おかしい。
なんで、こんなことになったんだろう?
俺はセンパイを世界で一番愛してて……センパイだってそう思ってる、はず。
なのに。
この状況は……一体どういうことなんだ……?
パシュ、と軽い音を立ててラボの扉が開いた時、クルルはぼんやりとそんなことを考えていた。
「……………ガルル…………クル、ル」
しばらく沈黙したギロロが、信じられないという声音で、ラボの中の二人を呼ぶ。
ああ、おかしい。本当におかしい。そんなハズねぇだろ、そもそも立ち位置が違うだろうが!
途方に暮れてそう思ってから、クルルはようやく、絞るような声を出した。
「せ、ンパ……イ?…」
それ以上、言える言葉がない。
そのうち、意を決した様に、ギロロがすっと顔を上げた。
「……おまえは…幸せ、か……?」
「は?」
意味が分からなくて、唖然と目を瞬かせていると、自分の上にのし掛かったままの彼の兄がふっと笑った。
「私がこうして愛を注いで差し上げているのですから、幸せでしょう?クルル曹長」
「は?え??」
「………そうか」
問われた者を無視して完結した会話に、ギロロは儚げに微笑んで踵を返す。
そこでやっと、クルルの頭が正常に動き出した。
「ちょ、…待てよ先輩!!これは……そう、実験だよジッケン!!」
「…実験?……何の」
後ろを向いたまま、ギロロが問い返す。
「何のって…そりゃ…先輩がいつもどんな感じか?とか…それが分かりゃ、もっとヤリようがあんじゃねェか…とか?」
「一週間に及ぶ大実験だったがな、フフフ」
「テメエ黙ってろ!!」
「……馬鹿クルル」
尻に張り付いたガルルを怒鳴りつけている間に、ギロロは振り返ることなく扉に足を向けた。
「あ〜〜先輩!!待っ…離せムラサキ!!」
「何時もは自分からしがみついてくる癖に……素直ではありませんな」
「ギャー!センパイー、待ってくれ〜!」
ガルルを振り解こうともみ合いながら、クルルは必死で恋人の方へ手を伸ばしたが、その姿はみるみる遠ざかって消えていった。
「…………嫌われた……先輩に き ら わ れ た……」
「その様だな。可哀想な弟よ」
ぐったりとベッドに突っ伏すクルルの上に乗ったまま、ガルルが神妙な声を出す。
キッと鋭い視線を投げつけて、クルルは噛み付かんばかりにまくし立てた。
「お前のせいだろが!!先輩は単純バカだから俺が色々ゴタク並べりゃ多少の浮気はごまかせたのによー!」
「そうだったのですか?それは失礼しました。……しかしその可能性も今、消えましたぞ?」
「……へ?」
示される視線に従って目を移すと、追いかけようとして開けっぱなしにしていた金属製の扉に写る、赤い人影。
すぅ、と血の気が引く音がした。
「……………………借りていた本、ここへ置く」
「!!!違っっ…先輩!!アイシテルから!!」
「博愛主義なのですね。私もです、気が合いますな」
「黙ってろっつってんダロ!?!?あ〜!先輩〜〜〜!」
向き直ったそこには、すでにもう人影は無く。
再びガクリと項垂れたクルルの拳が、ふるふると震える。
「おや。泣いているのですか?私が慰めて差し上げましょう」
「…………いい加減、ドケっつーんだよ、クソムラサキイモがあぁあっっっ!!」
◇ ◇ ◇
「…………あの。先輩?」
とても口には出せない最後の手段を使ってラボを脱出したクルルは、ダッシュでギロロのテントに向かい、入口の帆布を捲り上げそのまま硬直した。
「何だ」
「…え〜……ムラサキとは……その、身体だけで…実験台だし。気持ちは100%先輩だけを愛し……」
「ほう」
「だから、その……とりあえず銃下ろして?」
散文的な返事を聞きながら、両手を上げてフリーズしているクルルの頬を冷や汗が伝う。
ギロロは真正面から構えたまま、眉間の皺をますます深くした。
「その必要は無い」
「頼むよ〜先輩…あの、ホラ、魔が差したってヤツ?」
「……………」
「俺が愛してるのはセンパイだけだし、センパイだってそうだろ?な、な?」
「………………ガルルは」
息詰まる様な緊張感の中で、必死に抗弁する言葉に、沈黙していたギロロの雰囲気がふと緩んだ。
続いて、ぴたりとクルルの眉間を狙っていた銃口も下がり、クルルは心の中で『いけたか!?』と快哉を叫ぶ。
「うん?何だい、先輩?」
しかし、いそいそと側ににじり寄ったクルルとは目を合わせず、ギロロはぽつりと呟いた。
「……ガルルは昔から…俺の一番大切にしているものを、取り上げて遊ぶんだ……壊れるまで」
「……ク?」
「返してくれないんだ……絶対に」
「え、………ってじゃあ…俺……」
クルルの額からまたもや冷や汗が伝う先程の比ではなく。
ようやく、ギロロがしっかりとクルルを見た。……哀れみのこもった瞳で。
「クルル曹長…やはりこちらでしたか」
「ひッ…!?」
影の様に気配を消したガルルにいきなり声を掛けられて、クルルが情けない声をあげて飛び上がる。
しかし、もはや逃げ様のない所に追いつめたガルルのオーラは暗黒の様相を呈していた。
「……私にあの様な…照れ隠しにしてもやりすぎですね。お仕置きですよ?」
