予感は、していた。
どきどきと胸が鳴って落ち着かない。今回の旅は今までより危険は少ない、と分かっているのに、何故か胸騒ぎが止まらない。
彼の身の危険ではなく、そうではない、何か。
絶え間ない不安と居たたまれなさに、しかし私はじっと耐えるしかなかった。
その時が来るまでは。
「急に呼び出してごめんなさい」
開口一番にそう言われ、私は緊張を隠さないまま小さく首を振った。
目の前のひとはいつも通り微笑んでいるけれど、明日にでも殿下たちが帰ってくるこの時期に一人呼び出されたことが、確信に近い予感を感じさせた。
私に関わる何かが 彼の前に現れたのだと。
「あなたには、先に話しておいた方がいいと思って」
「ええ、覚悟はできております。どうぞ率直に仰ってください」
両手を組んでまっすぐに見返すと、ルクレティア様は一瞬目を見張って、それからくすくすと笑い声を立てた。
「そんなに気負わなくても大丈夫ですよ。王子はもちろん無事ですし、セーブルの人々の誤解も解けました。
偽王子も捕らえて、それどころか我が軍に迎えることにしたそうです」
「え?殿下の御名を騙ったような人間を……ですか?」
「はい。王子の人材確保の貪欲さには、本当に頭が下がりますね」
「……殿下がお会いになって決めたのでしたら、間違いはございません」
「そうですね、私もそう思います」
驚きを押しとどめて言った私の台詞に、ルクレティア様ははっきりと頷いた。
ただ崇拝し委ねるだけの私と違い、彼女の信頼には明確な根拠がある。その彼女が賛同してくれたことに安堵を感じながら、私は次の言葉を待った。
「ですが、少しだけ困ったことが判明しまして」
「……はい」
「お言葉に甘えて単刀直入に言いますけど。偽王子たちの後ろには、ある貴族のお坊ちゃんがいたそうです」
「……!」
覚悟をしていても、頭を思い切り殴られたような気がした。
目の前が暗くなって、思わず視線が下を向く。このまま倒れてしまえたら楽なのに、という考えが巡ったけれど、私は懸命に意識を保って小さく深呼吸をした。
「彼はセーブルの人々に追われて逃げ、捕らえることはできませんでした。追っ手はあえて掛けませんでした」
「……………」
「まあ、組織的な反抗ではありませんからね。軍として差し当たっては問題ないんですけれど」
「……はい」
「それと王子のお心は、別なんですよねぇ」
ぴくり、と自分の肩が揺れるのが分かった。
私がゆっくりと顔を上げると、苦笑に近い表情をした軍師はこちらではなく、窓の向こうを見ている。
「……ありがとう……ございます」
「え?」
「先に話していただいて。殿下の前でそれを知ったら、私は取り乱してしまったかもしれません。
お気遣い、感謝いたします」
「それは無理ないですよ。それに、私はあなたに気を遣った訳じゃありませんし」
「ええ、分かっております。皆の前で私が取り乱したら、殿下にとってよくないことになります。
兄を討つ決定を出しにくくなるし、殿下への印象を悪くする方も出てくるかもしれません」
無理に冷静な言葉を吐くごとに、頭が落ち着いてくる気がした。
内心を言えば、平静でなんかいられない。この国難の元凶だった兄が、王子殿下に対して恨みを抱いている。
したことを思えば、生かされている自分を感謝して然るべきなのに、理不尽な逆恨みをして。
国を奪うためではなく、自分なりの大儀のためでもなく、ただちっぽけな気位を満足させるために。
そんな卑小な望みのためだけに、ファレナの民すべての希望である彼の行く手を、阻もうとするなんて。
どんなことをしてでも殿下の道行きを助けたいと思っているのに、どうしてそれは叶わないのだろう。
それが、家族の陰謀に気づかなかったことへの罰なのだと、分かっている。
けれど罰なら何故、私に向けて与えられないのだろう。私が殿下のそばを離れ朽ち果てれば、彼の未来は健やかになるだろうか。
このままでは、私は
「私はここにいるだけで、殿下の邪魔になってしまう」
驚いて我に返ると、ふわり、と羽団扇を揺らしながら、ルクレティア様がこちらへ視線を戻した。
「……そんな顔をしていましたよ?」
「ルクレティア様」
「そう思うのもまあ、分かりますけど。でも私が心配したのは、あなたの考えたようなことじゃなくて」
ふと、ルクレティア様の気配から堅苦しさが消えたのに気づく。
それは、殿下と共にいるときの……殿下と楽しそうに言い合いをしているときの、彼女の表情だった。
「あなたが取り乱したら、王子にとってよくないことになる。それは当たってます。
でも、王子はもしそれが本意であれば情に流されないくらいの気概は持っていますし、評判など気にされません」
「で、でも……」
「王子が困るのは、それがあなただからです」
「わたし……?」
訳が分からない、という顔をしているだろう私に、ルクレティア様は大きくため息をついた。
「あなたがつらい思いをしていること、そしてなによりそれをひた隠しにされるのが、王子は嫌なんですよ」
「……え?」
「王子、なんだかんだ言ってもまだお若いですから。お気に入りの女の子に頼りにされないのは面白くないんでしょうね。
かといって、あなたが取り乱したのを慰めるために延々悩まれたら、やっぱりちょっと困っちゃいますし」
「は……?」
ぽか、と間抜けに口が開く。
私は一瞬、兄のことも忘れて目を瞬かせた。
お気に入り?
誰が?
誰、の?
「だから、先にお話ししたんです。あなたが王子に素直な気持ちを言ってくだされば、被害は最小限で済むと思って」
「素直な……気持ち……?」
「王子の邪魔をしているかもしれないと思うなら、そう言ってみたらどうですか?謝りたいなら謝ればいい。
できることがないかどうか、王子に直接聞いてみるのが一番ですよ」
「でも……でもそんな、恐れ多い……」
そんなことを考えたこともなかった私に、彼女はそっと近づいて声を潜めた。
「騙されたと思って、明日王子に会ったらそうしてごらんなさい。
王子はきっと、あなたの態度を嬉しく思って、でも慰めなきゃと思って、必死で気の利いた台詞を考えると思いますよ」
なんて返すか楽しみですねえ、とまた笑顔を浮かべてから。
気づいたように首をすくめると、彼女は
「ああ、あなたの気持ちも考えずごめんなさいね。でも私、もともとこういう不謹慎な性格ですから」
と頭を下げてみせた。
それが言葉の通りでないことは知っている。
王子のためと言いながら、それは私が深刻になりすぎないようにという気遣いでもあるのだろう。
事務的に損得を選ぶようなふりをして、決して情が薄い人ではないのは、この短い誼でも分かるから。
「……わかりました。努力、してみます」
彼女の言う理屈はよく分からないけれど、冷静さを失っている自分より名軍師の誉れ高い彼女の方が余程正しいだろうと思って、私はそう答えた。
ご協力ありがとうございます、と呟いたルクレティア様は、本当に楽しそうな笑顔で続けた。
「大丈夫、私の人を見る目はわりと確かですから。もちろん王子の目も、ね」
よしよし、と頭を撫でてくる彼女の言葉に少しだけ頬が熱くなったけれど、それが何故なのかは分からなかった。
END. |