それは、ある晴れた朝のこと。
チョコレート工場の経営者だったウィリー・ウォンカと、その後継者であるちいさなシャーリーは、めずらしく外出の準備をしていました。
ここに来るまで普通の生活をしていたシャーリーはともかく、工場を閉鎖したあとのウィリーが外に出たのは、ルンパランドへ出かけたときとシャーリーに会いに行ったときの二回だけ。
いつもより立派なコートに着替えて緊張しているウィリーを見上げて、シャーリーはすこしためらいながら話しかけました。
「……ねえウィリー」
「なんだい、シャーリー?」
「やっぱり、やめた方がよくない?」
シャーリーがそう言うと、ウィリーは目を丸くしてふりむきます。
「え、どうして?」
「だって、ここまでするほどのことじゃないと思う……」
「でも、危険すぎるよ!僕がついていかないと!」
「そんなことないわよ。今まで大丈夫だったんだもの」
「今までがそうでも、これからもそうだとは限らないよ!!」
彼が力説しながらガラスエレベータのドアを開けたので、シャーリーはかくれてため息をつきました。
この日のために、天才マジシャンはエレベータにとくべつな魔法をかけました。
外側は、大勢のひとが叩いても高いところからおちても壊れないくらい強化されています。
そして、たとえウィリーがいなくてもチョコレート工場まで帰れるよう、中には緊急帰還ボタンがつけられました。これは、シャーリーとウィリーしか押すことができません。
いえ、それをいうなら、このガラスエレベータに乗れるのがそもそも二人だけなのです。
二人以外は、たとえウンパルンパたちだって乗れません。ドアのところで見えない壁におしもどされてしまいます。
そこまで周到に準備したことをほこらしげに語る彼に、シャーリーは今度はかくれずにため息をつきました。
「ウィリー。わたしが行くのは戦場でも迷宮でもなくって、学校なのよ?ひとりで歩いていけるわ」
「でも、車は走ってるし、のら犬ものら猫もうろついてる。ああ、雷が落ちてくるかもしれない!
そんな危ない所へ、シャーリーをひとりで行かせられないよ!」
長いあいだ工場にひきこもっていたせいでしょうか。彼の目には、街がとても危険な場所にみえるようです。
ほんとうのことをいうと、彼はシャーリーをどこへも行かせたくはないのです。学校などというだいきらいな場所のために、何時間も彼女に会えないなんて、考えるだけでイライラします。
毎日、シャーリーが工場を廻るときもごはんを食べるときも家族に会いに行くときでさえ、嬉々としてついて歩く彼なのですから。
けれど、シャーリーがともだちのことを話す表情はとてもさみしそうで、彼はだいじなシャーリーのそんな顔がついに耐えられなくなったのでした。
『僕が見つけたのは君だ。家族も何もかも、すべてを捨てて来るかい?』なんて、傲慢なプロポーズのようなことを言っていたひとと同一人物だとは思えません。
そういうわけで、彼はしぶしぶシャーリーを元の学校に通わせることにしました。
でも、徒歩10分の学校に歩いて通うという普通感覚は、ウィリー・ウォンカには通用しませんでした。
「君を送っていくのも、迎えに行くのも、僕の役目さ。
だって、シャーリーをいちばん大切に思ってるのはこの僕なんだから!」
「……それは、うれしいけど……」
「それに、そうしたら少しでも多く一緒にいられるし。もちろん、君も僕と一緒にいたいよね?」
にこにこ、となんの疑いもない笑顔をむけられると、シャーリーも微笑まずにはいられません。
もともと送り迎えしてもらうのがいやなわけではなかったので、シャーリーはそれ以上なにも言わず、ただ
「ふふ。もちろんよ、ありがとうウィリー」
と答えて、彼を有頂天にしたのでした。
◇ ◇ ◇
「じゃあ、また明日ね!」
ひさびさに学校へ行ったその日の夕方。
シャーリーは終業の鐘がなるのと同時に、そう言って教室をとびだしました。
みんなはもっと話をききたがったのですが、彼女がどうしてもというので、『あんな大きな工場を継いだから忙しいんだろう』と引きさがったのでした。
「ウィリー、ちゃんと来れるかな……」
まちあわせの場所は、朝のうちにきちんと教えてあります。彼がその場所へ時間どおりにくれば、シャーリーが朝から心配しているようなことはおこらないはずです。
でも、門が見えるところまできて、シャーリーはわるい予感が的中したことを知りました。
学校からすこし離れたところに30分後にくるはずだった彼が、校門の前でたくさんの子供たちに囲まれているのが見えたのです。
わいわいと遠慮なく近づいてくる子供たちに、ウィリー・ウォンカは遠目に見てもぎこちない笑顔でたどたどしく答えています。
シャーリーがどうやって他の子に気づかれないように合図するか考えていると、彼はハッと目をみはって彼女を見つけ、とめる間もなくさけびました。
「シャーリー!!!」
その声に、まわりにいた子供たちはいっせいに彼女のほうをふりむきました。
そしておたがいに顔を見あわせると、わあっと興奮したようにさわぎたてました。
「やっぱり!ウィリー・ウォンカだ!!」
「すげえ!誰も見たことがない伝説のチョコ職人だ!」
「なにかやってみせてー!」
