「ちゅーなごん、たいらのとももりきょー」
「……なんだ?突然」
ふいに顔を見せた神子が、目を向けるよりも早く間抜けなイントネーションで呼んだので、知盛は少しだけ眉を寄せた。
不機嫌そうな視線を気にも留めず、彼女はよいしょっと傍に座り込む。
「今日、すごかったね。知盛ってば法皇様の前では別人みたいだったよ」
「……そうか?」
「うん。ああいうのが宮中の話し方?知盛も毎日あんな風に話してたの?ごぜんをしつれーしますー、とか」
笑いたくて仕方ない、といった感じの妙な表情で彼女が尋ねると、彼はふんと顔を背けて持っていた扇を鳴らした。
「生憎と、内裏には内裏の振る舞い方があるものでね……俺でも公を弁えるくらいの分別はある。
それを知らねば、平家が栄華を誇ったあの頃とて参内はできなかったさ」
「そうなんだ……なんか、変だよね」
「ほう?神子殿もそう思われるか」
「だって、知盛があんな猫なで声を出すと寒気がする…もん……っ」
「……………。」
自分で言ってとうとう吹き出した彼女の長い髪を引っ張り、口元に持って行きながら、たった数年前までは日常だったそれを思い起こす。
花の京、平家の隆盛も顕著だったあの時代。手に入らぬものなどなく、一門にあらざれば人ではないという言葉も決して誇張ではなかった。
幼き頃より殿上していた自分が、良きにつけ悪しきにつけ慣れ親しんだ、静謐で泰平な……砂を噛むような場所。
そこで安寧を貪っていたときよりも、追われた今の方がその空疎さを感じると言ったら、負け惜しみになるだろうか?
「……確かに、そうかもしれん。何かにつけては歌を比べ、くだらん焚き物や衣を競い、心にもないことを口にする。
宮中とは、本当に思っていることを口に出さない偽りが真となる世界、だったな」
「……ちょっと、やなとこだね。そういうの」
腹を抱えていた神子が、ふと真顔になって唇をとがらせたので、知盛は過去の幻影から彼女へと視線を移した。
その瞳には嫌悪の色が色濃く映っていて。素直なものだ、と思わず心中で呟く。
彼は持っていた髪を空へ投げると、面白くもなさそうに言った。
「別に構わんさ、俺も真面な会話を期待していた訳じゃない。宮中でしか出会わぬ者に、興味など無かったからな」
「……え?でも昼間は、深き忠義にはいささかの揺るぎもございません、とか言ってたじゃない。
法皇様や帝には忠誠を誓ってるんじゃないの?」
「そう思うのか?」
クッと喉を鳴らして見返すと、神子は驚いた顔をした。
彼女の乏しい知識の中では院や帝は絶対のもので、自分や将臣はともかくこの世界の貴族にとっては仕えるべき存在なのだろう、と漠然と思っていたから。
しかし、知盛は明らかに嘲りの色を浮かべて肩をすくめた。
「言っただろう、宮中では思わぬことを口にすると。残念ながら俺は、あんな食わせ者に誓う忠義は持ち合わせていない。
そもそも俺の忠義は、院や帝や……朝廷などには誓われていないさ」
「?じゃあ、何に?」
「……これはつれないことを仰るものだ」
おかしそうに言ってから、知盛はおもむろに膝を直して、流れるような手つきで装を捌いた。
姿勢良く頭を下げ、彼女の着物の袂をうやうやしく持ち上げて掌に載せる。
その表情が昼間のように穏やかに笑み、瞳が人好きのする表情を湛えた。
「貴女の傍にいなければ、この身は蜻蛉のように儚くなりましょう。貴女は私の主、どうか私に慈悲をお与えくださいませ。
私の忠誠は、神子殿、貴女だけに」
淀みなく袖裾に口づけて見上げると、彼女が赤面して狼狽えている。それを楽しそうに見て。
「貴女の具合良い身体と、稀見る武の天性に」
「どういう意味よ!」
「言葉の通りだ。喜べ」
「ぜんっぜん嬉しくない!!」
急いで袖を払った彼女の腕を、今度は遠慮なく掴みながら、知盛はククッといつもの笑いを漏らした。
「おまえは俺に嘘をつかないだろう、というのはそういう意味さ、神子殿」
END. |