『もしもの話』は嫌いだった。
今後の選択に貢献する『もしも』ではなく、変えようのない過去についての『もしも』。
すでに過ぎ去ってしまったことをあれこれ考えて、あの時こうしていたらとかこう言っていたらとか、そういう非建設的なことを夢想しているヤツはどうしようもないバカだと思っていた。
「センパイ。もしも、俺とアンタがずっと昔に逢っていたら、どうだったと思う?」
だから、俺がそう訊いた時、あのひとは意外そうに目を瞬かせて俺を見た。
「……珍しいことを訊くな。どうかしたか?」
「別に?それ見てたら、ふと思いついただけだぜぇ?」
「……そうか」
それ以上言わずに、あのひとは手にしたフォトアルバムをぱたんと閉じる。
端のすり切れた、薄い簡素なアルバム。どこへでも持って行けそうなくらい小さいそれは、戦場へ同行したこともあるのだろう。
肌身離さずと言っていいくらい持ち歩いていた証拠の、ぼろぼろになった表紙を指でなでながら、あのひとは小さく笑みを浮かべた。
「そうだな……幼い頃におまえと逢っていたら、きっと今以上に気が合わなかったと思うぞ」
「ひっでぇな」
「それはそうだろう。昔は、今のような経験も分別もなかった。我が儘を言ったり、無茶をすることもよくあった」
「今も変わってねェんじゃねーの?」
「茶化すな。その時におまえみたいなひねくれ者がいたら、きっと一発で嫌いになって、ずっと嫌いのままだ」
「……だな。どう考えても、今より青臭いアンタと俺じゃ、歩み寄りようがねえもんな」
「そういうことだ」
ふふ、と柔らかく笑む瞳が。
だから、いま出逢って良かったということだろう?
そう告げている。
俺も、肩をすくめて返す。
分かってる。どうしようもないことをグチりたい訳じゃねえよ。
ただふと、不思議に思っただけ。
小さい頃から家族や仲間や友達に囲まれて、こんなちっぽけなアルバムに入りきらないくらいの思い出を持つひとが、なんで俺なんかを選ぶんだろうって。
そりゃ、そのこと自体は幸運だったと思うし、こうして傍にいることに何の不満もあるわけはないけど。
俺にしてみりゃ、たくさんの中からこんなひねくれ者を選ぶってのは、信じがたいことなんだがな……。
「俺には分からねぇからなあ……俺にはアンタしかいねえ。大事なものはたったひとつだ。
たくさんの大事なものの中から、一番大事なものを選ぶ、って感覚はどういうものなんだろうな」
「……クルル」
「あ、違うって。自分を蔑んでるんじゃねえからな?
俺はアンタがいればそれでいい。他に大事なものが欲しいなんて、これっぽっちも思わねえから」
世界中が敵に回ったって、センパイさえいれば俺には何も変わらない。逆にセンパイがいなくなれば、世界が滅びたのと同じ。
All or Nothing、センパイだけが全て。
「でも。アンタはそうじゃないだろう?」
大事なものがたくさんあって、好きなヤツもたくさんいて。一番は選べても、それ以外を捨てることはできない。
まあ、そっちの方が普通なんだろうが、どうも俺には理解できねえよなぁ……。
そんなことを考えていると、いきなり、あのひとが力一杯ぶつかってきた。
「うわ、痛って!……せ、センパイ!?」
「……うな」
後頭部を床にぶつけて呻く俺に、馬乗りになったあのひとが呟く。
「そんなこと、言うな!どうしておまえは、そんな哀しいことを、当たり前のように…っ!」
「あ。……じょ、冗談だよ」
「冗談でも駄目だ!……そんな顔、をして」
「へ?」
「そんな……『俺はアンタとは違う』みたいな顔をして、そんなこと、言うな!」
口をへの字に結んで、ぎゅっと眉根を寄せて。
苦しそうな表情に、俺の方が息詰まった。
何の気なしに喋っていたが、どうやら地雷を踏んでしまったらしい。
二人きりでいる時は、わりとこんなことがよくある。どうも俺は、時々とっパズれたものの言い方をするらしく、それがあのひとには堪らなくなってしまうんだそうだ。
んなこと言われても、自分では分かんねえし……。
俺の『赤い悪魔』が、こんな一言くらいで涙を滲ませて取り乱す様子はかなり脳髄にクるものがあったけど、このままでは本当に泣かせてしまいそうだ。
とりあえず、わざと明るく話しかけてみる。
「俺は別に、アンタと違うってのを悪いことだとは思ってねえよ?こんな俺だから、アンタは選んでくれたんだろ?」
「選ぶ、とか……そういうこと、じゃ」
「ああ、うん。アンタはただ、俺のことを好きになってくれただけなんだよな」
くす、と笑ってみせると、あのひとは俺の目をじっと見て。
そして、すんと鼻を鳴らし、ゆっくりとかぶりを振った。
「ただ、……じゃない」
「え?」
「ただ好きなだけ、じゃない。俺だって、そういうことを考えることはある」
「そういうこと…って?」
「おまえは……おまえは、今まで大事なものを作ってこなかった。でも、大事だと思う気持ちがないわけじゃない。
ただ、俺が……一番最初だったというだけで」
「……………」
「もしかしたら、これからたくさん大事なものができて。そうしたら、俺はおまえのたったひとつではなくな…って」
「センパイ」
「俺だって分からない。今までひとつしかなかったものを、ふたつ持ったら、みっつ持ったらどうなるか、…なんて。
その時、おまえが何を一番にするかなんて……わからない……」
「泣くなよ、センパイ」
「泣いてない!」
ついにぽろぽろと、あのひとの瞳から涙がこぼれる。
眼鏡に落ちかかるそれを、指で拭って。
俺はその顔を引き寄せると、頬にそっとキスをした。
「ごめんな。ないと思うけど、もし他になんか大事なものができても、センパイが一番なのは変わらねぇから」
「は、反省……しろ」
「うん、する。だからセンパイも、俺のこと見捨てないでくれよ?」
自分でも情けない声音で懇願すると、あのひとは涙を残したまま、ふんとそっぽを向いた。
「……さあ、な。そんなことは確約できん。せいぜい努力するがいい」
『おまえが好きでいてくれる限りは、俺も好きだ』
自分で返した本意に赤面し、もぞもぞと離れようとする体を、ぎゅっと捕まえて。
俺がこんなことを悲壮感なく話せるのはきっと、アンタがそうして応えてくれるからだぜ?
くだらないことを考えながら、俺は手の中にある倖せを噛みしめた。
END.
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