その手を掴んだ。
流れる空間、歪む時空。
天も地も分からないそこにあるのは、暗さでも恐怖でもなく。
彼と、自分と、まばゆく柔らかい光だけ。
瞳を閉じ、眠るようにたゆたう彼に手を伸ばし。
残された、最後であろう『神子』としての力を全てその手に込める。
共に在りたい、と。
「…………神子」
響く声が呼ぶ。
同時に力無く漂っていた手が微かに握り返された。
金色の長い睫に縁取られた蒼い瞳がゆっくりと開き、唇からは苦しそうな切なそうな吐息が漏れる。
「……何故、来たのだ。」
「わたしを呼んだでしょう?…だから来たの。」
少女の口元には微笑み。
重力も限度もない空間に凛と冴える声。
欲しても欲しても手に入らず、かといって諦めることなど出来ず。
いっそこの世から消してしまいたいと願ったその温もりが、全てを失った今、差し出されている。
奪うことを禁じられた自分に差し出されている。
「………呼んでなどいない。」
ここには何もない。
少女が望む物は何ひとつ、ない。
永遠の時間と無限の空間しか、自分には残されていないのに。
こんな所にどうして居てくれと言える?
精一杯冷たく返した言葉を、事も無げにはね除けて。
少女が微笑む。
「じゃあ、わたしがあなたを呼んだのかもしれない。」
「お前が?……そんな筈は無かろう。」
「………アクラム…わたしは、誰?」
「…今更、何故そんな事を問う?…お前は龍神の神子、私とは相容れない存在だ。」
「違う、私はもう龍神の神子じゃない。………あなたは知っているはず…わたしが誰なのかを。」
知っている。
少女にはもう龍神の影が無い事も分かっている。
けれどここに龍神の息が掛かっているなら救い上げて貰えるかもしれないではないか。
目の前の無垢な微笑みを。
「……お前は龍神の神子だ。」
「違う。……わたしはわたしの意志でここにいるの。……だから、わたしを呼んで。」
「そんなものに意味は無い。」
「………意味ならあるわ。わたしが望んでいるの。…それだけで充分でしょう?」
どこまでも穏やかな微笑みは絶え間なく自分に向けられている。
何故呼ばれることを望む?
何故ここに居ることを選ぶ?
全てを失った自分の所に、何故全てを捨ててまで
「わたしが欲しいものはアクラム、あなたが全てだから」
「……何?」
「だからわたしは願ったの。……ここに来れて嬉しいの。」
今までしてきた事への報いだと思っていた。
一番大切な少女を自分と同じく閉じこめるそれが罰でなくて何であろう。
しかし天真爛漫に少女は笑う。
心底、幸せそうに。
一族の怨みを背負って、全てを支配し神々をも冒涜しようとした自分。
そこでは自分の傍らに少女が居ることは決して許されず。
消してしまう事も出来ずに、それならば消えたいと思った。
自分の身さえ捨てて邪悪な闇に呑まれようとした瞬間に聞いた、自分を呼ぶ少女の声。
それから長い長い間彷徨っていたのは、光の中。
彼はやっと理解した。
これは罰ではなく、慈悲なのだと。
敵対する必要も背負う物も無い空間に、少女と二人。
自分が望み、少女が願ったのがそれなのだ、と。
「…………………」
彼が口を開いた。
流れるに任せるしかなかった体が、少女を抱き寄せるためにはふわりと動く。
「……」
その小さな暖かい体を胸に抱き、柔らかな髪に顔を埋め、彼が何度も少女を呼ぶ。
「……愛している」
ここには何も無い。
光と自分たちの暖かな居場所があるだけ。
FIN. |