巨大なコンピュータの前の、指定席。
流れるように動く繊細な指。
他の誰にも分からない複雑なコードを、瞬時に理解する頭脳。
五手も六手も先を読み、全体を把握し、使う者の性質まで考慮して。
研究し開発し設計して製造して、美しいまでの逸品を創り出す。
それを、呼吸するように簡単にやってのける、聡明な魔術師。
ただの軍人である俺には、時々、あいつに掛ける言葉がみつからない時がある。
◇ ◇ ◇
「……………。」
ふ、と瞳を開くと、少し離れたところでキーボードを叩いているクルルの姿が飛び込んできた。
もう見慣れた光景。あいつがキーを打つリズムは、心地良い音楽のように俺の中に染み込んでしまっていて。
ほんの欠片ですら、俺の平穏を阻害したりはしない。
ただ、その音楽が、俺とあいつを区別しているようで野蛮なノイズしか生み出さない手のひらを強く握った。
「ん?……センパイ、起きたのか」
はっと我に返った俺に、クルルが笑いながら振り返る。
俺は慌てて身を起こし、ベッドの縁に腰掛けた。
「ああ。すまん、いつの間にか眠ってしまったようだ」
「謝ることねぇよ。俺もさっきまで寝てたんだが、ちょっと急ぎが入っちまってな。もうちょっと待っててくれ」
「……本部から、か?」
「ったく、めんどくせェ…俺をこき使うなんざイイ度胸だが、まあ、それなりの報酬をもらってるからな。仕方ねえ」
おまえほどの人間が欲しがるものとは、一体なんだ?
コンピュータに向き直って作業を再開する背中に、尋ねそうになって、やめた。
勲章も恩賞も名声も栄誉も、クルルが欲しいとさえ思えば、すぐにでも手に入るだろうから。
こいつは他の誰ともレベルが違うケロン一の天才、軍の至宝なのだ。
「……よし、っと」
ぼうっとそんなことを考えていると、やがて一際かん高いエンターキーの音がして、クルルがモニタを落とした。
そのまま、大袈裟に首を揉みながらこちらへ近づいてくる。俺は少し横にずれて、あいつが座れる場所を空けた。
「!お、おい!」
しかしクルルはそこへは座らず、勢いをつけるように俺をベッドに押し戻した。
「あ〜、疲れたぜぇ。アタマ使う仕事ってのは、短時間でも疲労がたまっちまう」
「そ、そうか。それでは眠るといい。俺はあっちで」
「あ?寝るー?何言ってンだよセンパイ。昨夜、コトを始める前に眠っちまったのはアンタの方だろうが?」
くすくす、と揶揄する台詞。
俺は思わず赤面して、クルルを睨んだ。
「う、うるさい!謝るなと言ったのはおまえだろう、離せ!」
「謝る必要はねえけど、センパイ、俺を休ませてくれるんだろ?メチャメチャ一服してェ」
「あ、じゃあ、灰皿……」
「ああん?タバコじゃねーぜ?センパイを食わせてくれって言ってんだよ」
「……!!」
「今日の俺はがっつくぜぇ?なんせ、手酷くオアズケ食らった身だからな。アンタが泣き出すまでゴーカンしてやる」
「ご……!く、クルルッ!」
するりと手が伸びて、俺の頬を捕らえる。
全力を出さなくても簡単に、跳ね除けることが出来る腕。
ノイズではなく、音楽を生み出す優しい、芸術品のような指。
「ク……ルルっ……」
そのままキスをされたとき、声が、まるで情事の最中のように揺れてしまったのが自分でも分かった。当然、クルルにばれないわけがない。
俺はぎゅっと瞳を閉じて、少しでもごまかすために、顔を反らした。
「センパイ?」
「……………」
「どうかしたか?」
「…………なんでもない」
このままでは泣いてしまいそうで、クルルの首に手を回して抱きつく。
クルルは一瞬驚いたようだったが、やがて俺の耳元にくちづけて、小さく囁いた。
「センパイ」
「……クルル」
「好きだぜ、センパイ」
「クルルっ……」
「アンタの顔も、身体も、心も、全部。性懲りもなくいろいろつまんねぇこと考える性格も、な?」
「クルル……俺、もっ……全部、」
「……アンタが俺を呼ぶ声が、一番好きだ」
ぴくり、と手が震える。
「木霊とか、潮騒みたいに……何の音もしねェ俺の中に、響いてくる気がする」
「俺の、声、が……?」
「ああ。もっと呼んでくれよ、センパイ。
アンタのそれのためなら、俺は本部のバカ共に土下座することだって出来るぜ?」
そう言いながら、ちゅ、と唇にキスが降りてきて、俺は思わず目を開いた。
至近距離に、見つめてくる瞳。柔らかく笑む口元。
いつも見るそれが、初めて見るもののようで。
ぽろりと雫が頬を伝うと、またくすくすと笑いながら、拭われる。
「クルル……クルル……クルルっ……」
夢かもしれない、幻かもしれない。
でも、俺にも叶えられる願いがあるのなら。
おまえに世界中の幸福を。
それが俺の、分不相応な望み。
END. |