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薩摩の二英傑 第六話

※をマウスオン/クリックで標準語訳(適当)が出ます

【主劇】小娘


「ひま、だなぁ……」

わたしは少し開いた障子から、部屋の外を見透かした。
灯りをつけていない室内は、わたしの世界に比べたら昼間でもかなり薄暗く、外の光がまぶしく感じる。
外には出たいけど、今日は洗濯も庭掃除もないし、大久保さんは表座敷に行って帰ってこない。
そっちの方には事情を知らない藩士さんが多いから、来るなって言われてるんだよね……。

「お菓子作ってもいいけど、今日はお勝手忙しそうだったしなぁ」

大久保さんが定期的に手に入れてくれる牛乳や小麦粉、砂糖のおかげで、大抵のお菓子は作れるようになった。もちろんオーブンなんてものはないんだけど、いろいろやってみて、鉄製の手鍋と炭火があれば何とかなることがわかった。
バターがない、という致命的な問題も、運ばれてきた牛乳の壺を開けたとたんに解決した。
絞りたての牛乳を少し置いておくと、クリームみたいなものが勝手に浮かんでくるみたい。それに砂糖を入れると生クリームっぽくなって、お菓子に入れるとバターの味がする。

牛乳ってすごい。

そうやって作れるようになった洋菓子もどきは、大久保さんもわりと気に入ってくれて、渋いお茶に添えて出すと喜んでくれる。
まぁ、表向きは『形の悪さは直らんな』とか『こちらの菓子に比べて口触りが悪い』とか、さんざん言われるんだけど。そのくせ、牛乳が手に入るたびに『これであの菓子を作れ』とか指定してくるんだから、気に入ってるのはバレバレだ。

大久保さん、なんだかんだ言って新しいものが好きだよね。実は高杉さんより好きなのかも。
そのうち、なにかおかずも作ろうかな。シチューならすぐできるし、ムニエルもいいよね。鳥肉以外のお肉がなかなか手に入らないから、ハンバーグやトンカツは難しいかも。
ああ、えびフライとオムライス作って、お子様ランチを再現したい……。ケチャップって何でできてるんだろ?トマトピューレとは違うのかなぁ?あれ、トマトピューレってそもそも、何だろ?

ぼけーっと考えていると、おなかが鳴りそうな気配がして、思わず下腹に気合いを入れた。
あぶないあぶない。まだ夕餉も遠いこんな時間におなかが空いてるなんて、いかにも食いしん坊みたいだ。

「自分のお茶でも、淹れてこようかな」

言いながら、もう一度障子の隙間を見る。
今日もいい天気だ。あの明るい日差しの下で竹刀を振ったら、さぞ気持ちがいいだろう。
お嬢様は竹刀なんか振らないだろうけど───、と苦笑して初めて、わたしは自分が庭に行く口実を探していることに気づいた。
それから、大久保さんに言われたことも。

「あ!そうだ!」

この間、半次郎さんの稽古を見てもいいって許可をもらったんだった!
今までは、お茶を持っていったり庭掃除のついでだったりとチラ見する理由にも苦心していたけど、ちゃんと許してもらえばいつでも見に行ける。
もし半次郎さんが庭にいたら、今、お願いしてみようっと。
そう思って、わたしは軽い足取りで部屋を出た。

 

◇     ◇     ◇

 

半次郎さんは、いつもと同じように庭の立木のところにいた。
稽古の邪魔をしたら悪いから、なるべく休んでいる時に声を掛けようとタイミングを見計らうんだけど。

「お嬢さぁ」

姿が見えるくらいまで近づくと、すぐに気づいて構えを解いてしまう。
それが申し訳なくて、でも初めから見学させてもらえれば途中で邪魔することもなくなるんだと思って、わたしはご機嫌で声を掛けた。

「こんにちは!あの、今少しいいですか?」
「はい。何か、ご用でんあいもすか?」はい。何か、ご用でもありますか?
「えーと。お願いがあるんですけど……」

どうやって切り出そうかと考えつつ、持ってきていた草履を出して、庭に降りる。
わたしがそうやって近くまで行くことはあまりなかったから、半次郎さんは不思議そうにこっちに向き直った。

「あの、できればでいいんですけど」
「は」
「半次郎さんの稽古、見学させてもらえないでしょうか?」
「…………」

ぺこりと頭を下げて頼むと、半次郎さんはふと押し黙った。
あ、あれ?なんだか……想像と違う?