「く、来るなっ…先輩!助け……」
銃を持ったギロロに助けを求めようとしても、哀れみの視線はすでに逸らされていて、じっと下を向いたまま動かない。
「サァ…クルル曹長、参りましょうか?貴方のラボにある秘密の花園へ、ね」
「そ…そんなモン無ェよ……」
「いいえ、ありますよ。貴方が知らないだけで……フフフフ」
既に膝が笑っていて逃げられないクルルの身体を、ガルルがガッシリと捕まえる。
それにもう一度、ビクリと飛び上がり、クルルは目の前の恋人に必死の声を張り上げた。
「先輩!?アンタ家族だろ!?コレの止め方知らねェのかよ!…うあ……もうしない、しませんから!!…あ〜〜!!助っ……ヤメっ………」
「フフフフフフフ……」
真っ黒な時空にズルズルと引きずられて行く、自分………。
「ぅ、わアアァァァっっ………!?!?」
ガバッ、とシーツから跳ね起きる。
自分の悲鳴がラボ内にこだまするのを聞きながら、クルルは物凄い形相で辺りを見回し、どこかに紫色が見えないかと隅々まで何度も確認した。
ふと、自分の隣のシーツからもぞもぞと覗く、見慣れた赤い身体。
「せ、……センパ…い?」
「…ゥん……?ク、るる…どうした…?まだ早い……う、わっっ!?」
寝惚け眼を擦りながら少し身を起こした恋人を、いきなり押し倒す。
「ちょっ…何だ!?どうしたクルル!?」
「先輩…良かった………良かったよ〜〜!!」
「何なんだ!?だ、大丈夫か!?」
「いやいやいや、ナンでもない!思い出したくもネェ!!起こしてゴメン…もう一回寝る?」
「……い、いや、俺が勝手に起きただけだ。もうすぐ朝だし……とにかく少し落ち着け。珈琲でも淹れるか?」
「いや俺が!俺が淹れる!淹れさせていただきます!だからこのままここに居てくれ、な?」
「は?……構わんが…どうしたんだお前…?」
「何でもないって…あ、動くなよ!?俺の視界から消えンな!?」
「???」
ベッドから目を離さないよう後ろ向きに歩いていくクルルを、ギロロが不思議そうに首を傾げて見ている。
その可愛らしい仕草に、やっと夢から抜け出した安堵がこみ上げ、クルルがそっとため息を吐いた時だった。
ぴこんぴこんぴこんぴこん…
サイレントにしておいた筈の着信音が鳴り響き、触ってもいないコンピューターのスクリーンが目の前に大きく展開する。
『やはりここに居たのか』
「……っっっ!?!?!?」
その声と姿に、危うく出かけた悲鳴を何とか飲み込んだ。
スクリーンに大写しになった紫の男の、金色の眼が鈍く光る。
『うちの弟が邪魔をしている様ですね、クルル曹長……すぐに引き取りに伺いましょう』
「……ぉ…俺様のラボに、邪魔者が入れるワケねェだろうが」
『では私も邪魔ではない、という事ですかな?』
「一晩かかってやっと通信回線に割り込めたくれーで、調子に乗んじゃねぇぞ?」
『ギロロ、お兄ちゃんだ。…早くそこから出なさい、自ら危険に身を晒すなど愚の骨頂だぞ』
「き、危険など無い!俺を子供扱いするなといつも言ってるだろう!?」
「弟君もこう言っている事だし、さっさと退場願いましょうかねェ、オニイチャン?」
クルルが流れるようにコンソールパネルを叩き、通信エリア内からの強制消去をかける。その動作に幾ばくかの恐怖が混じっていることは、自分でも否定しなかった。
次第にノイズの入っていく画面の中の男は、それでも不敵に笑った。
『流石はクルル曹長、と言っておこう……しかし先のケロン軍会議で課せられた課題が未だ提出されていない様ですが?』
「課題ィ?」
『通知がいったと思いますが…おや、見ていないのですか?宇宙郵便車が事故にでも遭いましたかな?フフフ』
「……あのムラサキ!!」
ぷつん、と途切れた通信の後、眉を顰めたクルルが激しくコンソールを叩く。
後ろから、ギロロが困ったような顔で声を掛けた。
「ス、スマン…ガルルが迷惑をかけて………」
「あぁ?アンタが謝んな。コレくらいどうって事ねぇよ、そこで見てな。すぐ片づけてやるからよ…」
心配そうな彼に、ニヤリ、と笑う。
本当に、こんな事は笑顔で歓迎してもいいくらいなんでも無いのだ…アレに比べれば。
本気モードのクルルが、ダカダカダカと勢いよくキーボードを叩き続ける事、30分。
スクリーンがケロン軍本部宿題係へのメール送信を告げた。
スクリーンを落とし、今度こそ最上級のロックを掛けて、くるりと振り返る。
未だ申し訳なさそうにしているギロロにつかつかと歩み寄り、その顎をすくい上げ。
大きな瞳に自分が写っている事を確認して、ようやく安心したように、クルルは力いっぱいその身体を抱きしめた。
「したことあるわけじゃねぇけど、一生絶対浮気はしないと誓うぜ!先輩!!」
「………はあ???」
そしてその日、クルルは今まで見たことがないほど甲斐甲斐しく、献身的で、真綿にくるむような愛情を隠さず。
あまりにも不審な姿に先程の誓いも相まって、逆に浮気を疑われてしまい。
結局、見た夢を全て白状させられてしまったのだった。
END. |