「神子殿、失礼します。」
穏やかな日差しが降り注ぐ初秋の一日。
藤姫が彼女のために整えさせた庭園の紅葉も日の光にくるまれて、その鮮やかな色を柔らかく池に映している。
部屋の中には既に先客が居て、話を途切らせてこちらに振り向いた。
分かってはいたもののなんとなく気分が重くなる。
「友雅殿、お話の邪魔をしてしまい申し訳ありません」
「いいや。君が来るまで神子殿が退屈しないようにお伽話など語っていただけだから、気にすることはない」
余裕のある微笑みで豊かな髪を掻き上げると、動いた部分からほのかな香り。
内裏きっての風流人である彼の所作に、朝の稽古を終えて湯に入り遅れまいと飛んで来た自分を省みて目を伏せた。
今日は神子の物忌み。
夕べ届けられた文を手にしてようやく、その日の自分が朝から落ち着かなかった理由に気が付いた。
『明日はお出掛けできないので、もし他にご予定がなければお部屋にいらしてくださいませんか?かるた大会を開きます。一緒に藤姫を負かしましょう』
異世界から来た少女の文には形式も謎かけもなく、伝えたい事がそのまま書かれていていつも好感が持てる。
そこかしこにちりばめられた記号も意味は解らないけれど、とても彼女らしく。
最後に気合いを入れた自分の似顔絵らしいものを書き込んでいる所など、読んでいるだけで和やかな気分になる愛らしい文だった。
文に添えられていたのは自分の好む桜。
大会、というからには八葉全員に出したであろうその文に、全て異なる好みの枝を添えたに違いない。
それでも頬が自然に緩んできて。
帝の住む都だけあって、暖かくした屋内で文に使う花を栽培している所があるからこの時期に桜でも驚きはしないが、
受け取る側に対する細やかな心配りに少女の性質が窺えた。
それを受けて来た自分も、何か気遣いを見せるべきではなかったか。
例えば花を手折って来るとか……そういえば、この間神泉苑でつぼみだった桔梗を眺めていた。
もっと早く起きれば…いや、朝の稽古などしなければ時間はあったのに。
夜に倍すればいいだけの簡単な事に何故気付かなかったのか……。
「頼久さん?」
「……………」
「あの……頼久さん!」
「は、はい!申し訳ありません」
「どうかなさったんですか?…あの、お体の具合でも…?」
「いいえ、その……すみません、少し考え事をしていたものですから…」
座ったきり腕組みをして動かなくなってしまった彼の顔を、神子が心配そうに見ていた。
やっと皆の視線に気が付いた頼久の頬が朱に染まり、珍しく歯切れの悪い言葉が動揺している事を露呈する。
「これはこれは…鮮やかだねぇ」
「友雅殿!」
「身を焦がす椛は秋に似合いだ…君は剣の事ばかり考えていると思っていた私が浅はかだったよ」
口元を扇で隠して意味ありげな視線を送ってくる友雅を鋭く睨む。
二人に挟まれた神子はきょとんとして首を傾げていた。
場の空気を読んだ藤姫がすかさず助け船を出した。
「さぁ、神子様…頼久も来た事ですし、そろそろ始めませんか?」
「神子殿、他の八葉は…?」
「お手紙出したんだけど、みんな予定があって来れないって。…でもいいの、友雅さんはかるたとか慣れてそうだし、頼久さんは反射神経良さそうだし!わたし、藤姫に一回も勝ったことないんだもの、悔しくって!」
力強く両拳を固める少女。
本当にこの人はいつでも何にでも一生懸命だ。
異世界からいきなり連れて来られたにも拘わらず、龍神の神子として京の為に戦い、鬼にさえ情ををかけて戦い以外の道を探ろうとしているひたむきさ。
先の見えない旅路の最中でも、嬉しい事や楽しい事を笑える前向きさ。
凶悪な悪霊を封印して京を浄化する龍神の神子。
年下の姫にかるたで勝てないと悔しがる愛らしい少女。
一体どちらが本当の彼女なのか。
自分が命を賭して護りたいのは京の都なのか、それとも。
「今日の頼久は感傷的だね」
「は?」
「先程から物思いに耽ってばかりだ。…さては恋煩いか?いい季節だしね」
