【主劇】小娘
「わー!なんか、お店いっぱいあるんですね!」
ここにきた最初の日から初めて出た外は、やっぱり見覚えのない世界だった。
お店だけでなく、道ばたに置かれた桶や布製の垂れ幕?なんかも、全然雰囲気が違う感じ。
そもそも、地面が土だし。家は瓦屋根だし……。そのまんま、映画村って感じ。
でも、あの時のような不安や怖さはまったく感じない。
売られている色とりどりの飾り物や、大きな傘。着物姿の女の人。屋根のついた箱みたいなものを運ぶ人たち。
それらを楽しく見渡す余裕がわたしにはあった。
あの時とは服装が違うから、じろじろ見られることがないっていうのもあったかもしれない。
けど、それだけじゃなくて。
「きょろきょろするな、小娘。迷子になるぞ」
「あ、待ってください!」
今は、誰についていけばいいのかちゃんと分かってるから。
あの時だって龍馬さんたちが一緒にいてくれたし、みんなを疑ってたわけじゃないけど、突然知らないところに放り出されて漠然とした不安があった。
本当にこの人についていっていいのか、とか。
わたしはどこにいればいいのか、とか。
確かなことは何もなくて、とにかくがむしゃらに目の前の人にくっついてた。
でも、今は分かってる。
わたしがついていくのは、大久保さん。
わたしが帰る場所は、薩摩藩邸。
それはわたしが、ここに来て初めて自分で選んだことだった。
この世界の事情を少しだけ聞かされて、訳が分からないなりに一生懸命考えて、薩摩藩邸を選んだとき。
大久保さんは、びっくりするくらい優しい顔で笑ってくれた。
わたしが来るのが嬉しいって訳じゃなかったと思う。
多分、ちゃんと状況を考えて、好き嫌いや親しみやすさだけでついていく人を選ばなかったことを評価してくれたんだ。
だって、あの状況で誰を選ぶかっていったら、優しい龍馬さんや桂さん、気さくな慎ちゃんの方がいいもん。
間違っても、イヤミで尊大な不機嫌大魔王なんか選ばないよね。
「ふふっ」
「……なんだ?」
思い出して、つい吹き出してしまったわたしを、前を行く大久保さんが振り返る。
薩摩藩邸に来てから、大久保さんや他の人たちは、色々なことを教えてくれた。
多分この世界では誰でも知ってるんじゃないかってことも、別に教えなくていいような些細なことも、部外者に言ったらまずいようなことも、物騒で血生臭いことも、分からないことは何もかも全部。
それで、わたしは自分の選択が間違ってなかったと知った。
家に帰るにはどうしたらいいのか、はまだ分からないけど、当分はこれで大丈夫なんだって安心できたから。
「大久保さん。ありがとうございます」
「……?」
突然お礼を言ったわたしを、大久保さんは妙なものを見るような目で見る。
でも、わたしがくすくす笑うと、わずかに口元をゆるめてくれた。
「まだ、礼を言われるのは早いと思うがな。そんなに腹が減っているのか?」
「違いますよ!いや、違わない…かな?お腹は減ってます!」
「どちらなんだ」
軽口を叩きながら、わたしたちは一軒のお店に入った。
そんなに大きくないところで、わたしの世界でいうと、甘味屋さんかおそば屋さんみたいな雰囲気がある。
大久保さんならもっと高級料亭みたいなところに行くかと思っていたから、店内を見渡してその気安さにほっとした。
「そんな格好の小娘を、そんなところに連れて行く訳がなかろう」
顔に出てしまっていたのか、眉をひそめて言う。
このかっこ、どっかおかしいのかな?女中さんが着付けてくれたんだけど……。
「それは物は確かだが普段着だ。一流の場所に行くにはまた、それなりの服装がある。第一、袖に墨がついているぞ?」
「え?あっ、うわっ!」
やばい!さっきの和訳してた時の!?
うう、だって、ここの書き物って墨なんだもん!全然乾かないし!