「あ!あの、大久保さんには許可をもらってます!半次郎さんがよければいいって」

大久保さんの名前を出すのは悪いかなと思ったけど、それを最初にクリアしないと良いも悪いも言えないかもしれないから、あわてて付け足す。
でもそう考えながらも、わたしはそのとき快諾される以外の想像をしていなかった。

「……お嬢さぁ」
「はい?」
「ないごて……おいの稽古なんぞ、見ろごたいと?」何故……俺の稽古なんか、見たいと?
「え?えっと。半次郎さんの剣がすごくきれいだと思ったから、です」

思ったままを答えると、半次郎さんはため息をつきそうな顔になって、かすかに眉根を寄せた。
あれ。これって、すごく困ってる?というか、もしかして……怒ってる?

「…………」
「…………」

しばらくそのまま、沈黙が続く。
お互いに、なにか言いたいけど言葉が出ない、そんな感じ。
今しゃべったら、まるで何かがおかしくなってしまうような。そんな危うささえ感じた。

「ぁ、……あのっ」

緊張感に耐えきれなくなって、言う内容も考えないままに、声を上げた時。
ふいに半次郎さんが動いて、その大きな体がわたしよりも低くなった。
えっ、と固まったわたしの耳に、くぐもった声が届く。

「お嬢さぁの見っようなもんでは、あいもはん」お嬢さんの見るようなものでは、ありません

そう言って。
半次郎さんは硬い表情で、すっと膝を折って───わたしを見上げた。

「え!?」
「…………」
「は、半次郎さん……?」

その態度に戸惑いながら、言われたことを反芻する。
『お嬢さんの見るものではない』というのは、つまり、だめって……ことだよね。
しかもそれは、半次郎さんにとって言われたくないことだったんだ。そんな顔をしてる。

「あ……、ご、ごめんなさい……」

思わず声が小さくなってしまう。
途端に、少しあせったような返事が返ってきた。

「ち、ちご。そいじゃねっで」ち、違う。そうじゃなくて
「そう……じゃなくて?」
「その、お嬢さぁは、思め違げっちょいやなかかと」その、お嬢さんは、思い違いをしているのではないかと
「思い、違い……?」

話の内容が見えなくて首を傾げると、半次郎さんはなにかを吹っ切るように、まっすぐにわたしを見た。

「おいの剣は……人ば斬っためだけん剣です」俺の剣は……人を斬るためだけの剣です
「……え、?」
「誉むいてくるっのはあいがてこっですが、きれいなん言わるっもんではなかです」誉めてくださるのはありがたいことですが、きれいなんて言われるものではないです

その表情はやっぱり、厳しいと言えるほどのもので。
冷たい声に、わたしはぐっと胸が詰まるのを感じて、俯いた。

「……すみ、ません。気に障ったんですよね。……わたしが、勝手なことを言ったから」

だめだ。
こんな半次郎さん、見たことがなかったから。
自分が悪いのに───不覚にも、ちょっと泣きそう。


【薩摩藩】中村 半次郎


落胆した彼女が、跪いている自分にも見えないほど顔を下向ける。
胸の前で握りしめた両手が僅かに震えた気がして、心臓がどきりと鳴った。
……泣いている?いや、まさか。
こんなことくらいで、自分なんかの言葉で、怒りこそすれ泣いたりはしないだろう。

「気に障った、なんちこっな、あいもはん」気に障った、なんてことは、ありません
「…………」

答えが返ってこない彼女に、それ以上どう説明すればいいのか途方に暮れた。

───自分は、今まで一度として、人を斬ることを躊躇ったことはない。
自分は武士だ。剣客として薩摩藩に仕えている。主が政を行うのと同じように、主を守るため、助けるために人を斬るのが務め。
一度に多くても数人、その僅かな数すら斬ることを憂いているようでは、遙か数十万の領民と数千万の国民に犠牲と結実を与えている主に対して、申し訳が立たない。
だから、たとえ誰にどう思われようとこの信念は揺らがない。その必要がなくなるまで人を斬り続けるだろう。

ただ……彼女にとっては、それは全く違う意味を持つのかもしれない。
先日、茶屋で座敷の外に控えていた時、長州の高杉様が『この娘は平和で安全な未来からやってきた』と言っていた。
学のない自分にその意味は分からないが、もしそれが言葉通りの意味だったなら、彼女は突然この物騒な世界に放り出されたことになる。
真剣を持った武士と相対する怖さも知らず、この剣が紅に染まる使い途も知らない、平和な世界の少女。
そんな彼女が、何も分からずに自分の剣を理想などと思い込むようなことがあれば、いずれ傷つくかもしれない。
間違いを正すなら、早い方がいい。

