勝負は一度きり。失敗はできない。
「プリンセス、もーすぐできますからね〜」
うきうきしたロベルトの声を聞いて、私はサラダを盛りつけながら心の中で拳を握った。
ここまでは順調だ。何も問題はない。
二人でいちゃいちゃするのが大好きな彼の、最近のお気に入りは一緒に料理を作ること。私も得意なわけではなく、どちらかというと苦手な分野だったが、自分の腕前を知っているので無難なものにしか手を出さない。
結果、キッチンを爆発させるようなこともなく、なんとかやれている。
もちろん味はコックの作ったものと比べ物にならなかったが、料理そのものが目的ではなかったので、これをやっているときのロベルトは非常に機嫌が良かった。
その上機嫌を狙わなければならない理由が、私にはあった。
王都を出てからずっと、気になって仕方なかったこと。捨て置ければそれにこしたことはないのだが、自分の気持ちを誤魔化すことはできない。
逃れたいとは思っても、嫌いにはなれないのだ。この世に生まれた時から愛しているのだから。
「……ねえ、ロベルト」
意を決して、しかし極力さりげなく、私は彼に話しかけた。
少し離れたコンロでスープをかき混ぜていたロベルトが、鼻歌まじりに返事を返す。
「あ。そっち終わりました?」
「うん、終わったわ。じゃなくて、相談があるんだけど」
「?相談?」
「あのね。私たち、王都を出てからしばらく経つじゃない?」
「そうでしたっけ?……ああ、そういえば拠点をいくつか移りましたからね」
「うん。それでね、これは私からのお願いなんだけど……」
「なんです?俺がプリンセスのお願いを聞かないわけないじゃないっすか〜。なんでも言ってくださいよ」
「うん……あのね」
ここが正念場だ。神様女神様、ちゃんとうまくやれますように!
「スチュアートに連絡を取りたいの」
言った瞬間、どんな反応が返ってくるかと身構えたが、意外にも反応は薄かった。
薄かった、というか、全くなかったというか。
「……ロベルト?聞いてる?」
「聞いてますよ」
怒った風でもなく、拗ねた様子もない。
ロベルトは相変わらず淡々とスープを混ぜている。
なんだ心配することもなかったか、と安心して、私は皿に乗った野菜の向きを直しながら続けた。
「私がいなくなったら、王位を継ぐのはスチュアートだと思うの。でも、それには強い妨害がつきまとうはず」
「……………」
「ヨシュア=シンクは、悪党だけど馬鹿じゃないわ。そう簡単には王位を渡さない。何をおいても邪魔してくる。
あの二人が本気を出したら、争いは何年も続くでしょう」
「……………」
「そうならないために、私が王女時代に持っていた人脈や情報を全部、スチュアートに渡しておきたいの」
それは、王都を離れた時からずっと考えていたことだった。
継承権を放棄して駆け落ちしたことについて、後悔したことは一度もない。そうしなければ、私はロベルトではない別の人間と結婚させられたかもしれなかった。
私にとって、ロベルトの存在は他の何かで埋められるものではなかったから、あの時はそれしか取れる方法がなかったのだ。この子犬のような狂犬のような、とても年上とは思えない大きな子供は、たった25日間ですっかり心の大半を占めてしまったから。
けれど。それでも、子供の頃から愛していたものが苦難の道を進むのを、黙って見ているのは辛かった。
私が持っていた情報を引き継げば、スチュアートはきっとすぐにヨシュアを追い落とす。そのくらいの期待はしてもいいはずだ。
それには、なるべく早くできれば王位継承争いが始まる前に、スチュアートに接触する必要がある。
「ロベルトがいいって言ってくれたら、明日にでも使者を送るわ」
「……………」
「あと、念のためカーティスとシャークにも連絡を取って、ヨシュア側の行動に目を光らせてもらおうと思って。
あいつ暗殺とか襲撃とか平気でやるだろうけど、あの二人にお願いしておけばその点は心配ないし……
もちろんトータムやタイロンにも連絡するけど、あっちは立場上あんまり目立った行動は取れないしね」
「……………」
「ロベルト?」
そこでようやく返事がないことに気づいて、私は彼の方を振り向いた。
とたんに、ぎくりと体が強張る。
ロベルトはいつの間にかレードルの柄を握り締めて、ふるふると肩を震わせていたからだ。
やばい!油断しすぎた!?
