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薩摩の二英傑 第九話

※をマウスオン/クリックで標準語訳(適当)が出ます

【主劇】小娘


「んー!いい天気!」

ぐーっと大きく伸びをしながら、わたしは晴れた空を見渡した。
今日は、気分転換に庭掃除。
薩摩藩邸の庭は大きいから、定期的に職人さんが来て剪定とかしていくんだけど、日々の細かい掃き掃除とかはあまり頻繁にされない。
葉っぱ一枚も落ちてない庭っていうのは、 『時節がわからず無粋』なんだって。
表座敷の方はお客さんに見えるから一応きれいにするけど、それ以外は大風が吹いて吹きだまりみたいになった時か、あとはちょこっと体を動かしたい藩士さんが時々やってるくらい。
わたしも同じ目的で、一時間くらい前から奥座敷の辺りを掃いていた。ここはほとんど人が来ないから、お半下仕事をやってても目立つことはない。大久保さんに見つかったらイヤミ言われるけど。

「うん。こんなもの、かな?」

目立つ葉っぱや枝なんかを集め終えて、小さく息をつく。
竹箒で地面を掃くって、けっこういい気分転換になるんだ。稽古とかぞうきん掛けとはまた違う筋肉を使うし、たまに空を見たり池を覗いたりとまったりできるのもいい。
集めたものを飛ばないように縁側の下に寄せて、竹製のちりとりみたいな物をかぶせる。
こうしておけば、剪定の時に庭師さんが片づけてくれる。お嬢様がごみを捨てに行ったりしたら、目立っちゃうしね。

そのまま縁側に腰掛けて、わたしはまた空を見上げた。
青い青い、空。空の色はわたしの世界と変わらない。……変わられても困るけど。
そう思ったら無意識に、静かな曲が口からこぼれてた。

───あ、この歌……。こないだから癖になっちゃったかな。

口ずさみつつ、ぼーっと考える。
それは、日本人なら誰だって懐かしい気分になりそうな『故郷』。
ここにこの歌はないらしくて、ピアノで弾き語りをしたときは大久保さんと半次郎さんにすっごく感動された。
イヤミ大魔王が涙ぐんでた様子を思い出して、思わずくすりと笑ったとき、ふと何かが気にかかって歌が止まる。

如何にいます 父母
恙無しや 友がき

「あ……。そっか」

自分の唇に指を当てて、わたしは地面に目を向けた。
そうか、そうだった。わたしもこの歌と同じ、故郷から遠くに来てるんだ。
歌詞のイメージ的に、大志を抱いて自ら任地に来ています!って感じがしてたから、思いつかなかった。

「……お父さんとお母さん、カナちゃんも元気かなあ……」

忘れてたわけじゃないけど、口に出してしまうと、ちょっと寂しい。
わたしがいなくなって、みんな心配してるだろうか。カナちゃんは自分のせいだって責任を感じてないかな。
仕事が忙しいお父さんまで京都に来てたりして?いつも笑ってる顔しか見たことないお母さんも、哀しそうにしてるのかな。

「…………。」

うーん。なんかちょっと、落ち込んできちゃったかも。
あのお寺の神様、なんでわたしをここに連れてきたんだろう。
……わたし、志もないのに、なんでここにいるんだろう?


【薩摩藩】中村 半次郎


風に乗って、小さな声が聞こえてくる。
この時間、彼女は奥の庭で掃除をしているはずだ。顔を出してもいいけれど、この小さな歌声が止まってしまうのが惜しくて、思わず途中で気配を消した。

歌っているのは、先日ぴあのを聞かせてもらった時に、一番気に掛かった歌。
まるで自分たちのことを歌っているかのような詩と、どこか郷愁を感じさせる音に、自分だけではなく主も心を打たれたようだった。
やはり胸に沁みる歌だ、とじっと耳を澄ませていると、突然彼女が口をつぐんだ。

人が来てしまったかと残念に思いながら見ても、誰もいない。当然だ。ここは主の部屋に近く、厳しく立ち入りが制限されている区域で、入って来れる者はそう多くない。
ならばなぜ、と彼女を観察すると、じっと顔を俯けて背中を丸め、聞こえるか聞こえないかの声で親御と友人らしき名前を呟いた。