「おいは、人ば斬っ務めに誇いを持っちょいます。じゃっどん、おはんが考える剣道とは、全く違ごもんかもしれん。
 おいの剣は人を傷つけ、殺れっためのもんやっと、おはんは知っちょったほがよか」俺は、人を斬る務めに誇りを持っています。けれど、あなたが考える剣道とは、全く違うものかもしれない。
俺の剣は人を傷つけ、殺すためのものであると、あなたは知っていた方がいい


それだけ言うと、もう何も言葉を続けられなくなって、そっと立ち上がって踵を返した。
逃げたのだ、と思いたくはなかったが、実際自分は逃げたのだろう。

彼女からも、彼女の言葉からも。

 

◇     ◇     ◇

 

【主劇】小娘


「はぁ………」

口を開けば、ため息が出る。
食事も睡眠も、あまり取る気にならない。
畳の上にぱたりと倒れて、わたしはぼうっと部屋の壁を見つめていた。

あれからもう三日になる。あれ以来、わたしは半次郎さんのところへ行くことができなくなった。
剣が怖くなったとか、嫌になったとか、そういうことじゃない。
でも、気後れしちゃったことは確かで。

「もしかしなくても……拒絶、されたんだよね……」

そう。あれは、拒絶だった。
おまえはこの世界の人間ではない、おまえの考えはここでは通用しない。そう言われたも同じ。

確かにあのとき言われたことは、わたしなんかには理解できないような大切なことなんだと思う。
半次郎さんの剣は、お稽古事や部活じゃなくて、お仕事だ。
そして、それはわたしの世界では、犯罪行為。
なにも考えず、安易にきれいだなんて褒めてしまったら、おまえに何がわかるんだと言われたって仕方ない。

そう思うと、思わずじわりと視界が潤んだ。
わたしが悪い、それはわかってる。でも、今まで半次郎さんがあんまり優しかったから、拒絶されるなんて考えられないくらい優しかったから、あの冷たい声はものすごくショックだった。
そうしたら、今度は勝手にショックを受けている自分にも腹が立って。
もう、なにをどうしていいのか分からなくなった。

───わたしが、違うところから来た人間だから?

この世界の人じゃないと、駄目なんだろうか。
わたしはそれを、少しでもわかることはできないのかな。
ううん、わからなくていい。同じ場所に立てるなんて思ってない。
でもせめて、同じ場所を見るために、努力することはできないんだろうか。

この世界の人との間に、そうやって壁を感じながらでないと、接することはできないんだろうか?

「……りょうまさんに……あいたいな……」

思わず、そんな呟きが漏れた。
龍馬さんは、多分わたしが知る中でいちばん壁を感じない人だ。
しちゃいけないことからも、しなくてはならないことからも自由で、それでいて自分のやるべきことに向かってまっすぐに進んでいる。
龍馬さんに会って、話を聞いてもらったら、このどうしようもない気分も晴れる気がした。
この世界に関わることは許されないなんて、そんなことないよって、言ってくれる気がした。

「……でも、ダメだよね」

冷たくされたからって、優しい人に逃げ込むようなことは、潔くない。
悪いのはわたしなんだから、どうするかちゃんと考えて、謝らないといけない。
───だって。

「許されても許されなくても、わたしは今、ここにいるんだから。……自分で、考えないと」
「小娘にしては賢明な判断だ」
「え?」

突然声がして、障子がスパンと開け放たれた。

「お…大久保、さん?」
「全く、何日も辛気くさい顔をしおって。性根を叩き直してやるつもりで来たが、薩摩藩邸に在って坂本君に頼るとは不届きな奴だ」
「すいません……」
「何故、私に相談しない?」
「…………」

う、うーん。
それも考えたんだけど……しかも、かなり最初の段階で……でも、半次郎さんのことを上司である大久保さんに相談するっていうのは、なんて言うか、気が引ける。
大久保さんと半次郎さんの間で、なにか話をされてもいやだし。
わたしは寝そべっていた畳からのろのろと身を起こした。

「えっと……相談するほどのことでは……」
「では、その些末なことでおまえは数日飯も食わず、夜は庭やら勝手処やらを徘徊し、見廻りの藩士を仰天させたというのか?」
「あ」

