あと少し。
はやる気持ちを抑えながら、私は急ぎ足で道を辿る。
足下で、雪がさくさくと小気味よい音を立てた。
「足下に気をつけてね」
「神子、大丈夫?」
朔や白龍が気を遣ってくれるのが、嬉しかった。
彼らにとって私や譲くんは初めて会った人のはずなのに、まるで昔からの仲間のように接してくれる。
もう長い間、二人と一緒に過ごした私にとって、それはとてもありがたいことだった。
もし二人に他人行儀な対応をされたら、頭では理解していても気持ちがついていかないと思うから。
「でも、どうしてこちらに戻ってきたの?早く橋姫神社へ向かった方がいいと思うけれど……」
源氏の陣ではなく、二人に会った河原へいったん戻った私に、朔が心配そうに言った。
私は歩を早めて朔に並び、頷いた。
「うん、そうだね。ただ……」
「なんですか?」
譲くんが辺りを警戒しながら尋ねる。
それには答えず、私は静かに瞳を閉じた。
ここで誰が現れるか、知っている。
その人が何と言うかも、知っている。
そしてどうなってしまうのか……分かっている。
幾度も時空を巡った私には、『時』を経るにつれて、そういうことが増えていった。
なんとか変えられたこともあった。一度も変えられないこともあった。
期待して、望んで、願って。
同じに見える道を迷いながら何度も通り、懸命に抜け道を探す。
いつか、あのひとの運命を勝ち取るまで。
「せんせい」
私が呟くと、三人が不思議そうな表情をして私を見た。
時を同じくして、微かな擦過音とともにその人が現れる。
「……どこへ行くつもりだ?この先は怨霊がいるだけだ」
何度も聞いた台詞。
「下がってください、先輩!こいつも怨霊かもしれない!」
何度も見た、やりとり。
やがて、橋姫神社へ先導しようと彼が踵を返しかけたとき、私は初めて瞳を開いた。
「……先生」
「なんだ」
「私は、先生が……好きです」
まっすぐに彼を見上げると、その瞳がほんのわずかだけ見開かれた。
背後では譲くんや朔がそれどころではなく驚いていたけれど、私は先生から目を離さなかった。
「先生が、好きです」
「神子……」
「先生がいない世界で生きていくつもりはありません。だから私はあきらめない。
どんなことがあっても、あなたが何度私を置いていっても、必ず掴まえてみせます」
「神子、それは今言うべきことではない」
眉根を寄せた彼の表情が、この時空の住人の前で不自然なことを口にした私を叱責していたけれど。
私はそれに屈せず、小さく笑って彼の手を取った。
あなたがどうするか分かっている。
あなたの優しさも分かっている。
けれど、あなたが私のためにどうして命を捨てるのか、一度も分からなかった。
どんなに知りたいと思っても、一度も教えてはくれなかった。
生きろ、と言うだけで。それだけで。
「こうすれば、私が何よりもあなたを優先しても、みんな当たり前だって思うでしょう?」
「……何を考えている」
「私はただ、繰り返したくないだけです。あなたに何も伝えられなかった運命を。
あなたがいずれ私を拒むなら、私は最初からあなたの傍にいて、最後まで一緒にいます」
彼にだけ聞こえるようにそう言って、私は後ろを振り向いた。
怪訝そうにしている朔と、信じられないという顔をしている譲くんに、半ば本気で胸を張る。
「朔、譲くん、白龍。この人は私の剣術の先生で、私の八葉。地の玄武だよ」
「せ、先輩……一体……」
「そして、私の大好きなひと。私はこのひとのために、戦うって決めたんだ」
「神子!」
「先生の方は、残念ながら私を好きになってはくれないんだけど……でも、私はあきらめないから!」
にこ、と笑ってみせると、二人は相変わらず困惑した顔のまま。
ただ白龍だけが、嬉しそうに頬をゆるめて頷いてくれた。
そして、一瞬だけ私の手を振り解きかけた指が、諦めたようにもう一度握られるのを後ろ手に感じて、私は笑ったまま泣きたくなった。
こんなに優しいあなただから、ただ弟子達を守りたかっただけなのだろう。
自分だけが犠牲になればと、そう思ってあんな風に独りで背を向けてしまうのだろう。
けれど、たとえ特別に想われていなくても、私は先生が好き。
それだけでいい。
そう思っていなければ、また悲劇になるかもしれない運命を、辿り直すことはできないから。
「行きましょう、先生」
握った手を引くと、先生はじっと私を見つめた後、無言で足を踏み出した。
一緒に歩き出しながら、私は肩越しに振り向いた。
「行こう、みんな。橋姫神社に行かなくちゃ」
そして、この運命を始めよう。
私と先生と、みんなで。
END. |