「……!」

その寂しそうな小さな背中に、雷に打たれたかのように考えが閃く。

───ああ、そうか。

彼女もそうだったのだ。
親や友を残して故郷を遠く離れ、今も帰れないでいる。
そんなことは考えもつかず、自分はあの時もう一度、もう一度とねだって、何度も彼女にその歌を歌わせてしまった。自分の身に置き換えた感銘に気を取られ、彼女自身には思いが至らなかった。
己の気の利かなさに、肺腑が抉られる。

彼女がどこから来たのか、どういう身の上なのかを確認したわけではないが、供についた先の話でおぼろげに事情は知っていた。
藩邸内の噂では、さるやんごとなき方の御落胤とか、朝廷に連なる御血筋とか、果ては竹取物語に準えて月の都の住人だ、などという戯れ話もあったが、その有り得ない話が一番真実に近い気がしてならない。

おそらく、彼女は月の都と同じくらい違う世界から来たのだろう。箱入りというにも限度がある常識のなさと、言動の端々に見えるその地の平和さと豊かさ、そしてまるでこの世の全てを知っているかのような様々な知識。
風呂の使い方ひとつ知らないのに、天の理地の理、外国語や算術や蘭方の見識、意のままに扱うからくりまで、彼女は何もかもがちぐはぐだった。

そこが『未来』という、この国の行き着く先なのかは、よく分からない。
だが、その故郷から望まずにここへ連れてこられ、途方に暮れていたところを土佐の方々に拾われ、会合先で主にまみえた、ということらしい。

果たすべき志はあれど、帰ろうと思えばいつでも帰れる我々とは違う。
故郷の場所も分からない、帰る術も分からないという彼女は、どれだけ不安を感じているだろうか。
そう思ったらいても立ってもいられず、物陰から出て彼女の傍に歩み寄っていた。

「お嬢さぁ」
「あれ。半次郎さん?」
「……家に、帰いごたっか」……家に、帰りたいか
「え」

驚いた顔をした彼女は、一瞬口ごもると、笑って大丈夫ですよ、と返した。
聞くまでもなかった。帰りたいのも、大丈夫と気遣うのも当たり前だ。馬鹿なことを聞いた自分にますます嫌悪が湧く。
続きを言いあぐねていると、彼女は縁側の隣を勧めて、また空を見上げた。

「わたしのふるさとって、山も川もないんです」
「……山も、川も?」
「ああ、川はありますけど、土じゃなくてコンクリートで。うさぎを追ったことも小鮒を釣ったこともなくて」
「よかとこいのお嬢さぁなら、当たい前じゃねか」いいところのお嬢さんなら、当たり前じゃないか

自分には想像できなかったが、なんとかそう答えると、『お嬢さんじゃないです』と苦笑が返る。

「でも……、でもそれでも、この歌は懐かしいなぁって思います。名曲ですよねー」

そう言って、彼女はもう一度それを歌い始めた。
彼女が無理をしているとは思わないけれど、やはり、帰れないことを寂しがっているように思えて。
あまりに故郷と違うこの世界を、疎んじているのではないかと怖くなった。
そこは、どのような所なのだろうか。空の色も、草の色も異なるのか。鳥は飛ぶのか、雨は降るのか、花は、雲は、風は。

喋るのが上手くない自分を承知の上で、それでも懸命に言葉を探しながら、ゆっくりと隣に腰掛ける。
いつか帰ってしまうのか、という一番言ってはいけない台詞が口を突きかけたが、今度は抑え込むことができた。

「……心配しゃんで、大丈夫っじゃ」……心配しなくても、大丈夫だ
「はい?」

唐突に話し出した自分を、歌を止めた彼女が振り向く。

「山も川もなかでん、今は離れっとってん、おはんの帰っ故郷は、あう」山も川もなくても、今は離れていても、君の帰る故郷は、ある
「……!」
「おはんがそこいもどれっよう、寂しっねかように、おいにできっこっはなんでんやっが」君がそこに帰れるよう、寂しくないように、俺にできることはなんでもするから

頭を撫でると、彼女が揺れる瞳でこちらを見上げた。それに、笑みを返す。
───月の都からの迎えを待つ、赫夜の姫。
心苦しい者を清め、会う者に悉く愛され、この世に留めようといくら足掻いてもいつか月へ還ってしまう。
穢れた地上に留めるべきではないのだ。自分の生まれ育った世界で暮らすことが、姫の幸せなのだから。

