炎の弾ぜる音にふと目を覚ました。
野宿に慣れていないせいだろうか、肩の辺りに鈍い痛みを感じる。
彼は上半身を起こして無意識にフロドの無事を確認してから、くるりと目を配った。
焚き火の側には誰もいない。
小さくなった炎が薪の間から覗くのをしばらくぼうっと眺めていると、森で一番高い木の上から見る家々の灯りのように見えてきて、彼は軽く首を振った。
この無謀とも言うべき旅に加わって、二週間。
心の弱さをいまいましく思いながら芽生えた里心を打ち消した。
眠る前のワインのせいなのか、喉の乾きを感じて立ち上がる。
少し行った所に泉があった事を思い出して、皆を起こさぬように静かに歩き出した。
森の中ではあるが木々は一定の間隔で並んでおり鬱蒼とした感じはない。
樹木の間をしんと冷えた空気が通り抜け、深く吸い込むと肺が洗い流されるよう。
さくさくと軽い音を立てて歩いていくと右側の木々の間から水面が見え隠れしてきた。
ぱしゃん…
「!!」
水辺から微かに響いてきた音に、それまで緩んでいたレゴラスの手元が緊張する。
弓を持ってこなかったのは失敗だったな。
腰の短剣の柄を握りしめて、陰から水辺を窺う。
「………アラゴルン。」
緊張から解き放たれて、少し拍子抜けしたようなレゴラスの声に彼がゆっくりと振り向く。
「…どうした?何かあったか?」
気遣わしそうなアラゴルンに歩み寄りながら、レゴラスが首を振る。
「…いや、何も。少し喉が乾いて。…貴方は?」
「火の番にも飽きたし、呑みに来た。俺一人に任せて全員寝ちまいやがるし、退屈してたんだ。」
「貴方のくじ運が悪かったんだから、しょうがない。」
ふてくされたような彼の言葉に、レゴラスがくすくす笑って泉の水をすくい口をつける。
柔らかな草の上に寝転んでそれを眺めていたアラゴルンがふと意外そうに言った。
「そのまま飲むのか?王子様?」
「え?だってきれいでしょう?湧き水だし…」
「俺、先刻泳いだぞ。すっぱだかで。」
「…なっ!」
思わず手にすくっていた水を取り落とした彼を見て、アラゴルンが吹き出した。
クックッと笑い続けるアラゴルンの様子に、担がれたことを悟って彼がきれいな眉をひそめる。
しかし努めて相手にしないように、再び水をすくい口元に持っていく。
「王子様、あんた美人だな。」
今度はバシャンと勢いよく水を叩きつけて振り返り様に短刀に手を掛けた。
「……知っているものとばかり、たかをくくって自己紹介が遅れた。名をレゴラスという。先刻から貴方が呼んでいる通り、王子だ。姫ではない!」
「誉めたんだ。美人というのは女だけに使う形容詞ではないぞ?」
「男が美人などと言われて嬉しいものか!戯れが過ぎるぞ!」
語調を荒げるレゴラスをまっすぐ見返して、アラゴルンが言葉を継いだ。
「……本当の事だ。絹糸のような黄金の髪、白い肌、紅い唇、意志の強い瞳。お前は美しいと思うよ、レゴラス。」
「…………本当に…誉めているのか?」
「無論だ。疲れきった皆がお前の言葉にどれほど勇気づけられているかわからん。生まれつき太陽神の加護があるかのように、お前と話すと皆が明るくなる。俺では無理だ…感謝している、レゴラス。」
戸惑うように視線を泳がせた彼がやがて口を開いた。
「…私だって疲れる。心が重く潰されそうになる。そんな時は…貴方を見るんだ、時々振りかえって。貴方はいつも静かに列の最後を歩いてくる。耳をすませて…後ろや左右に気を配りながら、私達に危険がないか見ていてくれる。
……私が太陽なら…この旅が続く限り、皆や貴方の心を照らそう。その代りに…」
「…代りに?」
言葉を選んでいるような沈黙を静かに壊して、アラゴルンが先を促す。
「私、…達を見ていてくれ。貴方は闇じゃない、私に取っては月光なんだ。冴え冴えと…導いてくれて、真っ暗な闇の中、足元を確かめる光をくれている。…いつも、そう思っていた。」
それだけ言うとアラゴルンを見ないようにマントを翻し、レゴラスは薄闇に駆け去っていった。
醒めかけた酔いを取り戻すように、アラゴルンは一人再びワインを煽る。
水面に映る月を見ながら。
FIN. |