その日、俺はべらぼうに不機嫌だった。
当たり前だ。機嫌がいいはずがない。
朝も昼も夜もベッタリ一緒にいたい恋人が、つまらねえ作戦に駆り出されて、自分の傍にいない。
それでウキウキ気分になれって方がおかしいだろ?
そりゃ、あのひとは戦いのプロだ。戦場のアクマなんて呼ばれるくらい戦闘能力は高くて、膠着状態に陥った戦場の掃討戦にこれ以上の適任者はいないだろう。
けれども、それももう六日。六日といったら一日が6回。用がなくても10分に1回は顔を見てるとして、一日に144回、六日で864回。すぐ真っ赤になるあの顔に15分に一回キスしてるとして、一日に96回六日で576回。朝も夜も時には昼間だって押し倒してるから一日で…六日で…!
「…待て待て。ちょっと落ち着こうぜ、俺」
思わず暴走しそうになって、俺はガンガン叩き続けていたコンソールから手を離した。今コレを壊しちまったら何もかも水の泡だから。
憂さ晴らしのようにここで六日間やり続けている作戦は、すでに最終段階。あとはネイティブコードに変換して実行するだけ。
「さァって、と。いっちょやってみますかねェ……?」
ククク、と腹の底から笑いながら、俺は正面のスクリーンに表示されたド派手な開始ボタンをクリックした。
途端に、周り中のモニタに進行状況が示され始める。ネットワークの末端から侵入し、何重もの防護壁やセキュリティを突破して、最高管理者の権限を強引に奪い取っていく一部始終が、刻々と。
数分もしないうちにすべてのモニタは赤い光で満たされ、画面には作戦完了のマーカーが現れた。
敵軍のすべてのコンピュータにも、同じ文章が表示されていることだろう。
...Keep away from my sweetheart,OK?... |
半年間続いた紛争の、それが終了の合図だった。
◇ ◇ ◇
「……まったく、無茶をしたものだ。断りもなく作戦行動に割り込むなど、本来なら軍法会議ものだぞ」
巨大なスクリーンの中、愛しい恋人が腕組みをしてこちらを睨んでいる。
さっきからずっと、あのひとはそうして渋い顔をしているけど、そんなこと知ったこっちゃない。
ただ俺は、泥まみれで汚れているのにどうしてこのひとはこんなに綺麗なんだろうと、ニヤニヤ笑いながら見ていただけだった。
「クルル?……聞いているのか。なんだその顔は!」
「あ〜?顔?俺、今どんな顔してる?」
「な、なんというか……何か企んでそうな……楽しみを堪えきれないような……軟弱な表情をしているぞ!」
言いながら、かあっと頬を染めるあのひとが、可愛くて仕方ない。
きっと、俺が妙なことを考えていると思ってるんだろう。エロとかエロとかエロとか。
まあ、否定はしない……けど本当は、ただアンタに見とれてるだけなんだけどな?
「別に何も考えてねえよ。それよりセンパイ、いつ帰ってくんの?」
そう聞くと、あのひとは腕組みを解いて、ちらりと画面外の様子を見た。
「そうだな。敵に捕らわれていたこの星の住民を解放して、元いた土地に輸送しなければならんし……」
「ンなもん、誰がやってもいいだろ。今すぐ帰って来いよ」
「そうはいかん。俺はここの指揮を任されているんだぞ?指揮官が先に撤収するなどありえん」
「固ェこと言うなよ〜。俺はセンパイのためにがんばったんだぜぇ?ご褒美くらいくれよ。なあ。なあって〜」
「だ、駄々をこねるな!」
「あ、ソ。じゃあいい、本部から手を回すから。なんたって俺は、この戦争の英雄サマだからよ〜?」
「……まったく、おまえと来たら……手に負えん」
大袈裟にため息をつくくせに、口元はわずかに綻んでいる。
なんだかんだ言いながら嬉しいんだろう。兵士や住民にそれほど被害がなかったことが。
そして、普段頼まれてもこんなことをしない俺が、本部からかなりの称賛を受けていることも。
自分が認められる以上に喜ぶあのひとの様子に、胸の奥がじわりと暖かくなった。
「センパイ」
「……?なんだ?」
「好きだよ」
「!!!!」
ぼん、と火がつきそうなほど、その身体が一気に染まって。
あわあわと意味もなく腕を振り回しながら、センパイは涙目で通信スクリーンを押さえた。
「ば、ばかっ!他の奴に聞こえるだろう!」
「別に俺は構わねえよ?センパイ、好きだ。愛してる」
「どわあああ!黙れ馬鹿者っっ!!!」
「今さら照れんなって。全軍に向かってコクハクしてやっただろーがよ?」
「そそそそうだ!なんだあの文面は!もっとこう、潔く降伏しろとか、真面目な文章は考えられんのか!!??」
「だあって、本心だし?戦闘モードのセンパイでも、アレ見りゃ少しは俺のこと思い出してくれるかなぁ〜って……」
「……ば…ばか、者!……忘れたことなど、ないっ!!」
「へ?」
ブツ、と。
俺が答える前に、通信は一方的に切られた。
「………忘れてない、って……」
それは、戦ってる時もずっと、ってことか?
作戦を遂行し、敵を殲滅することしかアタマにないはずの任務中に俺のことなんか考えてるって?
うわ。
ヤバイ、これはヤバイ。これは反則だろ。
こんなこと言われて、今すぐ抱きしめに行かない手はねえだろ!
ガタリ、と椅子を蹴って、俺は急いで準備を始めた。
軍で一番速い輸送機と、長期休暇。俺の働きを考えりゃ、そんくらいは戴いても当然だろう。
そう思って、頭の中で本部への申告書まで作り終えたのだけれど、それを送信する前に突然高速ネットワーク回路が開いた。
「?なんだ……コレ?」
送られてきたそれは、薄汚れた使い古しの段ボール箱。送信元は、さっきの惑星。
ついてきたメッセージを見ると、発信者はやっぱりあのひとだった。
『この星の住人達がおまえに礼をしたいと言うので、送る。
軍にではない、完全におまえ個人への感謝の気持ちだ。ありがたく思うんだぞ?』
そんな言葉の下に、隠すようにして。
『それから……なるべく早く、後続の兵に任せて帰還する。おまえはそこで待て。
おまえが迎えに来るのではなく、俺が……おまえの元へ帰りたいから』
似合わない極小の文字で書かれた、恋文。
俺は、うずうずとした心のざわめきを抑えられなかった。
はやくはやく、かえってきて。
あのあかいからだをだきしめて。あたたかなくちづけをかわして。
そして、あまいこえでよばれたい。『クルル』と。
「……ったく、いっつも可愛いことばっかしやがってよお……あのオッサンは」
衝動を振り切るように呟きながら箱を開けると、中には色々な食べ物や民芸品が並んでいた。おそらく侵略された彼の地では貴重なはずの、きらびやかではないけれど上質の物たち。
ふと、箱の側面にある文字が目に入る。おおよそ飾り気などという言葉から遠いあのひとのことだから、渡された物をそのへんにあった箱に詰めて送ったんだろう。
それはもともと、菓子を輸送するための段ボールコンテナらしかった。
「……………オッサン、まさかこれ……わざとかよ?」
擦り切れかけたプリント文字で、菓子の絵と宣伝文句。そこには。
『刺激的な味わいと、その裏に隠された優しい甘さ。あなたの心を虜にするカレー味、新発売!』
完全に弛みきった俺の頬は、センパイが戻るまで直らなかった。
END. |