最初に反応がなかったからって、気を緩めてしまった。彼の性格はよく知っているのに。
だからこそ、状況や機嫌が安定したこの時を狙って切り出したのだが、これでは作戦ミスを認めないわけにはいかなかった。
どうも、自分は戦略家にはなれても戦術家にはなれそうもない。
聞こえないようにため息をついてから、なるべく甘やかした声音で呼ぶ。
「ロベルト」
「……………」
「ごめんね、何か誤解した?私は別にスチュアートが大事な訳じゃ」
「…………プリンセス」
「え?」
「俺、昔言いましたよね?あいつのことが嫌いだって」
「う、うん……でも、スチュアートは」
「あんたがその名前を呼ぶのもムカつくって言いましたよね」
「う……」
ロベルトはレードルをスープ鍋に放り込むと、口ごもった私をくるりと振り向いた。
その瞳は、私を迎えに来たあの夜と同じくらい強くて。
思わず萎縮してしまうような迫力があった。
「プリンセス」
「は、はい」
「ひとつだけ、答えてもらえますか」
「な、なに?」
びくびくと首を竦める私の肩をがっしりと掴んで、ロベルトは至極真面目な顔をして言った。
「あいつと、俺。どっちが格好いいですか?」
「…………は?」
かくり、と体から力が抜ける。
人がものすごく緊張したのに、なんだその質問は!子供かよ!
いやいや、でも、これはこれでいいかもしれない。他の男なんて忘れろとかそういう無茶を言い出されなかっただけでもまだマシだ。
とりあえずここは外しちゃだめだ、と、そう思ったのに。
「ええと。かっこいいの範囲にもよるけど、とりあえず顔が良いのはスチュアートだよね」
思わずクソ真面目に答えてしまった自分を、一瞬後に呪った。
だけど、分かっていて嘘なんてついたらそれこそ手がつけられなくなる。追従されて喜ぶ人ではないから。
内心でどうすればいいんだと悩んでいると、ロベルトが再び口を開いた。
「じゃあ、頭がいいのは?」
「ス、スチュアート……かな。あいつ悪知恵は天才的だし、子供の頃から嫌ってほど英才教育受けてるもの」
「権力、とか」
「ええと一応、最上位の王位継承者だし?」
「……付き合いも」
「……うん。まあ、生まれた時から一緒だから……親戚だし……」
「……………」
聞くにつれ、ずーんと暗雲を背負ってしまったロベルトに、慌てて言葉を続ける。
「や、あの。でも、そんなのただの条件で……」
「それで!」
どうにかフォローを入れかけた時、突然ロベルトががばりと顔を上げた。
「それで、あんたはどっちが好きなんですか?」
真剣な瞳。それでいて、負けを認めた雰囲気はみじんもない。
答えを確信している、けれど確かめたいようなその問いに、私はぽかんと呆気に取られた。
次の瞬間、激しい衝動が襲ってくる。
「ぷ……は、あはははは!」
「……!プ、プリンセス!笑うなんてひどい!」
「あはははは、ごめんごめん!はははは!」
「俺は真剣なんですよ!?」
「あっははは、私もそうだって。なによ分かってるんじゃない、ロベルト!」
「え……」
ようやく息を整えた私は、たまらず彼の頭をきゅっと抱きしめた。
多分、とろけるような表情をしてしまっているに違いない。それを見られないように。
「そうよ。私はね、スチュアートより顔も頭も権力も劣る付き合いも浅い、あんたが好きなの」
わざとそういう風に答えると、ロベルトは拗ねたように鼻を鳴らした。
「なんか素直に喜べないです……」
「だってしょうがないじゃない。事実なんだから」
「それはそうですけど!」
「でも、勝負には負けてないでしょう?この上あんたが私を好きでいてくれれば、私たちに勝てるものなんて何もないわ」
「……プリンセス……!」
胸の中で、感極まったような呟きが漏れる。
機嫌を取るためではなく自分の心を吐露するように、私は彼の後ろ頭を優しく撫でた。
「だから、ちょっとだけ許してね。ロベルトが気に入らないのは当たり前だと思う……でも、」
「分かってます。あんたが守りたいのはあいつじゃなく、この国だ。ギルカタールが荒れるのを見ていられないんでしょう」