「大丈夫。きっと、帰れる」
「……はい」

頷くのを横目で見ながら、もう覚えてしまったその歌を、彼女の代わりに小さく口ずさんだ。


【主劇】小娘


半次郎さんが、小さな声で故郷を歌う。
何回も聞きすぎて覚えてしまったんだろう。初めて聞く半次郎さんの歌声は、なんだか心地よくて眠ってしまいそうだった。
きっと帰れる、って言ってくれた。なんでもやってあげるという言葉も嬉しい。
けれど、なぜか帰れないこととは別の寂しさを感じて、わたしはふうっと息をついた。

「……わたし、帰るのかぁ……」
「!」

呟いたとたんに歌が途切れて、半次郎さんが驚いた顔でこっちを見た。
あ!なんか、帰るのがいやみたいな響きになっちゃった!?

「あ、違うんです!帰りたくないっていう訳じゃなくて、そのっ!」

慌てて言い訳をしかけて、でも、と思い直す。
でも確かに、帰るのも寂しいよ。だってここに来て、会う人会う人みんないい人ばっかりなんだもん。
龍馬さんたちも高杉さんたちもそうだけど、薩摩藩邸のみんなには本当にお世話になって、まるでもうずっと前からここにいたみたいに馴染んでしまってる。
だから、いざ帰れるってことになっても、わたしは喜んでばかりはいないと思う。

「……お嬢さぁ?」
「えーと、あの、みんなにはすごく良くしてもらったから。帰るとなったら、やっぱり寂しくなると思って」

そうだ。帰る方法が見つかったら、帰る。それは当たり前のことだけど。
でもそれは、この世界から───永遠にいなくなる、ってことだ。
どうして、そんな簡単なことに気づいてなかったんだろう。

「ここの生活、すごく楽しいから。だからちょっと、残念……で」
「帰る……、んじゃ、なか?」
「そ、そう、ですよね」

なに言ってんだろ、わたし。
せっかく半次郎さんが励ましてくれたのに、水を差すようなことを言ってしまって。
でもなんとなく、今は満面の笑みになれない。
へへ、と顔に貼り付けた笑いは、自分でもとても心細そうなものに思えた。

「……おはんは……」

それだけ言って、半次郎さんが口をつぐむ。
何か言いたいのに、言うことを迷っている、そんな顔だった。
沈黙が気まずくて、箒を片づけに行くのを口実に立ち上がった時、後ろで思い切ったような呟きが聞こえた。

───もし」
「え、?」
「もしもおはんが、一人で帰っが寂しか思っなら」もしも君が、一人で帰るのが寂しいと思うなら

振り向くと、半次郎さんがまっすぐにわたしを見つめて、すっと姿勢を正した。

「おいも一緒に行たっやっから」俺も一緒に行ってあげるから
「……!!」

なんでもないように言う、言葉の意味が、一瞬分からなかった。
え?一緒に?一緒に行くって、そう言ったの?
───どこに?

「一緒んおったら、寂しかこっもなかやろかい?」一緒にいたら、寂しいこともないだろう?
「え、えっ?……え……あ!?だ、だめです!半次郎さんは、お仕事がっ」
「気ぃせんでよか。大久保さぁは分かっちくれう。ま、おいばっか楽しんでこすっか言わるっかもしれんが」気にしなくていい。大久保さんは分かってくれる。まあ、俺ばっかり楽しんでずるいと言われるかもしれんが
「…………」

ははは、と軽く笑った半次郎さんに、返す答えが出てこない。

それが言葉通りの意味じゃないことはわかってる。
半次郎さんはきっと、わたしの故郷が江戸や薩摩みたいに、行って帰れるところだと思ってるんだ。
一緒に行ったら二度と帰れないかもしれない、それ以前に一緒に行けるかも分からない異世界だとは思っていない。

それに、半次郎さんがいなくなったら、大久保さんやみんなが困ってしまう。
護衛が半次郎さんじゃなくなれば大久保さんの身が危なくなるし、武士の人が命令なしに勝手なところへ行ったら、重い罰を与えられてしまうって聞いたから。そんなことさせられるわけがない。
いろいろなことが、一気に頭の中を駆けめぐったけれど。

───でも。それでも。

「じゃっで、帰い道が見しかっても見しかんねっも、大丈夫っじゃ。せわやっこたね」だから、帰り道が見つかっても見つからなくても、大丈夫だ。心配することはない
「……は、い」

