「あ、こらアルルゥ!つまみ食いはだめ!」
「おいしーv」
冷ましていた卵焼きをむぐむぐしながら笑う妹にため息をつきながら、これ以上手が伸びて来ないうちに手早く竹の皮でそれらを包む。
早朝、突然訪ねてきたテオロさんに誘われて釣りに出かけた彼。
弱った体を元に戻すには少しくらい遠出をした方が良い、というテオロさんに頷いて行ってしまったが、せっかく完治寸前の体が内心気が気ではない。
午前中からやきもきしていたけれど、この時間になっても戻らない。
こうしていても仕事も手につかないので、お弁当という口実で様子を見に行くことにしたのだった。
「アルルゥ、ハクオロさんにお弁当届けに行ってくるから、お留守番しててくれる?お昼ごはんとおやつ用意してあるから」
「……おとーさん?おべんと?あるるも!」
「え?アルルゥも行くの?」
「いくー」
「だって山の渓流まで結構歩くのよ?それにアルルゥがごはん食べてからじゃ遅くなっちゃうし…」
「いくーー!」
「わ、分かったから…じゃ、一緒に行こう。少し遅くなるけど、お昼は帰ってから食べようね」
ヤマユラの集落を抜けて美しい森に分け入る。
明るい陽の光の射し込む中、夜行性の危険な獣は眠っている時間だけれど、一応の注意を払って。
平坦な一本道が終わり、木の根や岩が障害物になり始めた頃。
最初は先へ先へと機嫌良く歩いていた妹も、段々歩幅が小さく遅くなっていく。
それでも頑張って着いてきていたのだが、もうそろそろ目的地という辺りでついにゴロゴロしている岩に座り込んでしまった。
「あし……いたい」
「アルルゥ、もう少しだから」
「やー…いたいー」
「……困ったなぁ……もうお昼過ぎちゃってるのに」
せっかく作ったお弁当を膝に置いて動こうとしない妹に、エルルゥがため息をついた。
朝早く出た彼は、きっとお腹を空かしているだろう。
テオロさんも、行くなら前日から言っておいてくれれば朝早起きして作っておいたのに。
そんな事を考えながら辺りを見渡しても人の気配はない。
「おとーさん、どこ?」
「もう少し先かな?……じゃアルルゥ、おんぶしてあげるからハクオロさんのお弁当しっかり持っててね?」
「うん。おとーさんのおべんと、ぎゅう」
「静かにしててくれないと落っこっちゃうんだからね?」
背中に乗った妹をよいしょ、と揺すり上げて上流に向かって歩き出した。
ただでさえ足場が悪いのに、妹とお弁当の重みが肩にのしかかる。
汗だくになりながら三十分ほど渓流の岩や浅瀬と格闘して。
ようやく遠くの大岩に人影が二つ見えてきた。
「おとーさん、おとーさーん!」
「ちょっ、アルルゥ暴れないでっ…」
危なく落としそうになりながら膝を着くと、途端に彼に向かって身軽に走る妹。
その後ろ姿に息を切らせながら、もう!と頬をふくらませて。
疲れた足を引きずるように人影に向かって再び歩き出した。
「………あっ!アルルゥ!」
「おいしーv」
「ダメじゃない、それはハクオロさんのお弁当でしょ!」
やっとたどり着いたそこには、彼の膝で持ってきたお弁当のおにぎりにかぶりつく妹。
それを見て仮面の下の瞳を優しく綻ばせる彼。
思わず声を荒げると、こちらに向き直りふわりと微笑んだ。
「構わないよ。こんな遠くまで来て疲れたろう?エルルゥもお食べ」
「……いえ、わたしは…」
「アルルゥ、ほっぺたにご飯粒がついてる。慌てなくてもいいから」
彼がくすくす笑いながら妹の頬のご飯粒を指ですくって口に入れる。
その甘い仕草にちくちくと胸が痛んだ。
彼をお父さんと呼ぶ妹。
自分達を家族だと言ってくれる彼。
わたしも、彼にとって娘のような存在なのだろうか?
「………エルルゥ?どうした?」
「……えっ!?いえ、何でもっ…」
お昼も食べずに歩き回ったせいか、妹は彼のお弁当をあらかた食べてしまって。
その上、膝にもたれてもうとろとろと微睡み掛けている。
彼がその髪を優しく撫でながら声をかけた。
「アルルゥ、こんな所で眠ったら体を痛くするよ。魚も釣れたし、おぶってあげるから帰ろう」
「ハクオロさん!無理はダメですよ!」
「大丈夫だよアルルゥの一人くらい。…さ、アルルゥ背中に乗って」
「う…んー…」
「エルルゥは疲れてないか?」
「わたしは大丈夫です…山歩きは慣れてますから」
「じゃ、みんなで家に帰ろうか。親父さん、すみませんが先に帰りますね」
「おう俺はもう少し粘るぜー……チクショーどうして俺だけ釣れないんだ…母ちゃんにどやされちまう……」
ぶつぶつ言いながら竿を振るテオロさんに笑いながら、彼は半分夢の中にいる妹を軽々と背負った。
「エルルゥ…疲れているんじゃないのか?」
「え!?全然大丈夫ですよ?……どうしてですか?」
渓流を後にして山道を下り集落が見えた所で、彼が不思議そうに声を掛けてきた。
確かに行きは妹を背負って少し疲れてはいたけれど、悟られないように足を強く出して歩いていたのに。
もやもやしている胸の内を見透かされたようで、彼女が少し焦って聞き返した。
「………耳としっぽが下がってる」
「えぇ!?」
慌てて耳を押さえ、しっぽに力を入れて持ち上げたけれど、彼の視線は気遣わしそうにこちらを見て外されない。
大丈夫、と何度も言ってわざと大仰にしっぽを振って。
それよりハクオロさんはお疲れじゃないですか?と切り返した。
「大丈夫だよ。何ならエルルゥがアルルゥをおんぶして、そのエルルゥを私がおんぶしようか?」
「いっ…いいです!わたしは大丈夫ですから!!…あのっ、先に戻ってますね!?」
笑いを含んだその言葉にぼわ、としっぽの毛が広がるのを感じ、慌ててすぐそこに迫った集落に向かって駆け出した。
◇ ◇ ◇
カコン、コン…カコン……
「…………ん…?」
深夜、外の物音で目を覚ました。
そっと立って窓を上げると、しんと澄んだ真っ黒な夜空に月と星が明るい。
耳を澄ますと確かに家の裏手から聞き慣れた音がする。
「………薪割り…?こんな夜中に……」
手早く上着を羽織って隣の妹を起こさないように、静かに家を抜け出した。
「………ハクオロさん、どうしたんですか!?こんな時間にっ…」
「…あぁ、すまない。起こしてしまったかい?」
片肌を脱いで斧を持った彼が困ったように微笑む。
それに首を振ると、彼が斧を置いて歩み寄ってきた。
「……昼間、どうして君の元気が無かったのか、気になっていて。……それで思いついたから」
「………え?」
「明日の仕事を今のうちにやっておくから、明日は私と出掛けないか?」
「………えぇ!?でもっ……」
「アルルゥには内緒にして、親父さんの所に預けておいで?お弁当を二つ作る所も見られては駄目だよ?」
「……あのっ…どうして………」
家の中で眠る妹に聞こえないように耳元で囁く彼。
顔を真っ赤にした彼女があわあわと狼狽える。
片手でその赤い頬を撫でて。
「そう、それが見たかったんだ」
ぱたぱたと音を立てるしっぽを見つめて、彼はとても嬉しそうに笑った。
END.
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