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    あなたのために    

 

「経正さん、わざわざ送っていただいて、ありがとうございました」

ぺこりと頭を下げた少女に、私は少しだけ苦笑した。
京屋敷への短い道中で幾度も感じたように、彼女の態度は全く愛らしい少女そのもので……平家一門と多くの民、そして龍神と京をも救った神子らしい所作は微塵も見えない。
だが私は、それによって彼女を軽んじる気にはなれなかった。むしろ、そんな彼女だから世を救えたのだと、納得できる気がした。
そしてまた、そんな彼女だからこそ弟を救うことができたのだと思って私は安堵したのだ。

「いえ、どういたしまして。私も神子殿とお話ができて楽しかった」
「明日も色々と大変ですけど、よろしくお願いしますね」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」

言いながら彼女の背後に目をやると、それまで黙々と彼女に付き従っていた敦盛が、深々と頭を下げるのが見えた。

「兄上。それでは明日、神泉苑で」
「ああ、お前もよく休みなさい。神子殿と夜語りなどして、疲れさせてはいけないよ」
「あ、兄上っ…!」

屋敷門の乏しい灯りの中でも、弟が赤くなるのが分かって、私はくすくすと笑い声をたてた。
私と敦盛の間で困ったように視線を行き来させていた神子殿が、闇に隠れてそっと彼の手を取る。
ますます赤みを増した頬で、それでも顔を俯けることなく彼女を見つめる瞳は、私の記憶にはないものだ。それが嬉しい。

「では、敦盛、神子殿。明日の和議を楽しみにしております」

二人に礼をして、私は踵を返した。


もう血を流す必要はなく、神子殿や弟と争う必要もない。こんな穏やかな時間を過ごせるのは、言葉に表せないくらいに幸せなことだ。
心からそう思い、私は夜空に照る十六夜の朧月を眺めあげた。
昔詠んだ歌がふと思い出され、口をつく。

「…千はやふる…」

その時。
まだ一節を言い終わらないうちに突然、ぐい、と袍の袖が引かれた。
驚いて振り返ると、いつのまに追いついてきたのだろう、神子殿が一人で私の袖を握っている。
薄暗い道行きで、その瞳は怖いくらいに輝いて見えた。

「神子、殿?」
「どうするつもりですか」
「は?」

明らかに先ほどとは違う彼女の表情に、狼狽を隠せない。
私が小さく首を傾げると、彼女は私の袖を握ったまま、にこりと笑った。

「和議が成ったら、経正さんはどうされるんですか?」
「………!」

咄嗟に、言葉を返せなかった。
用意していなかったわけではなく、また敦盛に問われた時は自然と返せた答えが、今の彼女には返せなかった。
それが通ずるものではないと……思わせる何かがあったから。

「神子殿……」
「そんなことを考えるのは、やめてください」
「神子殿」
「そんなことをしたら敦盛さんが哀しみます。もちろん私も、他の平家の人たちも」

彼女を呼ぶしかできない私に、神子殿は強い意志の力を宿した声で繰り返した。
私はもう、それに抗うことはできなかった。

「……神子殿。それが正しい姿なのだと、私は思うのです。
 怨霊は、そもそもこの世には存在しないものだ。世が平和で清浄になったのならば、無い方が良いものだ」
「私はそうは思いません。もしそうなら、敦盛さんが八葉に選ばれるはずがないし、私が

彼女が言葉を切ってかぶりを振ると、長い髪がぱさぱさと頬に当たって音をたてた。

「この世界のものではない私が、神子に選ばれることもなかった」
「……………」
「何が正しいかなんて関係ない。大事なのは、どういう意味があるかということ。
 選んで勝ち取った運命が、どんな意味を持つかということだけ」
「いや、私はあなたや敦盛とは違う」

彼女の言葉から逃げるように、私はきつく目を閉じた。

「あなたは龍神に選ばれた神子で、この平和はあなたでなくては成し得なかった。
 敦盛は八葉としての務めを果たし、これからはあなたの支えになれるはずだ。あの子には生きる意味がある、そうでしょう?」

それは哀願だと、自分でも分かっていた。自分は消え去る運命でも、敦盛だけは神子のそばで幸せになれると、そう思いたかった。
縋るような私の言葉に、神子殿が頷いた気配がした。

「ええ、そうです。敦盛さんは私が生きていくのに必要なひと。たとえそれが罪であっても、私は決して離さない」
「神子殿……ありがとう」
「でも、それはあなたも同じです」

