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  惜しからざりし命さえ 

そっと、瞳を開く。


一瞬だけ浮遊感が身に纏わりついたが、その感覚はすぐに消え失せ、空間を歪めた痕跡は何も残らなかった。
それに満足して、薄暗い部屋を見渡す。

目が慣れるまでよくは見えないが、空間の規模は分かる。
調度と広さからして、少なくとも身分卑しからぬ貴人の部屋。何も知らぬ者が見れば、名のある姫か北の方の寝所だと思うだろう。
その隅に寝台らしきものを見つけて、彼は唇だけで少し笑った。

京にとって、今や帝よりもかけがえのない存在である部屋の主は、何重にも張り巡らされた結界に守られている。
強大な力を持つ自分ですら、この結界を越えては数瞬の言葉を送ることしかできなかった。
そう、今までは。

四神の力を我が物とし、元々は京を守っていたそれらの気を取り込んだ彼には、鬼を排除するための結界は無意味なものとなった。
ここまで実体を送るのは容易ではなかったが、それでも自分は今、ここにいる。
京を守る者たちが旗頭として崇める存在自分がこの世界に呼び寄せた、龍神の神子の部屋に。


特に足音を殺したりはせず、彼は寝台に近づいた。
暗闇になじんできた目が映した姿は、起きているときと変わりなく無防備で……ただ、見る者を戸惑わせるような色をした碧玉だけが、今は瞼の奥にしまわれている。

「……神子」

見下ろして呟いても、彼女は目を覚まさない。八葉や星の姫が気づいた様子もない。
彼は大声で笑いたくなった。
神子を守ると誓い、京を守ると豪語する彼奴らには、その力はない。天賦の才もなく平和に慣れた者たちと、何百年も迫害され戦いの最中にいた一族の者とでは、明らかな力の差があったから。

ただ彼女だけが、その彼らを護り統率してきたのだ。
身の内に巣くわせた、強大な龍神の力を以て。

「……愚かなことだ」

嘲るようにそう言うと、彼はその場に膝をつき、少女の首筋に手を当てた。
力強い躍動を感じる血の流れ。彼女の中の龍脈を示すもの。
それを絶とうと思うなら、ほんの少しだけ指先に力を籠めれば良い。針の先ほどの苦労をする必要もなく、それは達成できるだろう。

「いっそ……そうしてしまうか」

そうすれば、京は容易く自分のものとなる。
四神を手にした彼には、もう神子の力は必要なかった。傀儡として役立てることはできるが、そうするにはあまりにも、その存在は一人歩きをし過ぎていた。
自分の理想にとって、妨げにしかならない神子。一族に害をなす者。

もう二度と邪魔立てできないように、このまま縊ってしまおうか。
それともそれとも、力を使えないように……龍神の導きを受けられなくなるように


穢してしまおうか?


「……………。」

す、と指を下げると、着慣れていない夜着の合わせは簡単に寛ぎ、白い肌が零れた。
仮面を外し、滑らかな胸元に口づける。

龍神の神子は、己が身を龍神に与えて力を得、最後には贄となる存在。それ故に、純潔でなくなれば力を行使することは叶わなくなるという。
それが本当かどうかは定かでないが、もしそうなれば、八葉や星の姫はどんな顔をするだろう?
主を鬼に穢され、龍神の加護を失い、京を鬼に支配される。
自らを正義だと思っている彼奴らには、力を失った神子をそれと分かっていて祭りあげることもできはしまい。役立たずとなったこの娘の処置に困ることだろう。
そうなったら、おまえはどうするだろうか?

「………ん……」

軽い音を立てて帯を解くと、少女が小さく呻いて身を捩った。
思わず顔を見る。その瞳は相変わらず隠されたまま、固く瞑られていて。
しかし、その代わりのように小さな手が動き、ふと彼を抱き寄せた。

「……だい…じょうぶ……」

深い眠りにいる者特有の虚ろな声が、辿々しく響く。

「大丈夫…もし……わた…しが、利用されてても……ただの道具でも、私は……京を守るよ……」

「……だから……安心して……京も、あなたも……私が、……守るから」

夢でも見ているのか、それとも誰か守るべき者の傍にいるつもりなのか。
それを聞いているのがよりにもよって自分であることが、余りにそぐわなくて笑いが洩れた。

これこそが龍神の神子の素質。選ばれし者の器。
そして、その加護を受けることができるのは、自分ではない誰か
考えて、無意識に煽られた苛立ちを目の前の体にぶつけようとした彼は、ふいに呼ばれた名に絶句した。

「私が……守るよ」

彼女は完全に眠っている。
策を弄している気配は全くない。

「私がいるから……だから、一緒に探そう……
 ……あなたが、もう……戦わなくてもすむ道を」

抱きしめる腕が、まるで慈悲深い母親のように温かさを分けた。



それ以上、そこに居ることはできなかった。
居れば、気づいてしまう。
自分が欲しているのは、奪うことではない。破壊することでもない。
ただ、求めているだけなのだと……気づいてしまうから。


まるで風前の灯りが尽きるように、彼の姿はかき消えた。
少女はついに目覚めることはなく、ただ落葉の残り香だけが、彼女の腕の中でいつまでも揺蕩っていた。

FIN.

あとがき