気持ちだけでも、すごく嬉しかった。

ここに残れ、と言ってくれる人は、もしかしたら他にもいるかもしれないけど。
一緒に行く、と言ってくれる人は───多分、いない。

「はい!わたしも、半次郎さんと一緒ならどこだって楽しいです!」

それが、自分の正直な気持ちなんだと気づいた。
半次郎さんや大久保さんや、わたしを受け入れてくれたこの世界のみんなと、離れたくないんだって───気づいた。

帰りたくないわけじゃない。
でも今は、帰れるかどうかよりも、この晴れた空を一緒に楽しみたいと思うから。
また縁側に腰掛けて空を眺めると、半次郎さんが隣で楽しそうに笑った。

「お嬢さぁ。何か、他の歌を聞かせったもんせ」お嬢さん。何か、他の歌を聞かせてください
「えっ!歌ですか?下手なので、恥ずかしいです……」
「下手じゃなか、おいよか上手かと。な?」下手じゃない、俺より上手いよ。な?
「うう……じゃあ、半次郎さんも歌うんですよ?」
「お、おいもか?……うむむ……」
「教えてあげますから、ね?」
「わ、分かっもした」
「じゃあ、ピアノのお部屋行きましょうか。大久保さんに合鍵もらったんです」
「ぴあの……」
「はい。他の人に聞かれちゃうと、恥ずかしいですから。お茶淹れて持っていきますから、先に行っててください」
「おいのために、弾っくるっと?げんねこっちゃ」俺のために、弾いてくれるのか?恥ずかしいな
「え?」
「い、いや、なんでんなか。待っちょっで」い、いや、なんでもない。待ってるから
「はい、すぐ行きますね!」

慌てたせいでうっかりその場に残してしまった竹箒は、半次郎さんが戻しておいてくれたらしい。
そこで会った藩士さんに、機嫌が良すぎるとかでいろいろ詮索されたそうで、半次郎さんはお茶を持って部屋に行ったわたしが一曲弾き終わるまで姿を現さなかった。

あと、なぜかわからないけど、すごく顔が赤かった。

 

つづく?

 

 

 

 

そんなこと約束して大丈夫なのかよおおおおおおお

と書いてて思いましたが……半次郎……
確かに、他の人には絶対言えないというか、自分を重要人物じゃないと思っているからこその発言です。これを言えるのは半次郎しかいないと思った。行けるかどうか分からないのに、行くと言い切ってしまう半次郎が愛しいぜ。
それにしても、半次郎の小娘ちゃん姫扱いがひどい。扱いって言うか、姫って言い出したしw
まあ、幕恋自体がかぐや姫をモチーフにしてるっぽいので、いいのかと思います。

しかし小娘、そこで気づくのは半次郎が好きだってことだろう!なんでこの世界と離れたくないに落ち着くんだよ!とんだ期待はずれだよ!と書いてて思いました(二回目)。
ちょ、もうくっついちゃってもいいような気がするんですが。半次郎は着実に階段を上ってるのに、小娘ちゃんは相変わらず。前回ちょっとそれらしい雰囲気を出したかと思ったのですが、まだまだです。

そして、急速にえげれす語にもピアノにも慣れてきている半次郎。
そのうち大久保さん√みたいにえげれす語使い出すかもしれません。外国物が嫌いだと大久保さんにも龍馬さんにも(先の話で)言われたのに、どうしてくれようかこの可愛い人は。

ちなみに最後、半次郎が部屋に来た時歌ってたのは「桜の時」なイメージ。赤くもなるわ!w

 

 

【ツールチップが使えない場合用の薩摩弁解説リンク】

……家に、帰りたいか

いいところのお嬢さんなら、当たり前じゃないか

……心配しなくても、大丈夫だ

山も川もなくても、今は離れていても、君の帰る故郷は、ある

君がそこに帰れるよう、寂しくないように、俺にできることはなんでもするから

もしも君が、一人で帰るのが寂しいと思うなら

俺も一緒に行ってあげるから

一緒にいたら、寂しいこともないだろう?

気にしなくていい。大久保さんは分かってくれる。まあ、俺ばっかり楽しんでずるいと言われるかもしれんが

だから、帰り道が見つかっても見つからなくても、大丈夫だ。心配することはない

お嬢さん。何か、他の歌を聞かせてください

下手じゃない、俺より上手いよ。な?

俺のために、弾いてくれるのか?恥ずかしいな

い、いや、なんでもない。待ってるから