そうだった。昨夜、わたしは眠れないことに業を煮やして、真っ暗な庭に降りて星を見ているところを藩士さんと鉢合わせしたんだっけ。
行灯のあかりがなかったら、不審者で掴まえられちゃうところだった。

「ごめんなさい……お手数をおかけしまして……」
「そうではない」
「へ?」
「真夜中に寝間着のまま一人庭に出るなど、何を考えているんだと言っている」
「??」

どういうことだろう。寝間着のままじゃだめだったのかな?
でも、ねまきっていってもネグリジェとかじゃなくて、昼間着てる着物と変わらないものだ。帯や刺繍が豪華かそうでないかくらいで、形の違いはわたしにはほとんどわからない。
考えが顔に出ていたんだろう、大久保さんは大きくため息をつくと、話を元に戻した。

「小さい脳みそで何を悩んでも、解決するはずもあるまい。話してみろ」
「……ええと」
「何も全て話せとは言っとらんし、その必要もない。半次郎がどうした?」
「!!」

やっば!思いっきりばれてる!
そりゃそうか、三日も会いに行かないのなんて今までなかったもん。あああこんなとき、半次郎さんオタクだった自分が憎い。バレバレだよ……。
わたしはしぶしぶ、あたりさわりのないことだけ答えることにした。

「あの、うまく説明できる気がしないんですけど」
「小娘の哀れな頭に、論理や筋立てを要求したりはせん」
「……えーと。武士の人ってみんな、刀とか持ってますよね」

言いながら、大久保さんの腰に今も下げられている二本の鞘を見る。

「それって、真剣、なんですよね?」
「当たり前だ。木刀を差していて何の役に立つ」
「ですよねぇ……。で、それ、使うんですよね」

続けると、大久保さんはそれだけで全部が分かったかのように、納得顔で頷いた。

「滅多に抜きはせんが、いざという時に使うために持っている」
「ですよねー」
「小娘にこちらの事情は少し話したが、細かいことは言っていなかったな。怖くなったか?」
「いえ」

わたしは小さく首を振った。

「そういうわけじゃないんです。そりゃ、自分に向けられたら怖いと思いますけど」
「それは誰でもそうだろう」
「でしょ?でも、目の前で抜かれたって振り回されたって、別に怖くはないと思うんですよ。ただ……」

あのひとは、わたしが怖がると思っているんだろう。
その剣が、人を傷つけるために在るということを。人を斬るために在るということを。
人を───斬ったことがある、ということを。

わたしだって、元の世界で目の前に人を殺した人間がいたら、怖がったと思う。
でも、それは元々知らない人だから、どういう理由で殺したのか分からないから、自分も殺されるんじゃないかって思って怖いんだ。
もし、わたしのよく知っている、わたしが信頼している人だったら、まず話を聞くんじゃないかな。

「ただ、わたしの世界は安全で平和だったから。なにを言っても、全く説得力がないんですよね」

この世界は、人が人を斬ることが珍しくもないところだ。大久保さんはめったに抜かないって言ったけど、他の人の話を聞いていると、浪人に絡まれて斬りつけられたり物盗りで殺されたりする話もよくあるらしい。
そんな中、平和で安全なところから来た……いわば世間知らずの人間がなにを言っても、ちゃんと受け取ってもらえない気がする。それどころか、ますますこじらせてしまうんじゃないだろうか。
八方塞がり。まさしく、そんな感じ。

「……話は分かった」

大久保さんはそう言って、また小さく息を吐いた。
えっ、わかった?今ので一体なにがわかったの?
驚くわたしに、大久保さんは突然、全然関係ないことを言い出した。

───茶を、淹れてこい」

 

◇     ◇     ◇

 

ああ。お茶、お茶!
そんなにお茶が好きなら、お茶風呂につかって仕事をすればいいのに!
コップで汲んで飲みながら仕事したら、いちいち淹れる手間も要らなくて便利だろう。
わたしはくだらない妄想で気を紛らわせながら、極渋茶を持って部屋に戻った。

「淹れてきましたよ!」

どん、とお盆のままそれを置くと、少しこぼれた中身を嫌そうに手ぬぐいで拭いて、口を付ける。

「で。なにがわかったんですか?」
「その前に、これを食え」
「え?」

見ると、いつのまにか大久保さんの前には見覚えのある包み紙が置かれてあった。
こ、これは!すごく大きくておいしい蒸し饅頭で有名な茶屋の包みだ!一度お土産にもらってから、もう一度食べられるのを心待ちにしてたんだっけ。
そう思ったら、素直なおなかがぐぅ、と音を立てて、大久保さんの眉がぴくりと上がった。

