MANA's ROOM〜トップへ戻る
Total    Today    Yesterday   拍手メールサイトマップ
更新記録リンク掲示板日記
ときメモGS別館 アンジェ・遙時別館 ジブリ別館 ごちゃまぜ別館
 
 


    情と名と    

 

「おまえは何者だ」

それが、彼女に告げた最初の言葉だった。

ある日突然保護された、小さな迷い子。
肌寒い秋雨の降る森で、その娘はひとり木陰にうずくまっていたという。

「エルフではないが、ただの人間とも思えぬ。何らかの使命を帯びて遣わされた者か?」

尋ねると、彼女はビクリと縮こまり、曖昧な顔をした。
おずおずと見上げる不安そうな瞳。寄る辺無い身を震わせて、それでも懸命に膝を折らんとする姿。
痛々しくとも、それを和らげてやることはついにできず。

その時はただ、部屋を退出する後ろ姿を見送ることしかできなかった。

 

◇     ◇     ◇

 

「それでは、それはおまえに任せよう。他に何か変わったことはなかったか?」

ペンを走らせながら問うと、報告に来ていたグロールフィンデルがすいと離れた気配がした。
入口近くのテーブルで茶を淹れているのを視界の隅に捕らえ、書面から顔を上げる。

「いえ、特には」
「……そうか」

しかし、期待した答えは得られず、代わりにカップがテーブルに置かれる。
それに口をつけかけて初めて、自分の考えたことに気がついた。
期待した?
何を?

「…………あの娘は、どうしている?」

考えが至る前につい口を出た言葉に、グロールフィンデルが笑った気配がした。

「相変わらず……言葉が話せないわけではないようですが、自分からは進んで口をきかず、淡々と過ごしています」
「身元か目的が分かるような物は?」
「何も。どうも記憶を失ったまま長い間さまよっていたようで、裂け谷へ辿り着いたことすら覚えていませんでしたよ」
「そうか……」
「エルロンド。私は思うんですが、エリンは誰かに捨てられたのではないですか」

耳慣れない単語を聞いて、彼の眉が顰められる。
それに気づいたのか、グロールフィンデルはああ、と続けた。

「名前も覚えていないので……通り名もなくては不便でしたから」
「一つ星、か。通称にしても多少酷な名だな」
「皆、最初は身の上など知りませんでしたからね。知っていれば配慮も出来たのでしょうが」

エルフの中に混じった唯ひとりの人だから、エリン。
そう呼ばれるようになった理由は分からないでもないが、確かにそれは痛ましさを感じさせた。
あの時感じたような、理屈ではない感情を。

「……少し、外を歩いてこよう」
「どうぞいってらっしゃい。裏の林などでは、紅葉が綺麗ですよ」

不意に立ち上がったエルロンドを、グロールフィンデルはにこやかに送り出した。



外に出ると、ちょうど柔らかな午後の日差しが美しく木々を照らしていた。
静かに流れる水の音、鳥の鳴き声。優しい空気が流れるこの安息の地を、しかしエルロンドは早足で歩く。
やがて裏の林に出て、降り積もる枝葉を眺め透かした時、彼はそこに小さな影を見出した。

「……………」

銀色のローブを纏い、こそこそと落ち葉を拾う、頼りない姿。顔を見ずとも、それがあの娘であることは一目で分かる。
何不自由なく過ごすことができるこの最後の憩い館にあって、あのように不安な空気を纏わせている者など、他にはいなかったから。
どうやって声を掛けようかと、逡巡したエルロンドに応えるように、座り込んでいた彼女がふと顔を上げた。

あ」

一言そう呟くと、慌てて土を払って立ち上がる。
ぺこりと頭を下げて、目の前で囚人のように項垂れた姿は、彼にまたあの痛みを呼び起こさせた。

「そう硬くならずともよい。先日のように検分しようと思っているわけではない」
「は……はい」
「ただ、そうだな。少し話を聞かせてくれぬか?答えたくないことは答えなくてよいから」

そう言って、脇にしつらえられた腰掛けを示すと、娘は頷いてそこへ座った。
緊張した面持ちを横目で見ながら、どうすればそれが解けるものかと考える。
そして出た台詞は、少々脈絡のないものだった。

「ここでの生活は辛いか?」
「……え?」
「しばらく経つが、あまり気が休まらないようだな。グロールフィンデルなども心配していた」
「ご、ごめんなさい!わたし、あの、そんなつもりじゃっ」
「責めているわけではない。ただ皆、心配しているのだ。できるなら、おまえの恐れていることを知りたいと思っている」
「おそれている……こと……?」
「そうだ」

そうだ。
この娘は、何かを恐れている。
どんな饗応も詩歌も、彼女の恐怖を和らげることは出来ないほどに。

「……………。」

辺りに静かな沈黙が降りた。彼女が何事か迷っているのが窺えて、エルロンドは聞こえないように息をつく。
そのように泣きそうな表情をするほど、思い詰めさせたくはなかったから。