「な、何を言われる!」
いつもながらこの男の冗談は質が悪い。
神子のお呼びでなければさっさと退出する所だ。
そう思いながら眉間に力を込めて涼しい顔の男を見遣った。
「ほほ、友雅殿は一年中そうではありませんか。花が咲いたと言ってはお花見に、雪が降ったと言えば雪見に女性をお誘いになるのでしょう?」
「…藤姫はいつも手厳しいねぇ。美しい景色は美しい女性と見たいものだよ」
「ええ、それは結構ですわ、お相手が毎回違わなければもっと良いのですけど。…それはさておき、ぼんやりしていた頼久には詠み手になってもらいましょうね」
「は、申し訳ありません」
藤姫から詠み札を渡され、ちらりと少女に目を走らせる。
つい今までころころと笑っていた彼女は、既に真剣そのもので敷物の上に並べられた札を凝視していた。
◇ ◇ ◇
それは場に置いた札が半分程に減った時の事。
場の赤い敷物から身を乗り出すようにして見つめている少女の手元には数枚の札しか無く、焦っている様子が手に取れる様。
次の札を詠むと、藤姫の手が間髪入れずに神子の前に伸ばされた。
「あ…あっ……」
つられて少女が自分の前の札に触れる。
「神子様、それお手つきですわ」
すい、と左端の札を取りながら、藤姫は悪戯っぽく、くすくす笑った。
「ずるーい!!」
「これも作戦ですわ。ちゃんと確認しない神子様が悪いんです」
「だって〜……」
「一回お休みですわ」
ぶつぶつと言葉にならない文句を言いながら一手見送った少女は、次こそは、とぐっと息を詰め自分の声を待っている。
喜ぶ顔は見たいけれど、遊びとはいえ勝負事。
ましてや詠み手ではどうしようも無い。
神子の気持ちが伝染したのかじりじりとしながら次の札を見て、ほっと息が漏れた。
神子の真ん前にある、さっきお手つきした札。
これなら神子が取るだろう。
そう思って安堵したのに。
「…ハイっ!………あっ…」
「…おや……」
勢い良く札を叩いた神子の手に、ふわりと重ねられるしなやかな手。
友雅がにこりと笑った。
「……残念ながら神子の方が早かったようだ。でももう少しそっとしないと…ほら、手が赤くなってる」
ちいさな手をくるりと裏返し指先に息を掛ける彼に、神子がびっくりしたように札を落とした。
ざわり、と髪が逆立つような感覚。
つぶさに見つめていた自分には分かる、そのわざとらしさ。
危うく声を出しそうになった。
触るな、と。
「あ…ハイ……あのっ、大丈夫です…」
「駄目だよ、まだ赤い。」
未だ離されない手に真っ赤になって、神子が困ったように口を開いた。
「そ、そういえば………今日は龍神の神子のお仕事はお休みなんですよね?」
「うん?」
「そうですわねぇ、外に出られない日ですから…お休みと言ってもいいですわね」
「………………」
沈黙して札を握りしめる。
白い手は指先が繋がれたまま。
その手を…離せ。
文に添えられた桜の枝を思い浮かべ、出ると荒くなりそうな言葉を寸での所で飲み込む。
「えと、ずっと思ってたんですけど…お休みなら名前で呼んで欲しいなぁって…」
「…名前で?」
「はい。…様、とか殿、とか呼ばれ慣れてないので…自分じゃなくなったみたいで。神子としての仕事の時ならしょうがないですけど、こんなふうに遊んでいる時は名前がいいです。」
にこにこ笑いながら少女はそう告げた。
友雅がわざわざ手を握り直し、ちらりとこちらを見た気がした。
「……私は女性の名は閨で呼びたいと思うね。…神子殿はお付き合いして下さるのかな?」
今だに離されていない手その上。
少女の顔を覗き込んで吐かれた言葉に、頼久は思わず刀の柄に手を掛けた。
「友雅殿っっ!戯れもいい加減に……」
そう、言いかけた時だった。
「……いいですよ?」
「神子様!?」
「………っっ!!!」
今まで神子の声で紡がれた言葉の中で。
唯一、これだけは…聞いた事を後悔した。
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