たくさんの星々が、空で瞬いている。
船の舳先近くで寝転んでいたオレは、静かに寄せる波の音と星の輝きだけに身を浸しながら、何度目かのため息をついた。
思うのはただ、ひとりの少女のことばかり。
その子は、別の世界から来た女の子だった。
そして、俗世の者には想像もつかないような使命を帯びていた。
白龍の神子であり源氏の神子。龍神の守護する京の民と、平家と戦う源氏、双方へ神託を告げる者。
もはや、彼女なくしては京を護ることも鎌倉を護ることもできないと言っていい存在だ。
オレはもう一度、ふう、とため息をついた。
「そんなやんごとない御方に恋をしたつもりは……なかったんだけどなあ」
力無く笑って、掌で両目を覆う。
自分が好きになったのは、いつも可愛らしい笑顔と優しい気遣いを向けてくれる、小さな女の子。
初めて逢ったときは、屋敷に雇われた女房かと思った。白龍の神子だと聞いてからも、気軽に出かけたり洗濯を手伝ってくれたりする姿から、受ける印象は変わらなかった。
その彼女が戦場に出、戦いながら怨霊を封印し、今では軍師や大将と肩を並べて軍議を取り仕切るまでになった。
戦の場にいる彼女は確かに凛々しく、勇敢で、美しい。舞うような剣技や躊躇うことのない決断に、思わず見とれてしまったことも一度や二度ではない。
けれど……。
「そうなってよかった、とは……言えないかな」
今ではもう、その存在は手の届かないものになってしまった。
彼女は京を救い、源氏を救い、もしかしたら平氏をも救い、あらゆる人の希望になるだろう。
身の内に封じた龍神の加護を惜しみなく皆に与え、そして戦いが終われば、元の世界へ戻っていくのだろう。
どうなろうとも、叶うはずもない、恋。
「……いやいや、違うって」
そこまで考えて、オレは自分の考えに苦笑した。
「オレが叶わないと思うのは、あの子が神子だからじゃない。身分や世界が違うからそう思うんじゃない」
もし今、あの子が前のままの小さな女の子だったとしても、オレは想いが通じるなんて思えなかっただろう。
この恋が叶わないのは、彼女が彼女だから。
そして、オレがオレだから。
権力に服従し、無様に隷属している自分には、あんな眩いひとに乞える言葉などあるわけがなかった。
それどころか、密かに下された命令を思えば、いま彼女の傍にいることすら恐れ多く思えた。
「……命令、か」
オレは、書状を受け取ってからずっと持てあましてきた策を、もう一度頭の中で繰り返した。
修行も終わらせていない中途半端な陰陽師の自分に、死を偽装するような難しい術がこなせるだろうか。
主にも将にも仕えきれない中途半端な戦奉行の自分に、あの恐ろしい人を欺く芝居ができるだろうか。
例えば彼女の非難に心を乱されたら、仲間が自分を阻もうとしたら、うまくいく自信はない。失敗すれば、彼女どころか家族まで危うくなる。それを守るために今まで耐えてきたというのに。
運良くすべて成功したとしても、そんな命令に従った自分を……決然と拒否できなかった卑怯な自分を、彼女は許しはしないだろう。
息を吹き返した彼女から向けられるのは、怒りか蔑みか、それとも敵視か。
「あの子にそんな目で見られるのは……死ぬより辛いことかもしれないな……」
それでも。
だからこそ。
自分には、その道を選ぶ意味がある。
我が身のために彼女や仲間を騙し続けた愚かな自分を、唯一誇ることができるかもしれない。
重い罪を背負いながら罰せられることなく彼女の傍にいた自分に、それは救いのような天罰かもしれない。
たとえ嫌悪や侮蔑が浮かんでいても、あの瞳をもう一度まっすぐに見られるなら。
すべてを賭ける価値はきっと、ある。
ほのかに白んできた空を見透かして、オレはゆっくりと身を起こした。
景時さんの嘘は分かるんです、と笑った彼女を思い出しながら、朝日に目を細める。
「あの子が生きていてくれるなら……どんなに辛い嘘も裏切りも、やり遂げてみせるさ」
それが自分の、ちっぽけな使命だと思うから。
END. |