そっと、瞳を開く。
決して壮大ではないが、それでも充分広い寝所にはもう、蒼い朝の光が息を潜めている。
次の刻頃には清々しく白く輝くだろうそれを、憎々しげに睨みつけてそのらしくなさに苦笑が漏れた。
羽根が舞うように静かに。
意識して気配を消して。
ゆっくりと身を起こすと、傍にあった温もりがそれを感知したようにふと、揺れた。
それに、もう一度、苦笑する。
「……おはよう、姫君」
夜の間は、頬に触れても口づけを落としても無防備な寝顔を崩さないくせに、自分が退出しようとするとすぐ目を覚ます少女は、まだ少し寝惚けた瞳で唇を咬んだ。
「……また、黙って帰るつもりだったんですね」
「……………。」
応えずに、そっと口づける。
それでも咎めるような表情は変わらないから、言い聞かせるように唇に指を当てた。
「そんなことはしないよ。約束しただろう?
それに……これでは、帰りたくても帰れないね」
言って、彼女が夜着の上から羽織っている直衣の合わせ目を直す。
少女と夜の時間を共に過ごした最初の朝、彼は眠る彼女を起こさないように部屋を後にした。
それが女性への気遣いであり、一般的な心配りだと信じて疑わなかった自分に異世界の少女が示したのは、あからさまな怒りの感情。
その日の散策も含めて、三日間も会ってもらえなかった彼は、もう少しで諦めてしまうところだった。
神子である少女に愛を囁き、その幼い恋心につけ込んで朝まで部屋に居座ったことか。
それとも、一夜を共にしながら遂に彼女に触れることができなかったことか。
どちらかが、彼女の不興を買ったのだと思ったから。
それ以来、彼女はまるで人質のように、彼の直衣にくるまって眠るようになった。
自分が眠っている間に、彼がいなくならないように。
「……もうすぐ夜が明ける。名残は尽きないけれども、私はこれで失礼するよ」
幾ばくかの努力をしてそう言うと、少女はきゅっと直衣を握りしめて、その中に身を縮めた。
「…………イヤ」
朝の静寂だからこそ聞き取れるようなかすかな呟きに、相好を崩す。
「こら。聞き分けのないことを言うものではないよ」
「でも、もう少しくらい……」
「そろそろ行かないと、藤姫や家人に知れてしまうだろう?」
「……でも……だって……」
どんどん小さくなる声。泣き出しそうな言葉。
少しだけ見えている手が、不安そうに自分の指を探し当てる感触を感じて、彼はそれを握り返しながらため息をついた。
どうして、こんなにも愛しいのだろう。
どうして、彼女でなくてはならないのだろう?
その答えは自分にもわからない。
「やれやれ。この姫君は、どうしてこんなに私の心を捕らえるのが上手なのだろうね?
でもいけないよ。事が露見したら糾弾されるのは君で、私ではないからね」
龍神の神子。神事に関わるその地位は、純潔の乙女でなくては務まらないという。
それが本当なのかは定かではないし、そうだとしても彼女にはその資格があるけれども、自分のような者と過ごしていることが知れたら周りはそうは思わないだろう。
枷にしかならない自分。確かめるだけで罪になるような想い。
分かっていて、どうして……
「……じゃあ……また、来てくれますか……?」
ぱさり、と直衣の袖が落ちる音がして、彼女がそっと身を起こした。
その愁いげな瞳を間近で見て、我に返る。
「友雅さん……?」
自分を呼ぶ甘い声。
自らの名がこんなに甘いものだとは、今まで思ってもみなかった。
そして、それだからこそ、彼女に本気になったのではなかったか。
「ああ……そうだね、あかね。また今夜」
彼はいつものように微笑むと、不思議そうな少女の手を取り上げた。
「姫君、今宵また参ります。それまでどうか、私を忘れないでください。
もしお慈悲をいただけるなら今日もまた、私をお供にお呼びくださいますよう」
膝をつき、彼女の手の甲に額を当てながら言うと、少女は頬を染めて微かに頷いた。
それに、笑って。
「夜が来るまでは、君の名前が私だけのものだということを糧にして生きよう。
愛しいあかね、我が姫私のすべてを君に……」
甘く囁いて、口づける。
この想いが、彼女に届くことを願って。
FIN. |