「!……知ってた、の?」
「俺を誰だと思ってるんです?あんたの恋人ですよ。ずっと見てれば、そのくらい分かります。
あんたが心変わりしないのなら……俺は、それだけいいです。我慢します」
「……うん。ありがとう」
そう、私はこの国を見捨てられない。王位から逃げて離れても、決して嫌いになんてなれない。
ギルカタールは、私が愛する私の国だから。
それを他国人であるロベルトが分かってくれていたことに、少なからず感動する。
彼にとって、スチュアートは一番敵視している人間で、だからこそ意固地になってしまうかと思った。私が何を言っても耳を貸さず、会うことなんて許さないかと思ったのに。
大人しくされるがままになっているロベルトの瞼にキスをすると、彼の目がわずかに細められた。
その、優しい瞳に向かって。
「私……いつかあんたに言われたように、昔のことを何年も引きずってたわ。あの時の傷が、ずっと塞がらなかった」
だからこそ、スチュアートが嫌いだと言った彼。
私の中に傷を付けられる人間だから、と。
「でも。ロベルトに会って、好きになって。止まってた時間が動き出した気がしたの」
「……俺に?俺が何かしましたか?」
意外げな問いに、心からの笑みを贈る。
「したわ。あんたは、ライルより私を選んでくれたもの」
彼は、親友と命を賭けて争うことを覚悟の上で、遠慮することなく愛を囁いてくれた。
俺が一番好きだから、一番あんたを幸せにできるそんな一見陳腐な殺し文句が、どれだけ魅力的に聞こえただろう。
あの時、スチュアートから……二人から見捨てられた私には。
ここにいていいのだと言われた気がした。王女でも結婚相手でもないただの人として、存在していいのだと。
好きな女を譲ったりしない、でも、友情も手離さない。当たり前のようにそう言われてどんな気持ちになったか、この胸を切り裂いて見せてやりたい。
その言葉通り、殺されそうになりながら土下座して親友の協力を勝ち取ったと聞いた時、どんなに胸がいっぱいになったか。
「一生、感謝する。あんたのおかげで、私はもうあの傷を引きずってはいないの」
「ライル?ライルがなんか関係あるんすか?」
突然出てきた名前を怪しむロベルトに、私は澄ました顔で肩をすくめた。
「それは秘密」
「な!なんでですか、プリンセス!恋人同士で隠し事なんて!」
「だって恥ずかしいもの。こんなこと、素面で言わせないでよ」
「酒飲んだら言っていいってことですか!?プリンセス、まさか、ライルに心変わりしたんじゃないでしょうね!?」
「ばか、違うわよ。どっちの方向に勘ぐってるの」
「本当っすね!?もし心変わりしたら、一番に言ってくださいよ!?」
「……それはおかしくない?そもそも心変わりなんかしないってば」
「おかしくてもいーっす!そんなの考えたくもねーけど、はっきりさせなきゃ怖くて生きていけない。約束してください!」
「わかった、わかった。じゃあロベルトも約束するのよ。心変わりしたら私に一番に言うって」
「俺は心変わりなんてしません!俺の気持ちを疑うんですか、プリンセス!?」
「……あんた、少しは考えてから喋りなさいよ……ほら、どいて」
ぎゃあぎゃあと喚き出すロベルトをぺいっと突き放し、料理の皿を両手に持つ。
「さあ、食事にしましょう?済んだら今日は一日中あんたの好きにしていいから」
「え」
ロベルトは途端にぴたりと騒ぐのをやめた。
「本当ですか?……いちゃいちゃとか、だらだらとか?ずーーーっと膝枕、とか?」
「いいわよ。好きなだけ遊びましょ」
「!!!プリンセス、早く!早く食べちゃいましょう!!」
勢い込んで皿を奪われ食卓へ連れて行かれながら、私は天井を見上げて小さくガッツポーズをした。
ミッションコンプリートしました。もう一度やれと言われてもできません、隊長!
END.
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