足を踏み入れる前から、中の喧噪が聞こえてくる。
決して静かではないのにまったく煩わしさのない、心地よい活気。この中にいていいのだと思わせてくれる、打ち解けた雰囲気。
ここに居を移して一年にもならず、そもそも離れてからまだ間もないのに、もう懐かしい気がしてしまう。
「お帰り、ルセリナ」
数日ぶりに城に戻り、感慨深げに立ち止まっているルセリナに、彼女と同行してきた王子が声を掛けた。
振り向くと、彼の顔には穏やかな笑みが浮かんでいる。彼にそう言われることも、彼が笑ってくれることも嬉しくて、ルセリナも知らず笑みをこぼした。
「はい、……ただいま戻りました、殿下」
小さく膝を折って挨拶をする彼女にうん、と頷いて、王子は少しだけ悪戯っぽい表情をした。
「帰ってきてくれて嬉しいけど、でも、ルセリナはあのままソルファレナにいた方がよかったかもしれないな」
「え?……何故ですか?」
彼の態度から、心配するような理由ではないと分かっているのに、不安になる。
表情を曇らせた彼女に、王子はもっともらしく腕を組んで言った。
「だって、もし紋章で攻撃されるとしたら標的はここだろうし。今は王都の方が安全だしね」
「……殿下」
「それに、ルセリナには王宮の雰囲気の方が落ち着くかと思って」
「殿下」
「ほら、こっちの城にはいろいろな人がいるし?」
にこ、と屈託なく笑った彼に、しかしルセリナは同調しなかった。
眉を寄せたまま、彼女は厳しい顔をして、目の前の主君にまっすぐ向き直った。
「殿下。それがご命令であれば勿論、仰せに従います。でも、私はこの場所に不快を感じたことは一度もありません。
ここは殿下のご居城です。不遜を承知で申し上げるならば、殿下のいらっしゃるところが私の在るべき場所。
私にできることがある限りは、どうかおそばにいさせていただけませんか」
謹んでお願い申し上げます、と深々と頭を下げると、王子は一瞬黙り込んで。
「……うん」
不安を隠しきれない彼女の頭をぽすぽすと無造作に撫でて、呟いた。
「うん、ルセリナならそう言ってくれると思った」
「殿下?」
「ルセリナにそう言ってほしかったんだ。ありがとう」
顔を上げると、この上なく嬉しそうな王子の照れ笑いが、自分を見下ろしている。
遅れて赤面した彼女にそっと顔を近づけて、彼は小さく耳打ちをした。
「でも、僕がいないときはカイルやガヴァヤには近づかないようにね。これは命令だよ?」
「は……、はい。仰せのままに」
本気で言っているのかどうかよく分からなかったけれど、とりあえずルセリナはそれに頷いておいた。
他の人に近づかないようになんて、まるで恋人に対する独占欲のように聞こえるけれど、とぼんやり思いながら。
END. |