ボールペンも持ってるけど、紙がやわくて上手く書けないんだよね。
「す、すいません……せっかく用意してもらったのに……」
わたしがちょっと落ち込んで言うと、大久保さんはおかしそうに鼻を鳴らした。
「礼を言ったり詫びを入れたり、今日の小娘は随分と謙虚だな」
「いやだって、人からもらったものを汚すとか失礼ですし……」
「着物は着て初めて役立つものだし、着ていれば汚れることもあろう。当たり前のことを言うな」
「……大久保さんも、なんか優しいですよね?いつもなら『私のやった服を汚すとは、万死に値する』とか言うじゃないですか」
「もう言い飽きたが、おまえは私を何だと思っているのだ」
案内された席について、料理を注文する。わたしはぜんぜん分からないので、大久保さんにおまかせした。
「ここは茶屋だが、老舗料亭で板前だった者が営んでいる。そこらの料亭よりも美味いぞ」
「へー、そういうのもあるんですねー。つまり脱サラ?」
「だつさら?」
「んーと、お勤めしてたとこをやめて、独立して自分のお店を持ったってことですよね」
「そうだ。小娘のところでも、言葉の組み立てはこちらと変わらんな」
「え、だって同じ日本語でしょ?会話できてるじゃないですか。英語圏とかに飛ばされなくてほんとよかったです」
「それはそうだが」
「わたし的には、薩摩弁はまだ難しいですけどね。大久保さんや今津さんは標準語ですけど、女中さんとか……」
ふと、さっきのことを思い出して、わたしは前に座る大久保さんに尋ねた。
「あ、そういえば。あの、中村さん……半次郎さんって、今外に出てるんですよね?何の用事か知ってます?」
すると、大久保さんは一瞬言葉に詰まって、ちょっと呆れた顔をした。
ん?どうしたんだろう?
「藩邸内のことで、私に知らないことはない」
うわ、それってイヤミだよね。さっきのことに対しての。
ああ、イヤミ大魔王が戻ってきちゃった。素直で優しい大久保さんカムバック。
「……だが、小娘に全て話すこともないだろう。半次郎がどうかしたか?」
「あ、いえ、ちょっと思いついただけです。今頃何してるんだろうなーって」
「なんだ。そういえば先程、庭で何やら話していたな。
いつも以上に化けていたようだが……おまえは半次郎のような者が好みなのか?」
「化け…って!」
イヤミ大魔王に、すごく失礼なことを言われた。
そりゃあ半次郎さんといる時は、なんだか緊張しちゃって大人しめになっちゃうけど。それにしても、その言い方はひどい。
「失礼なことを言わないでください。わたしはあれが地です!」
「ほう。では、私といる時はなんだ?ん?」
「うふふ、大久保さんといる時だって同じですよう?……うーん、好み?ですか?」
思いっきり嘘くさい笑顔を向けてから、わたしは少しだけ考え込んだ。
「好み……というか。ファンなんですよねーわたし。半次郎さんの」
「ふぁん?とはどういうものだ」
あ、そうか。ファンってなんて訳せばいいんだろ?
サポーター、も英語だし、追っかけも分からないだろうなあ。
ああでも、半次郎さんの追っかけって楽しそう!藩邸では稽古してることが多いし、時々真剣でやってたりもするよね!ずっと見てたって見飽きないよ!
「えーと、説明が難しいんですけど。半次郎さんって剣がものすごく強いですよね?」
「当たり前だろう。でなければ私の護衛など任せん」
「いや、護衛だからとかいうレベルじゃないですよ!あの人をうちの父が見たら、きっとひれ伏しちゃうと思います」
「小娘の父御は道場主をしていると聞いたが、それにしても言い過ぎではないか?」
「本当なんですって。なんていうか、お父さんが昔から言ってた剣道の理想みたいな言葉が、半次郎さんにぴったりなんですよね。
だから、初めて逢った時からずーーっと気になってて」
「………」
「最初に見た時はもう、すっごい見とれちゃいました!半次郎さんの剣、うっとりするくらいきれいですよねぇ……。
まさか稽古をつけてほしいなんて言えませんけど、ずっと見ていられたら幸せだなーって思うんです。
あ、それで今思ったんですけど、お仕事してない時に半次郎さんの稽古見ててもいいですか?」
「何故、私に聞く」
「だって、大久保さん上司じゃないですか。わたしが見てて、邪魔になるって他の人から怒られたら困るし。
あと、門外不出の剣術とかだったらまずいかなって……半次郎さんに頼んじゃうと、まずくても断られない気がするし」
調子づいてそんなことを言ってみたら、大久保さんはなんだか複雑そうな顔で、それでも頷いてくれた。
「……別に門外不出という訳ではない。半次郎に聞いてみて、いいというなら構わんだろう」
「やったー!!ありがとうございます、大久保さん!」
ものすごく嬉しくなって、思わずばんざいをしたわたしは、小さくつかれたため息に気づかなかった。
【薩摩藩】大久保 利通
こやつは、頭が弱いのだろうか。
それとも想像力が決定的に欠けているのか?