「無理はせずともよい。……私のことが恐ろしくて話せないのならば、誰か他の者に相手をさせよう」
「そんなことありませんっ!」

戯れに告げた言葉に予想以上の反応が返ってきて、彼は思わず目を丸くした。

「エルロンド…様は、わたしの恩人です!わたしはここで、どのような不満も不足も感じたことはありません。
 わたしのような得体のしれない者を置いていただいて、みなさんに親切にしていただいて。でも、わたしは、……」
「……私は?」
「わたしは……ただの子供です。自分が何者なのかもわからない。家族もなく、知識もなく、名前すらもっていない。
 使命などという重要な意味をもつ者では……ないのです。このような恩義を受けてよい謂われはないのです」

娘は涙を堪えて、ひたすらに目を瞑る。
それだけで、エルロンドは彼女の恐れを理解した。

自分が何か使命を帯びて来たと誤解され、そのために滞在を許されていると思っているのだ。
そうではないと伝えようにも、他に何も持たぬ身であることを懸念している。暴露され、では出て行けと追われることに怯えている。
頼る過去すらも持たないまま、ここから去らねばならなくなることを恐れているのだ。このような、か弱き人の子が。

一体、ここに辿り着くまでにどのような目に遭ったのか。他の者が聞き出したところでは、獣に追われたりオークに襲われたりしたようだが、一様にはっきりと覚えていないらしい。
ただ、淡々と。何も考えず、何も頼れず、野の恵みだけを口にして、この裂け谷までやってきたのだ。
グロールフィンデルに保護された時、彼女は差し出された手に怯えて後退ったという。それなのに、自分の前に出た時は決して逃げようとはしなかった。この地の長たる自分に礼を尽くさねばならぬと思ったのだろう。
愚かしい娘ではない。むしろ、強く聡明であると思う。

……その彼女が、この地での安寧を逃したくないと望むのであれば。
エルロンドはふ、と風が揺らぐように立ち上がった。

持っていないなら、与えればよい」
「え?」

何を言われたのか分かっていない表情をして、娘は背の高い彼を見上げた。
頭上から差す光に遮られたその顔は、笑んでいるように見えた。

「エルリアン。今日からそれがおまえの名前だ」
「える……?」

エルフ語で星の姫という意味だ、と言われて、彼女の頬が染まる。

「言葉も叡智も、何もかも、必要ならば教えよう。心安き家族がいないなら私がそれになろう」
「……え、あ、あの」
「私がおまえの憩いとなる。おまえが記憶を戻し、この館を去ろうと思う日まで、私の娘として恙無く暮らすがよい」
「………娘……?」

ぽかんと呆気にとられた彼女の顔は、まるで本当の幼子のようで。
また曇ってしまいはしないだろうか、と危惧した彼の想いを知ってか知らずか、その瞳からほろりと涙がこぼれた。

「……何故泣く。言っておくが、私は無理強いしているわけではない。おまえに何が足りないのかと、考えたからこそ」
「………し、い」
「この最後の憩い館において、憂う者がいることなど赦されぬ。それだけだ。気が進まないのならば、何か別の」
「ち、がいます!嫌なんかじゃありません!」
「何?」
「う、れしい……です。まさか、そんなことを言われるなんて、考えて…なかっ……た、から。
 ……わたしに、名前を……居場所を……あたえてくれるひとが、……わたしなんかに、……ほんとうに、」

呟きは絶え間なく、秋雨のように流れ落ちる。
彼女がこの裂け谷に現れたあの日から、ずっとつかえていたそれが、堰を切ったように溢れ出す。
ほろほろと零れ続ける涙を隠すように、エルロンドは彼女の頭を抱き寄せた。

「私なんか、という物言いは止すのだな。……おまえには似合わぬよ」


もしかしたら、この娘はただの人間の少女なのかもしれない。
不思議なことなど何もない、数多見てきたエダインと変わらぬ、有限の命持つ弱き存在なのかもしれない。

それでも、彼女が彼らと違って見えるとすれば。
それと見る者にとって、彼女が特別な存在だからなのかもしれなかった。

 

END.

 

 

 

 

再び逆ハーばんざい☆

なんだかエルロンドを間違っている気がしますが。うん、これでいい。これでいいよ自分。
泣く子に焦ってるエルパパ萌え……!この先、なにかお役に!っていって身の回りの世話とかするんですよ。そこにアラゴルンが来るんですよ。見てびっくりするんですよ。パパカコワルイ!
しかしこの話、ほんと一作目から思いつくままに行ってるのに、次から次へうまく伏線が使えるなあ……。楽しー。
そんなことをつらつら考えつつ。次はアラゴルンが書きたいけどアルウェンだけで終わるかもです。ガンダルフにいくかもです。
ここは是非、エルパパに娘で終わって欲しくない。恋愛に参加していただきたい。

あと、「エリン」は別に一つ星という意味ではなく単に「星」です。むしろ星々とかの広い意味かもしれない。変化形がよくワカランのよねシンダール語!
そもそも一つ星って金星のことだから、アルウェンになっちゃうし(笑) あーそうか、アルウェンは宵の明星だからこっちは明けの明星にしとけばいいのかな?明星(あかぼし)姫やね。語呂悪い!w


■作中用語解説■

最後の憩い館:裂け谷のエルロンドの館のこと。ここでは何一つ不自由なく、滞在するだけで疲れや悲しみが癒されるといわれる。
エダイン:おおざっぱにいうと人間と同義語。時間とともに変化してるんだが、エルロンド年長だから一番最初の意味でもよかろうと思った。