最初は、つまらない女だと思った。
その辺の町娘とは違うことは服装や帯剣でも分かったし、自分を怖くないと言うくせにいきなり泣き出したり敵であることを明かしたり、妙なことばかりする女だったので、その場限りにしない程度には気を惹かれた。
だが、自分が戯れ以上の興味を持つとは思っていなかった。
「……………。」
薄闇の迫った縁側で、知盛は気怠そうに座ったまま柱を背にしていた。
定宿にしているここに留まって、もう幾日経つだろうか。責任の重い同行者は時間が経っていくことに神経を尖らせているようだったが、もとよりそんな使命感もない彼は思うままに日を過ごしている。
食べて、寝て、戦う。補給して消費する。雑魚相手に面倒をするのは決して望むことではなかったが、最近彼は小さな楽しみを見いだしていた。
いつのまにか彼らと共に行動するようになった、妙な女。源氏の陣営に与するくせに自分たちと同行し、神子のくせに剣を振るい、将臣の幼なじみだと言いながら彼に素性を隠す、矛盾ばかりの存在。
彼女が戦う時、彼女の瞳は普通ではなくなる。将臣は気づいていないようだが、至極真剣で真摯で……それでいて冷酷であろうとする、何かを求めるような色を帯びる。
そうまるで相手を斬るたびに自分も傷ついて血を流し、しかしその血の泥濘の中にすらりと立っているような。
そんな戦う瞳を見るのが彼には楽しかった。
「源氏の……神子」
彼女が敵方だと聞いて、その瞳が自分に向けられることを期待した彼の思いはしかし、長い間裏切られ続けていた。
神子は怨霊と戦う時以外はごく普通の小娘だったし、いつまで経っても自分に剣を向けようとはしなかった。どれほど隙を作っても挑発しても、ありふれた反応しか返ってこなかった。
しかし、今日。彼は遂に、自分を見る瞳の中にその色を見いだしたのだ。
それは、忍んできた彼女を揶揄した時でも、無理に剣を合わせた時でも、その身を縛した時でもなく、動けない彼女の唇を戯れに奪った時のことだった。
「逃げられた……か……」
自分は本当に、逃がしてしまったのかもしれない。
あの瞳に射られたのはほんの一瞬のことで、術が解けた彼女はもう、普段の彼女だったから。
あの時、将臣が戻ってきたことなど無視してそのまま続けていたなら望むものを得られただろうか?
「……まあ、その前に……幼なじみ殿に斬られたことは間違いないが、な」
クッ、と喉を鳴らして、知盛は盃を口元に運んだ。
いつのまにかそれが空になっていることに気づき、脇に置いてあった銚子を取り上げた時、渡殿の向こうから少女が歩いてくるのが見えた。
「あれ、知盛。いたの?」
「……また、随分な御挨拶だな」
わざと不愉快な声を出してみたが、彼女は気にも留めずに近寄り、ぺたりと隣に座り込んだ。
「だって、将臣くんは用があるって出かけちゃったよ。平家の使者さんと夜通し会うみたい。
知盛だって平家の将なんでしょ、一緒に行かなくていいの?」
「俺は、そういうことに興味がない」
「そう言うだろうとは思ったけど」
くすくすとおかしそうに笑う神子を横目で見、知盛は酒に口を付けた。
しばらく、沈黙が続く。
だんだんと濃くなっていく闇を見上げながら、やがて彼はぽつりと言葉を漏らした。
「……お前は、本当に妙な女……だな」
「私が?」
不思議そうな声をあげても、視線は夜空から外さない。
それがなんとなく彼女らしくて、笑いが洩れた。
「何もかもを明け透けに話す。何を訊いても、答えないことがない。
俺には興味はないが、たとえ次の戦の策を訊いたとしても、答えるんだろう?」
「私が知っていて、あなたが他に漏らさないなら答えるよ」
「……俺を信用する、か?会って幾日かしかたたない敵の将を?」
「うん」
即答して、彼女はもう一度くすくすと笑った。
「あなたには、秘密は持たない」
「何故だ?」
ふと振り向いて問うと、秘密は持たないと言った口で、彼女は肩をすくめて呟いた。
「……言っても分かんないよ」
「……まあ、どうでもいいが」
彼は顔を戻し、一気に盃を干した。
床にそれを置き、ちらりと彼女を見る。
いつもと同じ陣羽織に簡素な手甲。短い履き物から伸びた脚。
唯一刀を帯びていないのが残念だな、と思いながら、知盛は銚子を取るような気軽さでその足首を掴んだ。