半次郎が私の護衛だと知っているのに、私の外出時に半次郎が何をしているのか、何故分からんのだ。
私は小娘に気づかれないように、店内の一番離れた席を見た。
そこには、出自の知れない浪人の格好をした男が、静かに茶を飲んでいる。
「…………。」
おそらく、話の内容に困り果てていることだろう。
このように夢中になってずっと見ていたい、剣がきれいだと誉められれば、どんな伊達男であっても鼻白むものだ。
ましてや、あやつは女子にほとんど誼がない。郷里にいた頃は食うや食わずの生活だったというし、こちらに来てからは藩の情勢が難しく、またこの華やかな千年の都においても薩摩訛りが抜けないことから、薩摩出身の女中とすら親しくはないようだ。
そんな中、このような娘が現れて歯に衣着せぬなりで絶賛されては、喜ぶ以前に途方に暮れてしまうだろう。
今ほどではなくとも、いつも対応に困っていることを知っていたので、私は小さくため息をついた。
───いや、しかし。
先程は、いつもと少し違っていたな。
口調も随分と本来のものに戻っていたようだし、何より、あんな風に頭を撫でて笑うような芸当ができるとは思わなかった。
藩邸で専用の部屋と女中を割り当てられている娘だ。事情を知らなければ、主家の娘ではなくとも相当の家の令嬢だと思うのが筋だろう。
それに対して、気軽な態度が取れるような融通が効くとは、なかなか珍しいことだ。
いや……令嬢、というには無理がありすぎるか。まだ異国人の娘と言った方がそれらしい。
もしかすると、この国に慣れない異国育ちの子供と思って対応しているのやもしれん。
「大久保さん?どうしたんですか?おーい」
小娘が不思議そうに私の目の前で手を振った。
いささか考えに没頭してしまっていたようだ。不愉快な動作を手で弾いて止めると、気を悪くした様子もなく小首を傾げる。
「けっこう遠いところに行ってましたよ?」
「やかましい。小娘の間抜けさ加減に呆れていたのだ」
「ま!間抜けって!今の顔だったら、大久保さんの方が間抜けですっ」
「この理知的な私のどこが抜けているというのだ」
「だって、ぬぼーっとしてましたし……。体調でも悪いんですか?ちゃんと寝てます?」
その形容は論外だが、どうやら小娘は私を心配しているらしい。
私はしかめつらしい顔を作って、目の前の薄い茶を飲み下した。
「小娘に心配されるほど柔ではない。有能な者に仕事が集まるのは当然のことだ」
「うーん、でも、睡眠はちゃんと取ってくださいね。寿命が縮んじゃいますから」
「ふん、寿命なぞいつ突然尽きるか分からんのだ。先を心配するより、今やるべきことを為した方がずっとましだろう」
「それはそうですね、交通事故とかもありますし。でも、睡眠不足は判断力とお肌の大敵ですから!
特に大久保さんは薩摩の頭脳なんですから、大げさなくらい用心しないとみんなが困っちゃいますよー」
はっとして、私は小娘を見た。
務めを果たすのは、武士として、また藩の政に多少なりとも与る者として当然のことだ。
病に罹るほど無理をするつもりはないが、職務と休養なら間違いなく前者を選ぶ。
だが、権限が大きくなるにつれ、判断を誤った時の損失も大きくなる。
とりわけ今の時勢、私の見立て一つによって、藩が無くなることも国が無くなることも覚悟しておかねばならない。
そうなった時、路頭に迷うのは藩士であり、町人であり、国民だ。
職務に勤しむのと同じに、判断を誤らないよう休養をも大事にするべきだ。
理屈では勿論分かっているが、正しく理解しているのかと問われた気がして、私は苦笑に近い表情を浮かべた。
「……小娘には、たびたび驚かされるな。おまえの世界では、皆がそうも合理的に考えるのか」
「へ?どういう意味ですか?」
ごうりてき?と、小娘は阿呆のように繰り返した。
【主劇】小娘
なんだか、大久保さんの様子がおかしい。
仕事が忙しいみたいだから、ちゃんと寝てくださいとは言ったけど、この仕事人間が素直に言うことを聞く訳ないよねーとも思ってた。
なのに。
「分かった。小娘がそこまで私の身を案じて気が気ではないと言うなら、多少考慮してやらんこともない。
勿論、休養を取る時は小娘が世話を焼くのだろうな?」
「えっ」
言葉は尊大だけど、なんだか言い方が穏やかだし、内容はもっとびっくりだ。
今日の大久保さんは、時々おかしい。大魔王と仏を行き来してるみたい。
イヤミ大魔王と、生き仏様?うーん、どっちにしても偉そうなのは変わらないんだな。
「───何か、私に失礼なことを考えているだろう」
「!!!い、いや、何も考えてないですよ?」
突然突っ込まれて、心臓が飛び出しそうなほど驚いた。
危ない危ない。大久保さん、すぐわたしの頭の中を見抜いちゃうから。
うっかり大魔王とか呼ばないように注意しなくちゃ……。
「え、えっと、お料理はまだかな〜」
ごまかすためにきょろきょろと周りを見渡すと、ちょうどいいタイミングでお料理が運ばれてきた。
なんか……、色とりどりで、ほかほかしてて、一言で言うとおいしそう!
「全く。花より団子とはこのことだな」
大久保さんが、すっごく陳腐な感想を呟いた。
つづく?
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