「おまえ……本当に食欲がなかったのか?」
「ほ、本当ですよ!」
「食べたいものが出てくるまで待っていたわけではあるまいな」
「居候の身で、そんなことしません!」
「全くだ。手間を掛けさせおって」

ん?まさか、大久保さんが買いに行ってくれたわけじゃないよね?
まさかだよね……このお店、結構遠いって聞いたもん。お使いや所用で通る道じゃないから、たまたまそっち方向に用事がある人がいないと買ってこれないって言ってたし、大久保さんにそんな暇があるわけない。
早く食べろ、と言外に急かされて、わたしはそれを手に取った。

うっ、まだほかほかだ。そんなに遠いお店なのにほかほか!すごい!
ぱくりとかぶりつくと、はしっこまで詰まった甘いあんこと栗の風味、薄皮の感触が渾然一体となって口の中に広がって、なんというかすごく……幸せを感じた。
やっぱり、おいしい。
もぐもぐと口を動かすわたしを、大久保さんはしばらくじっと見て、それからぽつりと言った。

「……あれは、慣れておらんのだ」
「むぐ?」

口がいっぱいでしゃべることができないわたしは、視線で大久保さんに問い返す。

「人を斬る技倆ではなく、純粋に剣の本質を誉められることに慣れておらん。しかも、おまえのような女子にな」

あ。もしかして、半次郎さんの話?
あわてて口の中のお饅頭を飲み込む。

「そうですよね。剣ができない人にとやかく言われたくないですもんね」
「違う、分からん奴だな。そもそも、おまえは剣ができないわけではないだろう」
「え、できないですよ?ただ子供の頃からやってただけで、強くもないですし」
「長くやっていればそれなりに学ぶものがある。未だ若年ではあっても、剣が側にない時間の方が短かったのだろう?
 あれも別に、おまえが何も分かっていないと思っているわけではないのだ」
「……?」

なにもわかってないと、思ってるわけじゃない……?
拒絶してるわけじゃないってこと?でも、じゃあなんであんなことを?

わたしが思い違いをしていると言った、半次郎さん。
自分の剣は人を斬るための剣だから、きれいなんかじゃないって。
わたしの剣道とは違うんだって、そう言っていた。
違うことを、わたしは知っておいた方が、いい……。

「あっ!」

ふと思いついて、わたしは思わず声を上げた。
それを見て、大久保さんが満足そうに笑う。

「……伝えたいことが自分の出自のせいで伝わらんかもしれん、というのも、愚考に過ぎん。
 そもそも、どんな状況であっても人に考えが伝わるかどうかなぞ分かりはせん。
 人は人、己は己だ。言いたいことを全て思ったまま理解してもらえるならば、誰も苦労などしない」
「誰も、苦労しない……」
「同じ家で数十年共に暮らした者でも、齟齬は起きるもの。だからこそ、伝えるための言葉があるのだろう」
「言葉……」
「そうだ。伝えたいことを告げて、伝わったかどうか確かめる術があるのに、何故使わん?おまえは阿呆か」

伝えるための、言葉。伝えたいこと。
わたしは、なにを伝えたいんだろうか?

わたしの世界が平和だってこと?この世界とは違うってこと?
怖くなんかないってこと?怖いと思うかもしれないってこと?
剣がきれいだってこと、ずっと見ていたいってこと。

半次郎さんがわたしに伝えようとしてくれたことと、わたしが半次郎さんに伝えたいこと。

「……あの。参考までに、聞いてもいいですか」
「ついでだ。なんでも聞くがいい」

考えがまとまらないままに尋ねると、大久保さんはまた、お茶を一口飲んだ。

「え、と。大久保さんって、半次郎さんの剣について、どう思いますか?」

その抽象的な問いに、ほんの少しだけ考えて。
大久保さんはどうでもいいことのように、この菓子はまずいと言う時と同じように、

「別にどうとも思わん。半次郎が護衛だと身の心配をしなくて済む、ただ、それだけだ」

と、言った。
そのぞんざいな言い方に、思わず吹き出してしまってから。

「ありがとうございました!ちょっとわたし、行ってきますね!」

わたしは大久保さんに手を振って、部屋を飛び出した。

 

◇     ◇     ◇

 