「どうやってお菓子を作ってるの!?」
さっきよりヒートアップした子供たちにとり囲まれ、彼は泣き出しそうなほど困った顔をしています。
シャーリーはおもわず額に手をあてました。
シャーリーがゴールデンチケットを引きあてて工場に招待され、その後ウィリー・ウォンカの後継者として工場をまるごともらったことは、この街の人間ならだれでも知っています。
そのシャーリーが学校にもどった日の放課後に、見たことのないあやしい男が校門の前をうろついていれば、うすうす気づかれてしまうというもの。
ましてや、自分がシャーリーを待っていたと暴露してしまっては、こんなさわぎになってもしかたありません。
そして、ウィリー・ウォンカはもともと自分勝手なひとなので、同じように自分勝手な子供はだいきらいです。
すこし前ならば、気にいらなければ文句を言って突っぱね、いじわるをしてほうり出せばすみました。そうしてもへっちゃらなほどの富と名声をもち、自分の世界のみで生きていくことになんの不都合もありませんでした。
けれど。シャーリーに出逢って、彼は変わったのです。
自分ひとりで生きていくより、だいじなだれかと生きていくほうが、何十倍もすてきなことだと知りました。
朝おきてすぐ、そのひとに挨拶をしに行くことが、どれほど楽しいことか。
食事の時間におくれても、そのひとがお腹をすかせたまま待っていてくれることが、どれほど嬉しいことか。
毎日かぞえきれないくらいのすてきなことを、だいじなだれかはくれるのです。
今の彼には、そのかけがえのないシャーリーのともだちを、邪険にすることはできませんでした。
だから、抱きつかれてもぶらさがられても嫌な顔をしないよう、いっしょうけんめいに笑顔をつくっています。
それをすこしだけくすぐったい気持ちで見ながら、シャーリーはいそいで彼にかけよりました。
「ごめんなさい、遅くなって」
平然をよそおって声をかけると、大声を出していた子供たちが一瞬しずかになりました。
ウィリーはあからさまにほっとした表情をして、あわててシャーリーのそばに近づきます。(いきおいで子供が二、三人ころがりましたが、わざと踏みつけないだけましでした)
「いや、僕が早く来すぎたんだ。学校は楽しかった?」
「ええ、とっても」
「それはよかった!じゃあ、その……帰ろうか?」
「そうね、今日も仕事はたくさんあるし」
痛いほどの視線の前でそう言うと、シャーリーはまわりの子供たちを見まわして、にっこりと笑いました。
「ごめんね。私が学校も工場も両方ほしいって言ったから、彼はとても忙しくなったの。だからお話はできないけど……
でも、来週発売される新しいチョコレート、みんな食べてみたくない?」
「え!?」
話しかけたくてじれじれしていた子供たちが、その言葉に目をかがやかせます。
彼女はさりげなくガラスエレベータの位置を確認しながら、ウィリー・ウォンカに目くばせをしました。
「……あ、ああ、そうだね!じゃあみんな、そこに並んで……そう、そのあたり」
言われるままの離れた位置に、子供たちはおしあいへしあい集まりました。
そのすきに、シャーリーはガラスエレベータに乗りこみます。
「それじゃあ、僕の愛するシャーリーのお友達に、特別なプレゼントを!」
そうさけぶと、ウィリーも同じようにエレベータに乗りこみ、緊急帰還ボタンの横の『チョコレート・スコール・ボタン』を押しました。
ふわりと浮き上がったエレベータの下から、まだ発売されていない新製品が、雨あられとふりそそぎます。
これは、彼がエレベータにとりつけたたくさんの防御機能のうちのひとつでした。どうやら、今回これだけが唯一やくにたったようです。
うれしそうにチョコレートを拾っている子供たちを眼下に見て、ウィリーはようやくおおきな深呼吸をしました。
「ありがとう……本当に、どうなるかと思った」
「だから、少し遅く来てねって言ったのに」
「でも、シャーリーを待たせるわけにはいかなかったし。それに僕が早くシャーリーに会いたかったからね。
……明日から、どうしようかなあ……」
エレベータを操作しながらあたりまえのように言われて、シャーリーはくすくすと笑い声をあげました。
「こんなに毎日いっしょなのに、ウィリーは変なこと言うのね」
「変じゃないよ!」
むっとした彼が、ムキになって顔を近づけてきます。
シャーリーはますますうれしそうに笑うと、彼の耳元でそっとささやきました。
「じゃあ、お菓子の話をしたらどう?」
「?お菓子の話??」
「ええ。新製品の感想を聞いたり、好きなお菓子を教えてもらうの。そうすれば、少しは仲良くなれるんじゃない?
だって、あなたのチョコレートが嫌いなひとなんて、世界中に一人もいないんだから!」
そう言った彼女の表情は、あまりにも迷いがなく、じつに自信満々でした。
ウィリーは一瞬だけぽかんとして、それから彼女にまけない笑顔をうかべると、シャーリーを抱き上げてくるくるとまわりだしました。
「それはいい考えだね!でも、僕は世界中の人のためにお菓子を作ってるんじゃなくて、君のために作ってるんだ。
たとえ他の子が何百人いたって、僕のチョコレートをおいしくするのは君だけさ、シャーリー!」
END. |