「ふあー……」
間抜けにあんぐりと口を開けて、アンジェリークは建物の中を見渡した。
ひろい。とにかく広い。ロビーは5階までが吹き抜けになっていて、天井は必要以上に高く、水平方向の奥行きも人が霞むほどある。
「おっきいなあ……外から見てもすごかったけど、中はもっとすごい」
アンジェリークは繰り返し感心し、ふうと息をつくと、受け付けのプレートが掲げられているカウンターまでとことこと歩き出した。
ここは、聖地にある王立派遣軍総本部。
世界中の軍隊の上に立つ軍高官ばかりが所属する、聖地のなかでもひときわ重要な施設である。
女王候補のアンジェリークでさえ、ここに入る権利は持っていなかった。
機密保護のために、内部まで立ち入ることが出来るのは所属者本人と正式な招待者、それにごく一部の上層が身分を保証できる者に限られているからだ。
しかし、女王候補だった時はこの施設が軍本部だということも知らなかった彼女は、そんな規則についてまったく無知であった。
アンジェリークは受け付けの前に立つと、目前の尉官の軍服をまとった若者に声をかけた。
「……あの……。すみません、よろしい…ですか」
「…………?」
こわごわ発せられたか細い声に、書類に視線を落としていた青年士官はふと少女を見やり、呆気にとられたように目を見開いた。
無理もないかもしれない。軍は軍でも中枢、婦人兵の姿は少なく賄いの女性もごくわずかであり、ましてや女子高生など皆無なのだ。
アンジェリークのかわいらしいワンピースは、それだけでまわりの軍服から目立って見えた。
「………あ、ああ、なにか御用でしょうか」
ワンテンポ遅れて返された問いに、少女はうつむいて口ごもった。
「……ええと……あの、こちらで待つようにと言われて来たんですけれど……中へはどうやって入ったらいいんでしょう」
「は」
若者は一瞬で驚きをおさめると、今度は不審者を見る目で少女を眺めた。
何も言わないまま、後ろにいた別の士官とひそひそと話し合っている。
居心地の悪さを感じたアンジェリークは、もういいですと言ってそこを離れようとした。だが、いつのまにか背後に警備兵がふたり付いており、到底穏やかとは言い難い態度でこちらに近づいてくる。
「中へお入りになるなら、身分証明書と招待証が必要です。お持ちですか?」
「えっ……で、でも……」
「お持ちでないならお通しするわけには参りません。
失礼ですが、それを知らずにおいでになるとは、御用はどなたにでしょうか」
「あの……あの…………」
きつい調子で立て続けに言われると、少女の瞳はつい潤んでしまう。
少し同情の表情をしながら、士官は警備兵に耳打ちをした。
「……どうやら工作員ではないようだが、念のために別室へ拘束しておけ。
今日はただでさえ、女王陛下直々に勅命された将軍閣下がおいでになる日で警備が厳しいんだ。
面倒にならないうちに対処しないと重責をこうむるぞ」
「は、はい。では、話をお聞きいたしますのでこちらへどうぞ」
「やっ……あの、……待っ……」
泣きかけの息苦しさに反論もできないまま、アンジェリークは屈強の男達に囲まれて連れ去られていった。
◇ ◇ ◇
一方、少女を待つ側の人間は、あまりの遅さに首を傾げていた。
「……夕方には来る、と言っていたんだが……どうしたんだ」
思わず呟くと、事情を知っている副官が答えた。
「まさか、道ばたで何かを見つけて話し込んでいる…わけはないですよね」
冗談ぽく、だが苦笑してキールは言う。アンジェリークが犬や猫や花にさえ話しかける癖があることは、ふたりともよく知っていた。
しかしそれはのんびり散歩している時だけだし、なにより本人が犬や猫や花よりも彼といることを倖せとしているのだからありえない。
ヴィクトールは本気で心配そうにドアの方を見やった。
「施設の内部構造なぞ分からんだろうから、案内してもらえと言ったんだ……
俺の名前を出せばすぐ連れてこられる筈なんだが、もしかして俺を知らない奴ばかりで迷ってるのかもしれん。ちょっと見てくる」
そう言う間に、ヴィクトールはもう腰を上げかけている。
「ここで閣下を存じあげない者など、いるわけがありませんよ。
……では小官が見てまいりますから、少しお待ち下さい」
やれやれ、と心配性の上官に微笑んで、キールは部屋を後にした。
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