【薩摩藩】中村 半次郎


がつん、と木刀が変な風に当たって、いつもより数段強い痺れが手首に伝わった。

「……………。」

情けなくなって、思わず腕を下ろす。
毎日毎日、木の幹を相手に同じように繰り返す稽古で、『いつもと違う』ということは有り得ない。
それはただ、自分が未熟だということに他ならない。稽古以外で、『いつもと違う』ことが気になっている証拠だ。

こんなことでどうする。今の太刀が実戦だったら、間違いなく狙いを外していただろう。
達人を相手にしていれば命取りになることもある。技術よりもまず精神鍛錬を完璧にしなければ、今の世では生き残れないのに。

一旦木刀を脇に差し、構え直す。
剣を抜いたら、考えることは許されない。目の前の敵を定め、ただ打ち倒すことのみを目的として、一太刀に全力を籠めて斬り捨てる。

すう、と息を吐いて初動に入ろうとした時、とても静かな衣擦れの音がした。

「!」

気を張っていなければ気づかないほどの、僅かな空気の揺れ。
どちらかというと、今まで気づかせなかったことを賞賛できるようなそれに、まさかこれも自分が腑抜けているせいかと苦笑が漏れた。

「……お嬢さぁ」
「あっ」

少し離れた廊下でじっとこちらを見ていた彼女は、振り向いて声を掛けるとびくりと体を揺らした。

「ご……、ごめんなさい。邪魔するつもりはなかったんです」
「いえ。いかがされもしたか?」
「あの、ちょっと、いいですか」

頷くと、思い詰めたような顔で、少し俯き加減で歩いてくる。
今まで、彼女がそんな顔をしていたことはなかった。いつも嬉しそうに駆け寄ってきて、楽しそうに話をして、くるくると変わる表情は決して逸らされることはなかったのに。
ああ、やはり幻滅されたのかと思うと、体のどこかが軋んだような心地がした。
馬鹿馬鹿しい。───自分で進んでやったことなのに。

「……半次郎さん」
「はい」
「あの。あの、わたし、思うんですけど……」

どこか遠くを見ながら、彼女は小さく首を振った。
さらりと揺れる後れ毛の向こうに、主から贈られた銀色の輝きが見えた。あの花は今も、その胸に仕舞われている。

「わたし、ここの人間じゃないし、半次郎さんや他のみんなの事情も分かってないと思うんです。
 だからこれは、わたしが思うだけのことで、半次郎さんには不愉快かもしれないけど……」

そのように先んじて断るということは、言いにくいことなのだろう。
十中八九この前の話で、おそらく人を殺すなど理解し難い、惨たらしいと言うに違いない。
その気持ちは理解できるし、たとえ彼女がそう思おうと、自分の生き方は変わらない。何も問題はない。
繰り返しながら、先日のように彼女を庭に下ろさないよう、縁側まで歩み寄って見上げた。

「構いもはん。なんでも言ってくいやい」構いませんよ。なんでも言ってください

言い淀んで足を止めた彼女に、意識して呑気に笑う。
それに後押しされるように頷きが返り、またゆっくりとこちらに近づきながら、彼女は何度か躊躇った末に口を開いた。

「あの、わたし……わたしやっぱり、半次郎さんの剣はきれいだと思います」
「……は?」
「もちろん、実際に人が斬られるところを見たら、怖くなるかもしれません。わたしの世界とここは違うから。
 でも大事なのは、なにをやってるかじゃなくて、なんのためにやってるかだと思うんです」

一瞬、言葉の意味が分からなかった。
なんの、ために?ためも何も、それが役目だから、それしかできないからだ。武を以て主に仕え奉る、それが武士の本分だろう。
───それ以外に何がある?

「半次郎さんは、みんなを守ろうとしてる。なにかを守ろうとしてる。なにかを良くしようと、してる」

ひとつひとつ、心の中にあるものを確かめるように、彼女が言葉を紡ぐ。
そうして自分のすぐ傍まで来た彼女は、縁側に膝を落として視線の高さを合わせると、すっと迷いなく顔を上げた。

「もし……、もしわたしが、高杉さんの言うように未来から来た人間なんだとしたら───

その瞳はいつもと同じように、嬉しそうに細められていて。

───わたしがいた安全で平和な世界を作ってくれたのは、半次郎さんなんですから」

自分はそれに目を奪われたまま、呆気にとられて立ち竦んだ。


【主劇】小娘


半次郎さんは長い間、目を見開いてわたしを見つめていた。
やっぱり……、呆れられちゃったんだろうか。
そうだよね。この世界のことをなにも知らないわたしが、もっというと本当に未来から来たのか確信が持てないわたしが、知ったかぶりしてえらそうなことを言っても不愉快なだけかもしれない。