凛と響く声とともに、冷たい掌が私の頬を包んで引き寄せ、私は思わず目を開いた。
すぐそばに、彼女の碧玉のような瞳があった。

「私は、あなたを喪った運命のあのひとを知ってる。
 平家のため、そしてあなたのためにあなたを討ち、深く傷ついたあのひとを知っている」
「……私を……?」
「あなたは、あのひとが生きていくのに必要なひと。もし罪であったとしても、決して離しはしないはず。
 私が選んだのは、そういうひとだから」

神子殿は儚げな、それでいて幸せそうな笑みを浮かべ、だからもうじぶんをせめないで、と言った。
わたしたちはこれから、みんなでしあわせになるのだからと。




「……あなたのために生きよ、と仰るのですか」

幾瞬かの時が過ぎ、私は詰めていた息を吐いて、微笑んだ。
頬に当てられた、もうすでにあたたかくなった手に掌を重ねる。

「困った方ですね。私は、敦盛とあなたを争うつもりなどないのですが」

そう言うと、神子殿は心底嬉しそうな表情になって、花が咲きほころぶようにくすくすと笑った。

「わたしだって、敦盛さんを渡すつもりはないですしあなたから敦盛さんを奪うつもりもありませんよ?」

その顔に、先程までの強い決意の色はなく。
ただ、穏やかで慈悲深い少女の優しさが、滲んでいるように見えた。




「じゃあ、今度は本当にまた明日」
「ええ、また明日」

もうすっかり安心したように一礼して、駆け出す彼女を見送りながら。
私は独り言のように呟いた。

「神子殿。あなたが生きよと申されるのならば、私にも生きる意味があるのやもしれません。
  あなたは神子でなくとも、浄化などしなくても……人の心を救ってくださるのですね」

その言葉が漏れ聞こえてしまったのだろうか、神子殿は少し行ったところで振り返り、冴え渡る月の光を浴びながら大きく手を振った。


「経正さん、敦盛さんと同じことを言うんですね。私はただ、ものすごく欲張りなだけですよ!」

 

END.

 

 

 

 

どうしても経正あにうえが書きたかった。本当はあにうえ×神子で書きたかったのですが、話をふくらます題材もないし(三草山くらいしか接点ないしなあ)、個人的には兄上とあっつんセットがいちばん好きなので両方取りでいってみたv
大団円の後、兄上は世を儚むと思うんですよ。思い残すことないじゃん。あっつんが幸せになったらもう存在理由が無くなるし、白龍が力を取り戻せば神子じゃなくても浄化できるし。でもそんな簡単に逃しませんよ神子は!(笑)あと途中で駄犬が混じりかけたのは許して下さい、これ以上直せない_| ̄|○
きっとこのあと、仲良く三人で暮らすことになると思います。あっつんが兄上にやきもちを妬くとは思えませんが、二人にからかわれる毎日かと思うと……楽しい!!
というわけでおまけ↓

 

「お待たせ、敦盛さん!」
「神子……兄上がどうかしたのか?」
「ううん、ちょっとお願いがあって」
「願い?兄上に、か?」
「和議が成ったら、一緒に暮らしませんかって」
「…………兄上と……共に?神子、が?」
「うん。平家の人たちも京に戻ってくるし、どうせ住むなら一緒に暮らしたいでしょ?」
「……そう……か。兄上と……」
「うん」

(間)

「……そういえば、兄上も、神子のことを誉めていた」
「え?ほんとですか?」
「ああ。あのように身命を賭して働くのは並大抵の覚悟ではできない、心の強い方だ、と。
 神子は本当に、誰にでも好かれるな」
「もう、そういうこと真顔で言わないでください。恥ずかしいから」
「しかし、事実なのだから仕方ないだろう。経正兄上は強いだけでなく優しい方だから、神子もきっと幸せに
「そうですね。まだ一緒に住めるか分からないけど、もし三人で暮らせたら何をしましょうか?」
「……え?」
「お花見に行って、せんせいのおうちにも遊びに行って……鎌倉や福原にも行けますよね、もう平和になるんだから」
「……神、子?」
「わたし、敦盛さんと経正さんの想い出の場所とか行ってみたいです。連れて行ってくれますか?」
「あ、ああ……だが、その」
「敦盛さん、あんないいお兄さんがいて幸せですね!」
「ああ……本当に……そう思、っている、が……あの、」
「でも、これからは私のお兄さんにもなるんだから、わたしだって甘えるんだ〜!」
「!?み、神子っっ!??」
「敦盛さん、早くみんなのところに帰りましょう!明日はがんばらなくちゃ!」
「神子!ま、待ってくれ、神子!!」

 

みたいなかんじで!(笑)