「え?」
疑問が驚きに変わる前に、そばにあった几帳の陰に彼女を押し倒す。
ひやりとする板床に両手をついて耳に口づけ、胸元を寛げると、神子がようやく慌てた声をあげた。
「ちょ、ちょっと、知盛!何するのっ」
「……何、とは異な事を仰る。昼間あのようなことがあってなお間近に寄るのは、それなりの期待がおありかと思ったが」
「は!?」
「欲を恥じ入っておいでならば、もう一度縛して差し上げようか」
「や、やめっ……んんっ……!」
手首をひとまとめに戒めながら噛みつくように唇を割った彼に、彼女の体が跳ねた。
構わず、体の重みで抵抗を抑え羽織の紐を解く。帯を引き抜く。
慣れた手つきで全裸にして体中を舐め上げると、短い拒絶を繰り返していた唇が固く引き結ばれた。
「……っ…ぅ、!……っっ!」
「抗いはもう終わりか?」
嘲るように言っても、顔を背けて動かない。
瞳が見えないことに苛立ちを感じながら、彼が彼女の中に押し入った時も、彼女は敷かれた服を握り締めて微かな吐息を漏らしただけだった。
無理に女を抱くのは初めてではなかったが、こんな反応をするのは少なくとも処女ではないな、と思い、知盛は少し興が削がれた気分になる。
自分の下で短く息をする指先があてもなく床を彷徨うので、思わず捕らえた。涙を滲ませた目がうっすらと開かれた。
その瞳が変化しているような気がして、覗き込みながら、手を首に回させる。
俺を見ていろ、と言うと、従うように濡れた目がこちらを見上げた。
その時。
少し離れたところから、複数の人間の足音と男の話す声が聞こえた。
途端に、神子の体がビクリと震える。部屋から縁側に続くそこは几帳が立てられているだけで、そばまで来れば容易に見られてしまう場所だ。
彼女の目が大きく見開かれ、手が痛いほど肩口に爪を立て彼を引き寄せた。
今度は確かに、あの目をしている。
「このままでは……誰かに見られてしまう、な」
それを引き出したのが見も知らぬ男なのが癪に障って、知盛は首筋に歯を立てながら、意地悪く囁いた。
「やっ…や、あ…っ!」
初めて、拒絶には程遠い喘ぎが口をつく。
膝を抱え上げ、音が響くようにわざと乱暴に突き上げると、神子は小さく首を振りながら新たな涙をこぼした。
「だ、め……あぁっ、…ダメ、知盛…知盛っ……!」
「……っ……!」
きつくしがみつかれながらあの瞳で名を呼ばれることが、これほど甘美なものとは思わなかった。
意識が弾け飛ぶ瞬間、今まで女の名など呼んだことのない自分が、それでも覚えていたらしい神子のそれを呟いた気がした。
◆ ◆ ◆
「……………。」
もう夜半が近くなり、部屋は寒々とした空気に満ちている。
そこだけ暖かいぬくもりを分け合っている一角から、むくりと起きあがる気配がした。
「……背中、いたい。膝もなんかずきずきする……」
だろうな、と思いつつククッと笑うと、彼女は突き放したような不満げな声をあげた。
「まさか3回もやるとは思わなかったよ。この変態」
それでもそれは、自分に黙って菓子を食べたと幼なじみをなじる声音と変わるところはなくて。
おふろはいる、と彼が敷いている袍を奪い取って羽織る彼女を片手で引き寄せると、おとなしく腕の中に収まる。
舌先で味わうような口づけを交わしながら、知盛はしげしげと彼女を見直した。
「……未通娘かと思っていたが、考えてみれば、おまえのようなしたたかな女がそんな筈はなかったな。
相手は将臣か?それとも他の八葉とやらか」
「?おぼこってなに?」
不思議そうな彼女に、意味をわざと下世話な言葉で説明した途端、脳天に強烈な衝撃が来た。
「バカ、変態!初めてに決まってるよ!」
ぷりぷりと怒って部屋の外へ消える姿を、見送ることもできずうずくまりながら、知盛はまたクックッと笑いを漏らした。
今、分かった。あの瞳は、彼女の執着の証。
起こる未来を予め分かっているかのように、どんなことにも毅然とした覚悟と決意で臨む神の子が、それでも冷静になりきれないものを見る人の子の瞳だ。
それを見、それを理解しただけでも、今夜は有意義な夜と言えそうだった。
もしかしたら明日の朝には将臣に斬り殺されているかもしれないけれど、少なくとも今は、世の中が退屈だとは思わないから。
END. |