でもどうしても、黙ってはいられなかった。
務めを誇りに思っているって、半次郎さんは言った。それはきっとこの世界では普通のことなんだろう。
ここでは、人を守るために人を斬るなんてどうなのって感覚の方が、普通じゃないんだと思う。

なのに、半次郎さんはそれをちゃんと教えてくれた。
もしあれが拒絶でないなら、きっと、わたしを気遣ってくれたんだ。
自分が誇りに思っているものが、わたしを傷つけないように。
後で知ったとき、わたしがショックを受けないように。

だから、どうしても伝えたかった。
わたしの世界と半次郎さんの誇りは、相容れないものかもしれないけど。
でも、繋がっていないわけじゃないって。

やがて来る平和な時代が、わたしの世界であっても、そうでなくても。
───この世界の未来を作っているのは、あなたなんだって。


「は……」

半次郎さんが小さく、吐息のような声を漏らす。
まだ、顔はびっくりしたままだ。
もしかしてこないだみたいに怒られるかも、とちょっと首をすくめて上目遣いに見上げたら、それが引き金になったかのように、半次郎さんはいきなり笑い出した。

「は……はは、あっはっは!」
「!?」
「ははははっ、おはん、相当なぼっけもんじゃね!」
「ぼ?っけ??」

知らない単語を繰り返して、半次郎さんはひたすら笑っている。
意味は分からないけど、でも、怒っているわけでも皮肉っているわけでもなさそうだ。だってすっごく楽しそうだもん。

おろおろするわたしの前でしばらく笑い続けて、ぜーぜーと息が荒くなった頃、半次郎さんはやっとその意味を教えてくれた。
ぼっけもん、って、すごい人とか豪傑とか命知らずっていう意味なんだって。
ご、豪傑……。なんか、誉められてるんだろうけど、誉められてる気がしない。はちきんといい、どうもわたしはこういう評価をされてしまうんだよなぁ……。

「刀ん要らん世界ば作っなわいじゃ、なん武士に言っち、下手すっと命があっねど?」刀が要らない世界を作るのはお前だ、なんて武士に言ったら、下手すると命が危ないぞ?
「刀が要らない世界……、武士に……、あっ!」

そ、そうだ!それって突き詰めるとそういう意味になるんだ!
慌てて言い訳しようとしたら、それを制止して、半次郎さんはわたしに満面の笑みを向けた。

「そいじゃっで、おはんは目が離せんと。なゆすいか分からん」それだから、君は目が離せないんだ。何をするか分からない
「ううう、ごめんなさい……」
「謝るこっはなか。おいは嬉しか」謝ることはない。俺は嬉しいよ
「え?」
「おいは元々ただの下士やち、国や維新なんちもんにゃかかいよなか。大久保さぁを信じて、あん人にしたごっが仕事じゃ。
 そんこまかおいが、おはんやおはんの世界のためいなっん、わっぜ大物になっごた」俺は元々ただの下士だから、国や維新なんてものには関係ない。大久保さんを信じて、あの人に従うのが仕事だ。
そのちっぽけな俺が、君や君の世界の役に立ってるなんて、すごい大物になったみたいだ

「お、大物ですよ!半次郎さんが小物なんてありえません!」
「じゃっかじゃっか。おはんがそう言っくるいっと嬉しかね」そうかそうか。君がそう言ってくれると嬉しいよ

ううう、ぜんぜん本気にしてない!半次郎さんほどの剣の使い手が、無名なんてことあるはずないのに!
絶対に教科書とかに載ってるはず、映画とかになってるはず!つくづく歴史に疎いのが悔やまれる。
わたしは半分むきになって、半次郎さんの着物の端を掴んだ。

「ほんとですってば!そもそも、大久保さんを守ってるってだけで、国にも維新にも関わってるじゃないですか!
 大久保さん、半次郎さんが護衛だと身の心配をしなくて済むって言ってましたよ。大事な人だってことですよね?」
「……!大久保さぁが、そげなこっを?」
「はい!そんなことは当たり前だ、みたいな感じで言ってました!」

半次郎さんが嬉しくて仕方ない、って顔をしたので、わたしは力強く頷いておいた。
……嘘はついてないけど、多分これ、ここで言っちゃいけないことなんだろうな……後で内緒にしてって言っとかないと雷が落ちそう……。

