次のバイトに入った日に聞かされた、彼女が電話でやめると言ってきたと。
何度もごめんなさい、と泣き声で謝りながら。
受験だし、そうなるかも知れないと伝えられていたけれど残念ね。と寂しそうに店長が言った。
有沢が信じられないという顔でこちらを見る。
オレはどんな顔をしていたんだろう。
あの時。
彼女の腕を掴んで。
小さな身体を引き寄せて。
誰にも渡さないそんな事が出来たら、オレは死んでもいいって思うよ。
真っ暗な部屋で、そう言って彼は心配してかけてきた親友からの電話を切った。
◇ ◇ ◇
一月十日。
こんなに長く声を聞かなかったのは出会ってから初めてだ。
「…………痛っ…てぇ」
久しぶりに薔薇のトゲを刺した。
彼女が入ったばかりの時にやって、手当して。
初めは自分もやったと言うと、お揃いだと笑った。
指先に出来た赤い点を見たら彼女の唇を思い出して、慌てて服で擦り落とす。
けれど、それはいつまでもズキズキと痛んだ。
いつまでも何かを急かすようにいつまでも。
着信音が鳴る携帯を、配達終わりの車の中で取り出した時も。
『ハル?昔のよしみで良い事教えてやる』
電話を掛けてきた幼なじみは、久しぶりに昔の呼び名でオレを呼んだ。
『アイツが意地っ張りなの知ってるだろ?俺には一度も泣いてくれなかった』
何も言えないオレに、元々低い声をもう一段階下げて。
『それとお前、外で女と歩くときには見られてると思え。最近の高校生は平日昼間でも学校にいるとは限らないからな』
はね学の校庭の花壇で、ぶつかって。
それからすぐにバイトとして入ってきて。
元気で小さくて可愛くて、妹ができたみたいで嬉しくて。
今度はどこに連れていってやろうか、なんて考えるだけで楽しくて。
無邪気にオレの手で遊ぶ横顔が可愛くて。
気づいた時にはもう好きになってた。
運転中じゃないと届かないからと信号待ちの度に髪を触って。
やめろ、と言うとしゅんとして小さくなって、でもいつの間にかまた触っている。
一日中遊んだ帰り道には肩にもたれて居眠りをする寝顔。
何度か仕返しに触ってやろうと考えたけど、オレには無理で。
おまえが居ないと生きていくのも無理な気がして。
だから。
呼び出し音が聞いているのが怖い。
腰が引けそうになるのを人差し指の絆創膏を握って、耐えた。
『もしもし』
「………優月、誕生日おめでとう」
向こうで小さく息を吐く音が聞こえるほど、静まり返った真夜中。
少し先の闇の中に何度も送った彼女の家がある。
エンジンを切った車に忍び込む寒さが、茶化して逃げたい自分を抑え込んでくれていた。
日が変わると同時に掛けた電話でも、眠っていたような声音はない。
「十八歳、おめでとう。……それでな、あと十日もすると今度はオレの誕生日なんだ」
『………っっ…ふ…』
「オレにも誕生日プレゼント、くれないか?」
『……………っく…』
泣いているのはオレのせいだ。
誰がなんと言おうと、オレがずっと放ったらかしにしていたからだ。
そう思いたい。
「会いたい……優月に会いたい」
ふいに遠くに響いたサイレンが同時に聞こえる。
車の外と、携帯の向こうで。
それからすぐに、電子音がもう彼女に繋がっていないことを知らせた。
電話を放り、人差し指を見つめて。
ため息を吐いてエンジンをかける。
「……やっぱ王子様ってガラじゃねーしな」
諦めるなんて簡単だと思っていた。
ただ彼女が幸せであればそれでいいと。
オレの傍で笑っていなくても。
どこかで笑っていればそれでいいと、そう思いたかった。
でも今は、神様でも悪魔でも幽霊でも何でもいいから。
「……………!!」
ヘッドライトに浮かぶ白い人影に、ホラーで慣らした心臓が跳ね上がった。
車の前に、白い光に照らされたパジャマの裾を掴んだ泣き顔。
脳が理解するのに時間がかかって、慌てて車のドアを蹴った。
神様、悪魔様、幽霊様、ついでにゾンビ様。
「……うっく…ひっ………ふ…ぅあぁぁんっ…」
ちいさな子供のように両手を差し出して飛び込んでくる彼女をオレに返して。
「………せんっっ……ふェっ…真咲、せんぱっ…」
そして、どうかこれからも、オレの傍に置いといて。
おわり |