。
「何だ、違うのか。俺はまたてっきりそうなのかと思って反対の台詞まで考えていたのに」
「お父さんまで!!」
「反対……なんですか?」
「うん♪」
父親も制しようとする彼女の肩を少し押さえて、止めて。
もはや襟元を、などとは言っていられなくなった真咲が、父親に正面から目を合わせた。
「それはオレに問題があるんでしょうか?今日は社会人になるけじめとしてお付き合いをしているご報告に来ましたが、いずれはそのつもりでいます」
挑むように言い切った真咲を目を細めて見て、父親が口を開いた。
「いいや?君の話は聞いているし、いつかはやってもいいけど、今は駄目だっていう話だ。……だってこんなに可愛いんだぞ?もうちょっと手元に置いてくれたっていいじゃん?」
…じゃん?
いかめしい格好と語尾のアンバランスに拍子抜けする彼の横で、彼女が父親を叱りつける。
「お父さん!!言葉遣いちゃんとしてって言ったじゃない!いい年して恥ずかしいんだってば!」
「……いや、あの…別にいいから、な?」
「だよな、いいよな?肩こった〜、優月がこんなもん着せるからだ」
「……それで、いつかは……嫁さんに欲しいと思っているんですが」
一気にくだけた父親の態度に、面接心得が飛んでしまいながらも、彼が確約を取り付けようとその話題で粘る。
彼女の父親は、難しい顔で腕組みしながら考え込んで。
「……嫌だけどな〜孫も欲しいし、しょーがないよな〜…真咲くんって長男なのか?うちに住まない?」
「いや次男です。家族は自分で養いたいと思ってますから、それは」
「おおぉ?大きく出たなコノヤロ。ってか初任給そんなあんの?俺も雇ってよ〜」
「ありません。創作料理店の下っ端ですから。養えるようになったら、の話です」
「じゃあ俺に家賃払えば良くね?今の部屋代いくら?お安くしますけど?」
「今は学生ですし1DKで四万ちょいですが、優月を嫁に貰うまでには家族で住める間取りのうちを用意します」
「どさくさに紛れて呼び捨てしたなオイ」
「すいません、ついいつものクセで」
間髪入れない応酬が一段落したところで、彼と父親が顔を見合わせニヤリと笑った。
それまで唖然として成り行きを見守っていた彼女が、やっと口を挿む。
「お父さんたらもうっっ私いやだよ!ちゃんとお嫁に行くんだから!」
「お前が出てったらママと二人っきりになっちゃうじゃん、寂しくね?」
「ママって言わないでってあれほど!!」
「あ、真咲くん酒でも呑んでかない?正月だしさ〜」
「いいえ、オレ……僕は車なのでスイマセン」
「え〜泊まって行きゃいいじゃん?優月の部屋に布団入れるよ?」
「泊まっっ!?……それはちょっと」
「お父さん無理ばっか言わないで!ちゃんと話を聞きなさーいっ!!」
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