「じ、じゃっか。大久保さぁが……」そ、そうか。大久保さんが……
「はい!だから半次郎さんは大事なひとです!いないとすごく困るんです!」
「………大事な、」
「ん?どうかしました?」
「い、いんや、ないでんなか!」い、いや、なんでもない!
「??」

なにか思いついたように、半次郎さんが目をそらしたのが気になったけど。
覗き込もうとすると頭に優しい手が降りてきて、もうどうでもよくなった。

「……こん前はわりかったな。おいないけんしてん言葉が足らん。はらけたか?」……この前は悪かったな。俺はどうしても言葉が足りん。怒ったか?
「い、いいえ!わたしこそ!」
「おはんが稽古ば見てっなら、いっでんけぇ」君が稽古を見たいなら、いつでも来い
「えっ!本当ですか!?」
「ほんのこっじゃ。ただし」本当だ。ただし
「た、ただし……?」
「おいにも見っくれっよな?」俺にも見せてくれるよな?
「え?え?……ええええ!?」

半次郎さんが、すっごくいい笑顔でわしわしと頭を撫でる。
そ、それはもしや……もしや……弟子入り!?

「いやっ!無理ですっ!半次郎さんに見られて困らない実力なんかありません…!」
「いんやあ、お嬢さぁのお手並み、楽しんやっと!」いやあ、お嬢さんのお手並み、楽しみだな!
「やや、やめてくださいー!」

からからと笑う顔は、あの時の冷たさなんかかけらもなくて。
髪を乱す手と格闘しながら、このひとに伝えたかったことをちゃんと伝えることができたんだとわかって、わたしはとても嬉しかった。

 

つづく?

 

 

 

 

こんなところで止めて林檎娘とかに浮気していましたが、ようやっとアップできました。半次郎はじまった!
ここまではずっと、お嬢さんに上下関係の壁を築いて接してきたのですが、箍がちょっと外れちゃった感じでw
ここから朴念仁ながらも攻勢を掛けていただきたいものです。半次郎って、いったん好きって自覚しちゃうと奥手ではいられないような気がします。誰にも彼にもモロバレするくらいあからさまな感じになるような。

そして大久保さんが超お父さんになってしまい申し訳ありません。こんなんが共通ルートでは救われないので、ここから半次郎ルートってことでお願いします。
密かに、半次郎を『あれ』っていう大久保さんが書きたかった。小娘に対してもそうだけど、半次郎に対してもフォロー魔大久保さん……お、大久保さんルートもちゃんとありますから!

あと名前しか出てきてませんが、龍馬さん出せて楽しかったです。
やっぱ小娘は龍馬さんを一番信頼してるのがいいと思うの。あのひとは恋愛しない時も特別だと思うの。
もうちょっとしたら、龍馬さんときゃっきゃウフフの話が出せる……!がんばる!

思ったよりシリアスになったので、次回はバカ話かほのぼのにしたいです。

 

 

【ツールチップが使えない場合用の薩摩弁解説リンク】

はい。何か、ご用でもありますか?

何故……俺の稽古なんか、見たいと?

お嬢さんの見るようなものでは、ありません

ち、違う。そうじゃなくて

その、お嬢さんは、思い違いをしているのではないかと

俺の剣は……人を斬るためだけの剣です

誉めてくださるのはありがたいことですが、きれいなんて言われるものではないです

気に障った、なんてことは、ありません

俺は、人を斬る務めに誇りを持っています。けれど、あなたが考える剣道とは、全く違うものかもしれない。
俺の剣は人を傷つけ、殺すためのものであると、あなたは知っていた方がいい

構いませんよ。なんでも言ってください

刀が要らない世界を作るのはお前だ、なんて武士に言ったら、下手すると命が危ないぞ?

それだから、君は目が離せないんだ。何をするか分からない

謝ることはない。俺は嬉しいよ

俺は元々ただの下士だから、国や維新なんてものには関係ない。大久保さんを信じて、あの人に従うのが仕事だ。
そのちっぽけな俺が、君や君の世界の役に立ってるなんて、すごい大物になったみたいだ

そうかそうか。君がそう言ってくれると嬉しいよ

そ、そうか。大久保さんが……

い、いや、なんでもない!

……この前は悪かったな。俺はどうしても言葉が足りん。怒ったか?

君が稽古を見たいなら、いつでも来い

本当だ。ただし

俺にも見せてくれるよな?

いやあ、お嬢さんのお手並み、楽しみだな!